映画「ワンネス」 愛は手段のうちのひとつ? 2013/09/26 8:14 AM 教科書によれば、愛の目的は孤独を癒すことだそうです。 しかし、孤独を癒すのは愛だけではないはずです。 実際に教科書の著者も書いています。 「たとえば仕事に没頭することも孤独を癒せます」…と。 ということは、愛はワン・オブ・ゼム、つまり手段のうちのひとつだということです。 世界を救うはずの愛は、この程度だったのでしょうか? シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 愛の目的はひとつでいいの? 映画「ワンネス」 孤独が愛への一歩 » コメント こはな より: 2013/09/26 12:38 愛が手段になるってことがすごいことだとやっと気づいてきました。手段は具体的です。電子レンジでご飯が冷たいから暖かいに変わるみたいに、孤独から孤独の癒された状態へ誰でもできる方法を書かれているのだと思ったからです。 まりん より: 2013/09/26 13:45 愛が、技術や目的の手段という切り口から解明されていくのが痛快です。今までそんなフレーズといっしょに使ったことなかったし、愛に手段や目的とか出てきたときは否定的なときです。けれど、こうして愛が解明されてみて、愛には目的があって、その手段のひとつというのが、とっても痛快です。目的はそれをかなえるまでずっと「今ここ」にないものだけど、手段ならいつだって「今ここ」です。さらにその一つなら、愛でなくてもいいんだって思います。日常の中で孤独を解消するために愛もあれば仕事もあれば、ほかにもいろんな方法がある。今までは世界を救うみたいに壮大に語られどっしりと重みのあった愛が、日常の中にとけ込んで小回りがきくような軽快さを感じてます。 桃有 より: 2013/09/26 20:49 孤独を解する方法は愛のほかにもあるのだと思います。仕事に没頭、趣味に没頭など、何かに没頭して孤独を無視してしまえばよいかもしれないと思います。他にも誰かと一緒に過ごすとか、別に愛でなくてもよいのだなと思いました。孤独を解消するのに、愛のかわりがあるのだなと思います。愛に変えがきくとは思っても見なかったです。愛について毎日すごい衝撃だなと思います。 どせい より: 2013/09/26 20:57 すごい指摘だと思います。「目的」が定義できると、愛は、手段の一つになってしまうと思います。仕事に没頭することだって、解消方法の一つ・・です。世界を救うとまでいわれた愛も、ワン・オブ・ゼム・・になってしまっていると思います。 孤独を解消する方法は、他にもあって、その中で、同列に議論されているのだと思います。「愛」なのに、全然、特別視していなくて、めちゃくちゃ正面から議論していると思います。 小町 より: 2013/09/26 20:58 孤独を感じるし、実際に孤独のままだと私も自分がいなくてもいいと考えることもあります。その解消には仕事に没頭することもあるし、周りを見ないでただひたすら、ひとつの物事をやるのも孤独を忘れさせると思います。でも、どれも一過性だと思います。愛も手段のひとつなのに、愛があると孤独にはならないです。孤独を忘れようとかしなくても、愛には孤独を消す作用があると思います。手段と知れば孤独にならないで済むと思ってきます。 まるこ より: 2013/09/27 00:01 愛は技術。愛の目的は単一目的。それは孤独を癒すこと。孤独を癒すのは愛だけではない。愛は手段のひとつ。どれもいままで自分が持っていた愛のイメージを根底から覆す著者の指摘です。これらの指摘を前にして「いいえ。愛はその程度ではありません」と言える理由が見当たりません。「この程度であってはいけない」理由も見当たらないです。いままで愛は他の何ものにも代えがたいものとして扱われてきたと思います。自分もそのように愛を特別視してきたと思います。でも愛が手段のうちのひとつであれば、愛も代替可能な存在なのだと思います。私たちは愛のことを何も知らずに、愛を特別な存在として崇めてきたのだと思いました。 みっく より: 2013/09/27 10:37 愛は手段の一つ・・という言葉に、何か衝撃を受けるのは、やはり愛を特別扱いしてきたんだと思います。手段の一つだからこそ、技術が存在するのだと思います。そう思ってなかったから、失敗してもそのままで同じことを繰り返してきたんだと思います。愛というものが何か、しっかり考えていなかったということをとても感じます。 和佳 より: 2013/09/27 18:29 …なんかもうドカーンってなります。愛の目的が孤独をいやすことで…その孤独は別に愛でなくても癒せる…なんだかとっても片思いみたいな感じです。孤独はたくさんのものにモテ、今日はキミ明日はあの子みたいな感じなのかしらとおもったり…もう愛は愛ちゃんとかなんかそういう名前みたいに思えてくる夕方です。もしも教科書の言うとおりのものなら…世界を救うとかほんと知ったこっちゃないというかもしれない。 邪魔!おじゃま!です。孤独を振り向かせたい…ぐらいの…なんかとても微妙なお話です。授業がすごすぎます。私は愛によって結びついて愛を信じてるかたたちなのだとばかりおもってて…なんていうきれっきれの授業だと激しく衝撃をうけてます
