映画「生まれ変わりの村」主題歌 譜面は曲のデータが書き込まれている

2014/07/13 8:14 AM

  
 曲の中に自然音を入れることができないかと思いました。
 たとえば心臓の鼓動とかです。
 できないのです、なぜなら譜面にしないといけないからです。
 クラッシックは、どのオーケストラでも演奏できますが、あれは譜面になっているからですね。
 譜面は曲のデータが書き込まれているのです。
 すごいです、だからコピーができるのです。
 絵画はそれがないからコピーが難しいのです。
 データはルールを基に書き込みます。
 音楽の世界のルールが厳しいのは、このためだったのですね。
 これは運命にも似ていると思います。
 神がタクトを振りますが、譜面があるのです。
 その譜面は生まれる前に決めてきたという人もいますが、とんでもないです。
 個人が勝手に作れば、楽曲がバラバラになり、エゴのかたまりのような音楽になると思います。


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コメント

  1. 小町 より:

    譜面の音符に個人の好みは通用しないと思いました。自分がこの音が好きなんだと言っていても、その出番がないと演奏はできないのがオーケストラの奏者なんだと思います。データ化された譜面で誰でもその譜面通りにしないと音楽にはなってこないのは、神だってそれを忠実に再現していることになる、すごいと思いました。自然音は譜面に残せないものというのも初めて知ったと思います。神が譜面をしたためて、役割を決めているからこそ、私が生かされていると思います。それを意識しないほど綿密になっているからだと思えてきます。自分のエゴを優先させたらとても音楽としては成り立たないと思います。神も譜面に忠実だというのも運命そのものをきちんとしようとしているからかもしれないと思います。

  2. どせい より:

    以前、外国のロックバンドが、心臓音を入れた曲をつくったのを思い出しましたが、どちらかといえば、私たちは「譜面」に入らないような自然音をコラージュのように入れたりすることを、・・「個性的ですごい」と思ってきたのかもしれないです。
    ですが、そもそも、音楽のすごいところは、「譜面」があるところなのだと思います。譜面は、データで、コピーができると思います。データがあれば、誰が演奏しても、再現性があると思います。同じ芸術でも、絵画には、そのような規則性がないです。
    だから、音楽でいうところの「個性」というのも、あくまで「譜面」というルールにのっとった上での個性なのかもしれないです。私たちは、それをこれまで「個性」と呼んできたのかもしれないですが、たぶん、神から見たら、どちらでも譜面どおりで、一緒に見えるのかもしれないと思います。

  3. 和佳 より:

    曲の中に自然音を入れることを検討されたんだなと思いました。自然音は譜面にしないと入れられないことに気づかれたのだなと思いました。譜面には音がデータとして書き込まれて曲が構成されてるのだなと思いました。コピーが可能なのはルールにもとづいてされてデータ化されてるからなのだなと思いました。運命にもにてて、神がタクトを振っていて、そこにはルールに基づいてデータ化された譜面のようなものがあるのだなと思いました。素人考えですが 音は 振動数とか波長とかからできてて…それらが時系列でモールス信号のトンツーのように長さと短さ、休止みたいなものが…ややバリエーションを持つようにルール化されていて……そういうデータ記録のようなものなのだなと思いました。そして再生する楽器は指定されてることもそうでないことも有るようだなと思います。生まれ変わりの村の証言も時系列で問いと応答によるインタビューという音声を使ったやりとりをベースに記録されたデータ集だったと思います。なにか運命と音楽はとても似たところがあるようだとおもいました。そしてコピー可能だから私の手元にもあるんだなと思いました。そういった運命の譜面を生まれる前にきめてきたというひともいるけど…個人が勝手に決めればエゴによって楽曲がバラバラになってしまうので、どうもそうではないようなのだなと思いました。証言もそういうところがなかったです。

  4. まりん より:

    音楽のルールが厳しいのは、譜面にしないといけないからなのだと思います。その譜面はルールに基づいていてるから、コピーできるし再現できるのだと思います。自然音はそのルールで譜面化できないからダメなのだと思います。人間が作った音楽と、自然音との違いは譜面化できるかできないかで、そこから運命のルールに似ているという気づきがすごいです。音楽は共通のルールによって譜面化されるように、運命も共通のルールによって譜面化されているのだと思います。1次元の音楽はデータ化できるけれど、2次元の絵画はデータ化が難しくて、さらに3次元4次元となると、ますますデータ化は難しく感じられるのは、私たちの感覚ではまるで自由に描いたり、動いたりできるように感じるからだと思います。次元が高くなるほど自由度が増すように錯覚してるだけで、実は運命という譜面に基づいてるのだと思います。私たちが音楽の譜面を作ることができる以上に、その譜面にはあらゆる情報がデータ化されてるのかもしれません。そんな神の譜面があって初めて、これほど複雑で自由に見えるような世界が生まれてるのだと思いました。そう思うと、個人が勝手な譜面を作れるという錯覚ができるのも、神の譜面があるからかもしれないと思いました。

  5. なんしぃ より:

    データはルールを元に書き込まれるのだと思いました。ルールがなければ、データも書き込むことができないような感じがしました。ルールというのはとても大切である感じがしました。そしてどんな人にも平等を感じました。そして美しいと感じました

  6. こはな より:

    自然音はデータ化できなかったので、入れられなかったのだと思います。もりけんさんの曲は譜面になり、データ化されるのだと思います。・・運命の制作も、今もりけんさんがしていることのように行われているのかもしれないと思いました。一つの譜面が作られ、ほかの譜面がまた作られる時も、ルールが基になっていて、また、未来の時間に再現することもあるのかもしれないと思いました。

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