きょうからは私の仮説を展開します。
特に宗教の世界で一般的に信じられてきたことに、カルマと裁きがあります。
これは現在の私というものは、過去が原因になっています。
ところが私の集めたデータから考察すれば、現在の私は未来が原因なのです。
時空(あるいは神)にとって、過去なんてどうでもいいんです。
未来が原因だから、意識は無意識の配下に置かれてしまっているのです。
少しずつ、考察を進めていきます。
(未来が原因だからと言って、未来に想いを送れば人生が変わると思わないで下さい)
私はよく自分の過去に帰って、過去の自分にこうしたら良いなんて、言えるんだろうかと考えることがありました。これから起こることをすべて自分にとって良いことだけにする選択、それをすれば今の私も私じゃない気がしていました。過去が原因としていたから、そういう想いにもなっているのだと思います。だけど未来を知っているのは無意識の方だと思います。神が過去を問わないことの方がホッとします。多くは自分の前には道はないんだと未来は白紙なんだとなっていたと思います。全く逆転してくる原因、無意識が先行しているから、道を歩いていけていると思います。これを考えると考える時間も与えられていると思います。未来の時間を受け取ればいいだけかもしれません。
「現在」の事象について、「過去」が原因だとすると、これまで宗教でもいわれてきたような、裁きやカルマという、積み上げの考え方を生むのと思います。ですが、もし、過去からの積み上げが原因でないとすると・・「現在」というのはいったい何かわからなくなると思います。
森田さんの仮説では、未来に対する結果、と考えられたのですね。・・・ものすごい視点移動だと思います。だって、未来は見えていなかったです。・・だから、仮に現在が未来に対する結果であったとしても、人類は、まるで気がつかなかったと思います。意識では、過去しか分からなかったからです・・。
逆に、もし、未来が原因だとしたら、「意識」が主導では、未来を認知することができないので、現在も結果とはなりえないかもしれないです。「無意識」であれば、未来の出来事まであらかじめ認知することができるので、無意識が主導をすることで、結果が生まれてくるのかもしれないです・・。
最新脳科学のデータ、意識は無意識の配下になる原因は、もりけんさんの集めたデータから考察されたのは、未来が原因なのだと思います。未来に原因があり、無意識はそれに従っているのだと思います。それが意識(私)に遅れて登場してくるのだと思います。 時空(あるいは神)にとって、過去なんてどうでもよい・・カルマも裁きもあるはずないと思えたのではないかと思いました。
森田さんのあつめたデータから考察すると…現在の私は未来が原因なんですね。時空または神にとって過去なんてどうでもいいって凄いなって思いました。一般に信じられてたこと、過去が原因になってることはどうでもいいのですね。次をかんがえてて…未来が原因だから意識は無意識の配下におかれてる…というのに考えさせられてます。…意識っていうのは…過去が原因になって私っておもってるなにかで…一般的な宗教の世界と似てるみたいだなって感じました。…神様はそのへん全くどうでもいい…のだなと思いました。
すごい視点移動だと思いました。意識と無意識で考えると、意識が0.5秒遅れてることに目がいって、無意識が0.5秒先をいってることからは考えてなかったです。意識は結果で無意識が原因だとしても、それが未来が原因になってることまでつっこんで考えてなかったです。
社会や宗教でのいろいろなシステムが崩壊してしまうかもしれないと思ったのは、意識が前提ですべてのルールや法律、教義が考えられ作られてるからです。もりけんさんの仮説での時間の流れという視点から考えたら、過去に原因があり、未来はその結果という前提があることに気づきました。現在の私は過去が原因になってるから、過去にこだわって、さらには前世にまでこだわって、過去へ過去へどんどんさかのぼって考えてきたんだと思います。過去現在未来という流れが逆に未来現在過去へと流れるのが、無意識が0.5秒先というデータなのだと思いました。自由はないことや自分の意思は幻想だということだけでなく、時間の流れの常識が逆転するようなデータなのだと思いました。
未来が原因だから、意識は無意識の配下というのも、ものすごい指摘です。神は未来を原因にして、現在という結果を生きてる人類に自由も原因も責任も与えてないのだと思います。
そんな視点移動ができるのは、神の視点から考えてるからだと思います。神はなぜ意識を無意識より遅らせたのかという問いから、神にとって過去なんてどうでもいいと言えるのだと思うからです。その仮説は、私も含めて過去を悔やんだり悩んだりするたくさんの人たちを救うのかもしれないけれど、意識が無意識の配下というデータから神の性質を問うことで出てきた仮説なのだと思います。神の視点にたって出てきた仮説で、自分中心の視点から出てきたわけじゃないんだなって思います。自分が未来に思いを送ればというのも、自分中心で考えてしまうから出てくるのかもしれないと思いました。