企画書の続きです。
アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが、人間の欲求についての理論を発表しています。
それによると人間の欲求は
1.生理的欲求・・・食欲や睡眠など本能的な欲求
2.安全欲求・・・危険を回避し、安全に暮らしたい欲求
3.所属の欲求・・・他者と関わる欲求
4.承認の欲求・・・認められたい欲求
5.自己実現欲求・・・自身の理想を実現したい欲求
の5段階で、下位の欲求を満たした人はより高次に移行するというものです。
しかし、あまり知られてはいませんが、マズローは自己実現欲求の更に上に“第6の欲求”を発表しました。 「自己超越」です。これは「在ること」のレベルで生きている、謙虚である、多視点的な思考ができる、外見は普通である…という意味を含みます(Wikipediaより)。
この第6の段階が日本人の「和」ではないでしょうか。
第1段階から第5段階までは利己的欲求ですが、第6段階は利他的欲求だと思うからです。
日本人は安否を尋ねられたとき、肯定的な返事の最初に「お陰様で」という単語を付けることが多いです。相手が自分に何がしかの利益を与えていないときにもです。これも「和」だと思います。「和」というのは繋がりであり、間接性も表わしているのです。
世界はずっと、直接的な利己的欲求でやってきたと思います。今こそ、日本人の美徳である「和」の精神を世界に発信すべきだと思います。
しかし”和をもって貴しと為”せば、自分は損をしてしまうと思う欧米人もいるかも知れません。そうではないことを我々日本人が語れば良いです。
一国が勝つのではなく、地球全体が勝つ方向に動き出すかも知れません。ドキュメンタリー「和」がその布石になれば幸いです。
利他的な人になりたいと思ってみても、自分の意識があり欲求があり利己的にしか欲求というものは働かないと感じていましたが、人間には、利他的欲求というものもあったのだと、感動しました。意識だけではできない欲求である感じがしました。間接的であるというところも、全体的な生命を感じました。他人が他人ではなかった感じがしてきました。自分というものが個だけではなかった感じがしてきました
「和」を実践すれば自分が損をする。この考え方が世界の利己的欲求の追及を支えてきている。そんな気がします。日本人はずっと昔から「お陰様」でやってきています。「和」を実践しても自分が損をするわけではないということを、身をもって示すことができるのが日本人だと思います。マズローが言った人間の欲求に第6段階があるということをずっと知りませんでした。「在ること」のレベルという言葉に、繋がりと間接性を感じます。まさにお陰様の世界だと思います。映画「和」を見ることによって、日本的自己超越の精神である「お陰様」に西洋人も触れることができるのが、とても素晴しいと思います。
震災の時のおばあさん、私の周りにも「お陰さまで・・」と言われる方がいますが、普通の方ばかりです。第6の欲求に、外見は普通である・・と書かれていますが、その通りです。第1~5の欲求は満たされ、すでに第6の欲求の段階にいるのだと思います。けれど、それは普通の方です。日本人の普通の方に「和」の精神が在るのだと思いました。年配の方に多いのではないかと思います。
マズローの法則の第5までは積み重ねが可能なものばかりです。だけど第六のあるがなままは、何かを成し遂げる風に受け取れないものです。自分の欲求もすべて包括しているのに、何かしなくてはを感じないものが、「和」になるって、すごいことです。努力してもいいし、しないこともそれでいいに、ホッとしました。震災の自然災害も人には止められないものです。それと同じくらい「在る」ことだけがすべてなんだと思ってきます。人類はずっと自然を利用する立場でいたと思います。でも自然もまた人類を欲していることを知らないままだと思います。自己がどうなっているかなんて、本当はわからないままです。敵がいない「和」を感じたいです。