愛が手段になるってことがすごいことだとやっと気づいてきました。手段は具体的です。電子レンジでご飯が冷たいから暖かいに変わるみたいに、孤独から孤独の癒された状態へ誰でもできる方法を書かれているのだと思ったからです。
愛が、技術や目的の手段という切り口から解明されていくのが痛快です。今までそんなフレーズといっしょに使ったことなかったし、愛に手段や目的とか出てきたときは否定的なときです。けれど、こうして愛が解明されてみて、愛には目的があって、その手段のひとつというのが、とっても痛快です。目的はそれをかなえるまでずっと「今ここ」にないものだけど、手段ならいつだって「今ここ」です。さらにその一つなら、愛でなくてもいいんだって思います。日常の中で孤独を解消するために愛もあれば仕事もあれば、ほかにもいろんな方法がある。今までは世界を救うみたいに壮大に語られどっしりと重みのあった愛が、日常の中にとけ込んで小回りがきくような軽快さを感じてます。
孤独を解する方法は愛のほかにもあるのだと思います。仕事に没頭、趣味に没頭など、何かに没頭して孤独を無視してしまえばよいかもしれないと思います。他にも誰かと一緒に過ごすとか、別に愛でなくてもよいのだなと思いました。孤独を解消するのに、愛のかわりがあるのだなと思います。愛に変えがきくとは思っても見なかったです。愛について毎日すごい衝撃だなと思います。
すごい指摘だと思います。「目的」が定義できると、愛は、手段の一つになってしまうと思います。仕事に没頭することだって、解消方法の一つ・・です。世界を救うとまでいわれた愛も、ワン・オブ・ゼム・・になってしまっていると思います。
孤独を解消する方法は、他にもあって、その中で、同列に議論されているのだと思います。「愛」なのに、全然、特別視していなくて、めちゃくちゃ正面から議論していると思います。
孤独を感じるし、実際に孤独のままだと私も自分がいなくてもいいと考えることもあります。その解消には仕事に没頭することもあるし、周りを見ないでただひたすら、ひとつの物事をやるのも孤独を忘れさせると思います。でも、どれも一過性だと思います。愛も手段のひとつなのに、愛があると孤独にはならないです。孤独を忘れようとかしなくても、愛には孤独を消す作用があると思います。手段と知れば孤独にならないで済むと思ってきます。
愛は技術。愛の目的は単一目的。それは孤独を癒すこと。孤独を癒すのは愛だけではない。愛は手段のひとつ。どれもいままで自分が持っていた愛のイメージを根底から覆す著者の指摘です。これらの指摘を前にして「いいえ。愛はその程度ではありません」と言える理由が見当たりません。「この程度であってはいけない」理由も見当たらないです。いままで愛は他の何ものにも代えがたいものとして扱われてきたと思います。自分もそのように愛を特別視してきたと思います。でも愛が手段のうちのひとつであれば、愛も代替可能な存在なのだと思います。私たちは愛のことを何も知らずに、愛を特別な存在として崇めてきたのだと思いました。
愛は手段の一つ・・という言葉に、何か衝撃を受けるのは、やはり愛を特別扱いしてきたんだと思います。手段の一つだからこそ、技術が存在するのだと思います。そう思ってなかったから、失敗してもそのままで同じことを繰り返してきたんだと思います。愛というものが何か、しっかり考えていなかったということをとても感じます。
…なんかもうドカーンってなります。愛の目的が孤独をいやすことで…その孤独は別に愛でなくても癒せる…なんだかとっても片思いみたいな感じです。孤独はたくさんのものにモテ、今日はキミ明日はあの子みたいな感じなのかしらとおもったり…もう愛は愛ちゃんとかなんかそういう名前みたいに思えてくる夕方です。もしも教科書の言うとおりのものなら…世界を救うとかほんと知ったこっちゃないというかもしれない。 邪魔!おじゃま!です。孤独を振り向かせたい…ぐらいの…なんかとても微妙なお話です。授業がすごすぎます。私は愛によって結びついて愛を信じてるかたたちなのだとばかりおもってて…なんていうきれっきれの授業だと激しく衝撃をうけてます