映画「生まれ変わりの村」主題歌 人生においてどういう詞を載せるかは本人次第

2014/07/29 6:22 AM

  
 昨日はメロディが運命だとすれば、歌詞は選べる人生だと書きました。
 その理由は、メロディは無意識で聴き、歌詞は意識で聞くからだと思います。
 メロディを聞いて湧き上がる感情をコントロールするのは難しいです。
 でも歌詞はあとから吟味できます。
 これを人生に当てはめれば、選ぶことができない運命がメロディのように流れているのですが、そこにどういう詞を載せるかは本人次第だと思うようになりました。


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コメント

  1. まりん より:

    メロディは変わらなくて運命そのものだとしたら、そのメロディの仕組みを譜面として見て音符がいくつあるかで、文字を1つにするか2つにするか選べるように、メロディのことを知ってはじめて選ぶことができると思いました。今日の仮説はさらにつっこんで、運命を選ぶことはできなくてもどんな詞をのせるかは本人次第。。。ものすごい発見です。これまでは、無意識に0,5秒遅れる意識はすべてガチガチに決まってるように思ってました。無意識は変わらないまま運命通りだけど意識はあとから吟味できて変えることもできる。。。それは無意識という運命を知ることが前提だと思いました。メロディを構成してる音符を知ることで歌詞を吟味できるように、運命の仕組みを知ることで意識はどんな詞をのせるかを吟味できる。けれど、私たちのほとんどが運命の仕組みを知らずに好き勝手な詞をのせてるように錯覚してきたのかもしれません。きょうの発見も無ければ、無意識と意識の関係も知らないまま。。。運命通りを生きてるのかもしれません。運命の仕組みを知るほどに、運命も感情もそのまま変わらなくても、こうしてこの情報を発見できるのは意識のおかげ。。。どこまでもわかったつもりにならないもりけんさんの視点の鋭さにうなってます。

  2. なんしぃ より:

    同じ運命だとしても、もしも前世の記憶を持っていたら、自分がもう一度子供になったとしたら、と考えてみると、相手に対して環境に対して、言葉を吟味するような気がしました。無意識の配下だとしても、情報が増えることで、言葉が変化する気がします。子供であったとしても、大人の視点があれば、他人に対して発言する言葉をとても吟味する気がしました。自分のことばかり考えることはしなくなっていく可能性があると感じました

  3. 小町 より:

    湧き上がる感情を自分で感じて、それを何とか自分の言葉にしたいとなっている毎日だと思います。メロディは絶えず聞こえてくると思います。そのメロディに自分なりの詞が当てはめて自分の運命を奏で始めるようだと思います。その人の持ち味は少しの違いで出てくるから歌も違ってくるって、すごいと思います。

  4. こはな より:

    メロディーは運命・・無意識に聴いて従っているのだと思います。歌詞はメロディーの上で表現されるのだと思います。メロディーと歌詞がピッタリとかもうまれるかもしれないと思いました。

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