映画「ワンネス」 愛の目的はひとつでいいの?

2013/09/25 7:07 AM

 
 昨日は、愛は単一の目的のためと書きました。
 携帯電話は通話、カメラ、電卓等の機能があり、単一ではありません。
 パソコンはもっと機能が豊富です。
 人それぞれ使い方が違うます。
 つまり、ひとことで定義することができません。
 愛もそうだという人は多いです。
 けれど教科書に、そうは書いてありませんでした。
 愛は技術だと言っているページもありました。
 技術を論じるためには目的がひとつであるほうが良いです。
(続く)


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コメント

  1. まるこ より:

    愛は孤独の解消のため。単一目的ですごく分かりやすいです。でも「ひとつでいいの?」と問われると、やはりどこかで躊躇してしまいます。パソコンや携帯という、私たちが日常使っている電気機器でさえ目的は一つではないという指摘を受けると尚更です。でも考えてみれば「電気機器でさえ」とか思っているところが、愛を特別視している証でもあるような気がします。電気機器は技術であることは誰もが認めると思います。固定概念を外して考えると、愛が技術であっても何らおかしくはないと思います。「人それぞれ」という部分にも反応してしまいます。日本全国で「愛アンケート」をとったとしたら、恐らく多くの人は愛は単一目的ではなくて「人それぞれ」であるという方に投票しそうです。単一目的よりも複数目的の方が優れているという考えがそこにはありそうです。しかも「人それぞれ」は自由を感じさせます。私たちは自由だと思って生きていると思います。しかし人間が皆、孤独の牢獄に放り込まれる運命を持って時空に生まれているのであれば、その時点で人間が自由であるとは言いがたいように思います。全ての人間が孤独の牢獄という単一空間に放り込まれる運命を背負っているのであれば、そこから抜け出すための愛も単一目的であって何らおかしくはないのではないかと思いました。

  2. まりん より:

    愛をひとことで定義できない。。。図星です。ずっとそう思ってきました。いろんな愛があって、人それぞれなのが愛だと思ってました。だからこそ、G神父さんの教科書の「愛は技術」「愛の目的はひとつ」はメチャメチャすごいです。人類始まって以来、愛は人それぞれで、同じ土俵で論じたり、共有できなかったものです。それを、目的は1つとして、技術として、すべての人にとって同じ次元で愛を論じてるからです。
    目的はひとつでいいのか?って問われてはじめて、自分がいかに愛を特別なものにして切り離してきたかってことにハッとします。人それぞれだから、一言で言えないからと、言い訳してきたんじゃないかと思ったからです。愛の大元を問わなかったのは、自分の存在の大元を問わないのと同じかもしれません。ひたすら目からウロコで衝撃を受けるばかりです。

  3. こはな より:

    愛の定義を見つけられたことがすごいと思います。私は漠然としていました。しかも愛の目的・・も考えたことなかったです。だけど孤独の解消のため・・携帯にもパソコンにもあると思います。または根底にあるのが孤独の解消なのではないかと思いました。携帯は確かに電卓機能もカメラもあります。色んな機能が備わっているとも思います。でも電話をかけたり、メールしたり、インターネットに繋げたり、やっぱり誰かや何かと繋がるものだと思います。それは孤独の解消なんじゃないかと思います。

  4. どせい より:

    愛には、いろいろな性質があるように見えていますが、「目的」という切り口からみたら、単一であったのだと思います。孤独の解消であったのだと思います。しかも、自分の孤独の解消です・・。めちゃくちゃ利己的な目的です。ですが、「目的」があると、そこにいたる「技術」についても論じることができるのだと思います。そして、目的が一つであるほうが、より精確な議論ができるのだと思います。

  5. 小町 より:

    人は孤独が本当に怖いんだと思います。孤独を感じることを避けるためにいろいろなことをしてしまうと思います。愛の目的は孤独の解消、崇高な愛より技術としての愛が本当は必要なんだと思いました。実際、自分さえも愛せない人は、孤独が解消なんて愛なんてわかってこないと思います。求めるだけの愛しかないことになっています。ただひとつの目的さえあれば、愛が何かをわかってくると思います。愛が技術なら、愛が足らないのは技術が足らないとなりそうです。それだけでも愛を必要だとしているのは、技術を知ることになるメリットがあると思います。

  6. みっく より:

    機能がたくさんあれば、それを使うための技術がたくさんいることになると思います。たくさんあっても使いこなせないことも多いです。もし愛が人それぞれで多機能に渡っていたら、使いこなせない人が出てきそうと思いました。
    人間学の教科書では愛の目的はたった一つだったのだと思います。目的が一つということは、誰でもが使いこなせるはずのものに思いました。技術も学びやすいです。そしてその目的をお聞きして、愛の対象がだれであれ何であれあてはまる・・と思いました。今まで、具体的に愛の目的を考えたことはなかったけど、どこかもっと難しく考えてたように思います。

  7. 和佳 より:

    技術を論じるためには目的がひとつであるほうが良い…というのもまた衝撃で…う~んてなったままフリーズです。今日もフリーズです。技術というのは目的一つ…車なら移動、レンジなら加熱みたいなことなんだなと思いました。車でレンジ調理…飲食運転推奨というか妙にアブナイ。逆に…高速を乗れるレンジ!とか出力足りなそうな…そういうのないんだなぁと。技術ってだいたい多目的実現ではなく何か一つとか園周辺をピンポイントで実現してるんですね。愛も?!てやっぱり衝撃です。神様は…愛を…その技術でこさえたのかと…うーんかなり衝撃の授業です

  8. Anne より:

    「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず…」と続く新約聖書に書いてあるような愛は私にはとうてい実行不可能で、愛については迷路に迷い込んでしまったみたいにわからなく漠然としたものになってしまっていました。「愛は技術」という言葉で、私にもできるんだと光りがさしたような気持ちになりました。携帯電話やパソコンは多機能で、人によって使い方は様々かもしれませんが、一つの目的に特化して考えてみることで理解がより深まると思いました。

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