昨日は、自分が外からの旋律に乗っ取られている間は、問いが生まれないと書きました。
今回初めて作曲をしているわけですが、曲を考えるのも問いではないのです。
そのメロディしかダメだというのになっていくからです。
作詞は多くのフレーズから選ぶことができます。
その行為は、作曲では、無いです。
しかも「それしかない」というメロディが降りた時、はまり具合は最高です。
最近は曲先が99%だそうです。
ということは、運命がメロディを支配し、メロディが世の中を支配しているとも言えます。
メロディに、聞く側はすっかり乗っ取られてしまって問いが生まれないだけでなく、作る側も問いではなく降りてくるのをまつだけなのだと思いました。まるですでにあるメロディを自動受信してるみたいです。作り手が作りだしてる感じがしないです。それは、元々の運命から降りてきたメロディだからかもしれないと思いました。運命と直結してるメロディが降りてきたとき、それしかダメなくらいにぴったりとはまって、問いの出る幕はない。。。けれど、メロディにのせる歌詞なら問いによってフレーズを選ぶことができるんだと思います。大元は運命。。。その運命にぴったりはまってるメロディの場に、作る側も聞く側ものっとられて生まれてくるのは独創性ではないのだと思います。作曲家は運命どおりのメロディをキャッチして表出してるみたいです。そうとは知らず、メロディにずっと支配されてきたのが私たちなのだと思います。運命もその存在には気づかず支配されてきたのだと思います。メロディの心地良さに陶酔したり、運命通りでも自由に生きてるように感じるほど、私たちはメロディや運命に乗っ取られていたくて、そこでは問いは生まれようもないと思いました。問いを引き出す作詞は、こうして運命やメロディの性質にも気づかせてくれます。人生にどんな詞ををのせるか?次第で、ものすごく大きな違いが出てくるのだと思いました。もりけんさんの詞は、そんな運命やメロディの大元まで切り込んでいくほどの問いを引き出してます。けれど私は運命やメロディに乗っ取られたままの詞を載せて、自由だと思いこんできたのだと思いました。
もりけんさんの作詞・作曲は、詞先 だったと思います。テーマがあり、 歌詞を生み・・歌詞に合うメロ ディーを、降ろしていたのだと思いました。曲が降りてきたあとは、曲に合わせて、歌詞の世界観のぴったりの表現に調整されたのだと思いま す。生まれ変わりの村のこと、仙人の世界観は、もりけんさんの調査や体験で出会ったもので、私も含め、 沢山の方が未知のことだと思いまし た。だから、この歌詞の運命のメロ ディーが降ろされてきたのだと思いました。この世界に未知のものだと 思いました。
運命がダイレクトに人間を支配しているのではなくて、運命はメロディを支配して、そのメロディが世の中をそしてその中にいる人間を支配している感じがしました。運命がどのように人間を支配しているのかの、突破口を感じました