私の調査によれば、死んでも今のままの姿です。
この世からあの世に送金してもらうことも可能です。
つまりこの世の金運があの世にも関係します。
あの世で楽しむのは、今のままの私です。
この世のことはあの世に行っても「清算」されません。
しかし出産と同時にガラリと変わります。
あの世で金儲けしても、そのお金は持ってこれません。
でもスープを飲まなければ、ふたつだけ持ってこれます。
「持続している私」という感覚と「前世記憶」です。
このふたつは情報だと思います。
情報は清算されないのです。
森田さんの調査によれあ死んでも今のままで送金してもらうことも可能でこの世の金運があの世にも関係するんだなと思いました。どこでもこの世を精算するような箇所はなく出産と同時に送金もなくなるし あの世の金儲けも持って帰ってこれないのだなと思いました。その際に2つだけもってこれるのが「持続してる私」と「前世記憶」で…この2つが持ってこれられるのは情報だからなのだとおもいました。私はこの世の体験から…お金もなにか一種の情報かなと想ってたんだけどなんか私や記憶とは性質が違うみたいだなと思いました。記憶と私とは…実はとても不思議なものなのだと感じました。…記憶は時に都合よくつかわれたりするきがするけど(忘れてやり直すとか 学ぶとか)なんか…現世だけではわからない…ものすごく不思議な現象伺ってるのだと思います
死んだあとも今のままの私がいて今のままの生活があって、死んだことすら気づかないほどにそっくりなあの世を作った神は、この世に生まれ変わる瞬間に全く別人になる仕組みも作ったのだと思います。本当の異変が起こるとき、スープを飲んでいれば持続している私という感覚も前世記憶も忘れてしまい、スープを飲まなければそのふたつだけもってこれるようにしたのも神です。スープを飲んだとしてもそのふたつが精算されるわけではなく忘れてしまうだけで、情報はどこかに保存されてるのだと思います。スープ①の最後に「あの世は優しい」とあった言葉が浮かびました。今まで死が最大の異変で恐怖だと思ってきたのは私という感覚が消滅するかもしれないとか、宗教で言われてきたような裁きがあるかもしれないと思ってきたからです。そんな恐怖も私の消滅もなく、生まれ変わってなお私という感覚と前世記憶は精算されないシステムを作った神は、とても優しいと思いました。神は情報をとても大事にしていて、その情報は私という感覚であり前世記憶でもあって私という存在がとても大事にされてるのを感じます。
私がいまの私でいられるのは、死んだあとのあの世でもなのだと思います。嬉しいです。いまの私はもりけんさんの調査のお話を聞いて、死を超えた、あの世のことまで想像できているので、すごいです。スープを飲まなければ、私は姿かたちが変わっても、私を継続していて、いまの私にとっては思い出が、清算されずに残るのだと思います。それだって嬉しいです。神様がそういうシステムにしている理由を、もりけんさんは追いかけているのだと思いました。
情報は清算されない、それだけで幸せのような気がしました。情報があるのと、ないのとでは全然違うと感じました。情報があれば、自然と問いや視点が変化するような感じがしてきました
前世の記憶と共に私という感覚が情報として残る、これは本当にすごいことだと思います。無くならないものがある、しかも誰にも取られないものだと思います。記憶というものの中の私とたくさんいつでも会えるというのが自分の孤独を孤独じゃ無くすと思います。それがとてもいいと思いました。誰かが自分の人生を評価しない、もし評価するとしたらそれは「私」かもしれません。「生まれ変わりの村」の情報をこんなに考察しているからこそ、その消えない私を知ったのはとても嬉しいと思います。