映画「生まれ変わりの村」・・審判をしたがるのは人間だけだ(その4)

2015/03/08 10:47 AM

  
 「神との対話」の続きです。
 神は言いました。
「審判をしたがるのは人間だけだ」
 これは、人は自分の価値観で他の人を裁くことを言っています。
 同様なことは祈りにも言えます。
 私は祈りほどのエゴは無いと思います。
 世界に60億の人間がいるとすれば、私は60億分の一のはずです。
 もしも神が祈りを聞き入れるとすれば、そのバランスが崩れます。
 それぞれの人はそれぞれの思いを持って生きているのに、祈りは、神という「増幅器」を使い、それを自分の思いのために使用するのです。
 これほどのエゴはありません。
 私が神に目覚めたのは高校生です。
 それ以来、一度も祈ったことはありません。


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コメント

  1. 小町 より:

    祈りは優劣線の上にあるんだと思いました。自分は何もしないでいい、神をも使うのは自分のため、それをいいことに思ってしまう自分、エゴの塊だと思います。祈る行為に優位性を出していたことに気がつきます。

  2. まりん より:

    もりけんさんの問いかけはめちゃくちゃ優しいです。それは神の視点から見てるからじゃないかって思います。神を自分のための手段にしてるのにブチ斬れてるからです。私たちが自分を手段にして目的を達成する人生を生きようとするのにブチ斬れてるのと同じだって思いました。物理の方程式を作った神も、その方程式が作用してるこの世界も、優劣もなければ誰1人否定されてないのに、なんで人が人を裁くの?なんで神を手段にするの?毎朝の書き込みから自分の問題だって、ものすごく感じます。

  3. まるこ より:

    うわ~~~、ほんとです。めちゃめちゃエゴです。神さまが創った超多彩な宇宙の中で「他の色はどうでもいいからもっと私色を増やしてね」と願掛けする行為が祈りです。「どうでもいい」くらいだったらまだマシです。多くの祈りは「他の色なんて無くしてしまえ」と言わんばかりだと思います。そんなことにも気づかず、自分も今まで祈りを捧げてきたんだと思うと愕然とします。その内容が例えどんなものであってもエゴにしかならないのが祈りなんだと思いました。

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