メロディができつつあります。
ところで、一度決めたメロディは変えることは難しいということが分かってきました。
前後関係がタイトなのがメロディです。
その代わり歌詞のほうが変わりつつあります。
これで分かりました、世の中の99%が曲先なのがです。
歌詞はいくらでも、どうにでもなるからです。
けれど主張したいことは歌詞の中に入っているときが多いです。
ということは、主張したいことなんてどうにでもなるんです。
メロディを無意識に例えるなら歌詞は意識でしょう。
世の中の99%が曲先なのは、音楽家たちが無意識の重要性を知ったからだと思います。
意識なんて付属品のようなものかも知れません(笑)
一度決めたメロディを変えるのは難しいので 99%は曲が先に作られてるのだなと思いました。歌詞は主張ではなくて 曲に合わせられる余地や柔軟性があるのだなと思いました。メロディが無意識なら歌詞は意識で 音楽家の人たちは無意識の重要性をしってるかもしれないのだなと思いました。其の場合意識は付属品みたいなものなんだなと思いました
視点移動からのすごい気づきだと思いました。99%が曲先の理由。。。それは歌詞はいくらでもどうにでもなるからなのですね。実際に作詞作曲をされてみて、詞を変更するのと、曲を変更するのとでは、曲のほうが変えにくいと実感されて出てきた発見だと思いました。曲を無意識、詞を意識だとしたら、詞のほうが曲に合わせて変更可能なように、無意識に合わせて意識のほうが変更可能。。。とっても面白いです。主張やメッセージを歌詞にこめても、それはどうにでもなるんだと思います。けれど、無意識という譜面は前後関係がタイトだからそこだけ変えるというのはとても難しいんだと思います。音楽の世界での99%曲先というデータは、無意識の重要性に気づいていたから出てきたデータなのだと思いました。私たちが運命を変えようと意識しても変えられないということが、音楽での詞と曲の関係にもそのまま現れてるみたいです。意識は付属品のようなものという喩えが絶妙です。そのことに気づくだけで、何だかすーっと力が抜けます。
世の中の曲先が99%なのは、無意識の重要性を音楽家は知ったからなんだと思いました。無意識の重要性を感じることはなかなか難しいと感じましたが、作詞作曲の過程で、世の中が無意識を重要ととらえているということが、音楽家の世界からもわかってきたのだと感じました。意識がなんでもできるわけではないということなんだと感じました。付属品なんだと思いました。あまりにも無意識のことは調べられていない感じがしてきました。その問いが生まれ変わりの村の歌詞にはある感じがしました
曲先で作られるのは漠然としたイメージの世界でそれに感情が揺さぶられるのだと思います。この歌の何が好きだという理由に歌詞のことを応える人が少ないのも無意識のほうが先にそのイメージの世界にいるようだと思います。悲しい歌には悲しい歌詞がつくし。喜びや楽しさにもそれなりの歌詞が付くのだと思います。主張したいことも盛り込めるけど、聞いている人には歌詞よりも曲だから曲先になっていると気が付くのもすごいと思います。曲はタイトだけど歌詞は自由だが唸ります。あたかも私たちが自分は自由だと思っているかのようです。でも曲に添っているだけの自由しかない、それに気が付かれています。無意識にしか従えないのが意識なんだと思います。
曲は無意識に先に届くのだと思います。その曲に乗っているのが歌詞なのだと思います。付属品もイケてるとめちゃくちゃ素敵な歌なんじゃないかと思いました。