昨日は、選ぶことができない運命がメロディのように流れ、そこにどういう詞を載せるかは本人次第だと書きました。
きょうは音楽と問いについて考えました。
歌詞に問いを持つことはできます。
ああだこうだと持論をかますことができるからです。
しかし曲に関しては、よほどのことがないと問いを持てません。
これは意識も無意識も、曲に乗っ取られているからだと思います。
自分が外からの旋律に乗っ取られている間は、問いが生まれないのです。
もしかして音楽がこれだけ普及したのは、それが原因かも知れません。
メロディだけの音楽を聴いていて、問いをもったことないです。むしろそのメロディの世界にどっぷりなってます。メロディと歌詞を聞いても同じです。歌詞の意味よりもそのメロディから沸いてくる感情にどっぷりなって、歌詞は二の次になってます。歌詞が聞き取れなくて、なんて歌ってるのだろう?とか、歌詞の意味がよくわからなくても、そのまま聞き流してます。けれど、メロディなしに、歌詞だけを見たら、どういう意味だろうとか、問いが出てきます。そう思うと曲の影響はものすごいです。自分ではそうとは気づかず、流れるメロディに乗っ取られてしまってるからです。昨日までの気づきでの、人生にどんな歌詞をのせるかは自分次第だとしても、メロディに乗っ取られていたら、詞を1文字から2文字に変えてみたらどうか?という問いも生まれず、詞を変えることもないのかもしれません。運命というメロディに、どういう詞をのせるかは本人次第だけれど、そのキーは問いかもしれないと思いました。問いが生まれないのは、すでにメロディと一体化してしまってるからだと思いました。
意識も無意識も曲という運命に乗っ取られている間は、問いというものが生まれない感じがしました。問いが生まれるまでの解明を感じました。生まれ変わりの村の主題歌は、作っていく過程にも問いが生まれると感じました
音楽には問いが生まれにくいは本当にそうだと思います。歌詞の違いには問いが出てくるのはアナ雪の主題歌の挿入歌とエンドソングの違いもメロディではなく歌詞の違いで、歌詞検索サイトでメイジェイのエンドソングが1位になってしまったと思います。それでも気が付きにくいと思います。メロディには逆らえないものがあると思います。
音楽のメロディーは思考させないで、頭の中を占めてしまうのだと思います。意識も無意識も、メロディーでいっぱいになる・・問いが生まれなくなってしまうのだと思います。