昨日は、マズローの欲求の話を書きました。
それで気づいたことがありました。
ワクワクとドキドキの違いです。
以前、宇宙人が「ワクワク生きなさい」とチャネリングを通して言ってきました。
僕はそれに賛同できないでいました。
その理由が、昨日マズローの欲求の話を書いたことでわかりました。
ワクワクは、第五段階の自己実現欲求が基盤にあるのです。
なぜならワクワクには負の要素がありません。
第六段階の自己超越は「在ること」と言われているように、正負の両面があります。
これはドキドキです。
なぜならドキドキには正負の両面があるからです。
恋をしたときはワクワクよりもドキドキです。
いつ振られるかわからないからです(笑)。
ワクワクには夢や希望を感じます。
しかしドキドキは、今ここを感じます。
つまり「在ること」です。
高校生のとき、他の生徒の品行方正が良すぎるので僕は掃除をサボるという行動に出ました。
このときは、やはりドキドキです。
負のリスクを背負っている時、ワクワクではなくドキドキです。
僕は神に恋しています。
これもワクワクではなく、ドキドキです。
日本人全般もワクワクではなくドキドキで生きているような気がします。
なぜならワクワクは自分の内部に完結しています。それに対してドキドキは周囲に開かれています。
日本人は横のつながりを大事にして、今を生きていると思うからです。
ワクワクは自分がしたいことを期待して周りにそれを求めてしまうと思いました。自分がしたいことと一致しないとワクワクにはならないと思ってきます。だから夢や希望を語ることで、それを集めたいになってきている気がします。内面への充実がワクワクには無くてはならないものだと思います。ドキドキは本当に恋する状態がそのままだと思います。恋している対象がいるだけで、ドキドキして目があっただけで有頂天です(笑)でも、振られると奈落の底です。その落差はドキドキしています。自分の中身を問うていないし相手も変える必要は無い状態です。もりけんさんは神との繋がりをとても大切にしています。神に恋しているから、変える必要はないが素晴らしいです。こんなに素晴らしい世界を神が作っています。自分では作れないし、今ここに在ることで、ドキドキが続いています。ワクワクとドキドキの違いがとても面白いです。内面を充実させないとワクワクにはならないから、夢や希望は疲れも出て、挫折してしまっていました。日本人の多くは来るものを拒まないで、やってきています。これも横の繋がりなんだと思います。やはり日本に住んでいて、良かったです。
生きるときに必要な欲はあると感じます、食欲、性欲、睡眠欲、お金が欲しい、異性にもてたい、楽をしたい安全になりたい確かにあると感じます。でも自己実現欲は、なんだかきれいごとで怪しいです。自己実現欲がもともとあるとは思えないです、むしろ生き伸びる時に邪魔になる気がします。人は人の助け合いなしでは生きていけないと感じます。自己実現だけが、きれいごとで意識的である感じがしました
いままで同じようなものだと思っていたドキドキとワクワクがこれだけ異質なものであったということに驚いています。ワクワクをイメージしたとき、ほんとうに美味しいことだけを期待している感じです。なんかノーリスクで美味しいことが起こって当然みたいなイメージすらも伝わってきます。対してドキドキはどうなるかワカラナイけどハンドルを手放してただそこにいる。何も期待もしていないし、何も目指していないです。ワクワクがイメージさせるイイことは自己にとって美味しいことです。だからワクワクは自己実現なんだと思います。どうなるかワカラナイ、ハンドルを手放したドキドキ状態の自己はカラッポなんだと思います。あるのは全体との繋がりだけ。すごい気づきだと思います。
この違いの発見は・・すごいです。目からウロコがボロボロ落ちました。私はこの宇宙人の本を読み、真に受けましたが、そもそもそんなことしなくてよかったのだと思いました。日本人はドキドキで生きていると思います。周りに開いていると思います。とっくにすごいです。だから「このままでいい」と思いました。