映画「生まれ変わりの村」主題歌 自然音では乗っ取られない 2014/08/01 6:14 AM 音楽は人の感情を乗っ取ると書きましたが、では自然音はどうでしょうか? 自然音では、感情は乗っ取られないと思います。 美しいと感じてもそれは一瞬です。 音楽が連続的なアナログの積み重ねなら、自然音はデジタルなパルスの連続のようです。 以前、主題歌の中に自然音を使おうかという議論をしましたが、それはナンセンスでしょう。 なぜなら自然音が出てきたとき、リスナーは我に返るからです。 音楽は、あくまでリスナーを陶酔させていないといけないのです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「生まれ変わりの村」主題歌 運命がメロディを支配し、メロディが世の中を支配している 映画「生まれ変わりの村」主題歌 自然音は調和していないので、相合現象が起こらない » コメント まりん より: 2014/08/01 09:53 風の音や、鳥のさえずりや、水の流れる音を聞いても、気づいた一瞬だけは反応するけれど、感情を乗っ取られるまで支配されることはないです。けれど音楽はすっかりそのメロディの世界にはまってしまいます。音楽がこれだけ世界に普及してるのも、そのメロディにすっかり感情を乗っ取られて心地良さを感じるからなのだと思います。一方で自然音はもともと自然界にあった音だけど、そこには陶酔したり乗っ取られることがないから、音楽が生まれたのかもしれません。一定のリズムやルールのもとで感情を高ぶらせたり、癒やすような効果があることを発見したのかもしれないと思いました。それは自然音にはない音楽だけの性質で、感情を乗っ取るため、乗っ取られるために生まれてきたとしたら、自然音の出てくる音楽はありえないと思いました。 アナログとデジタルの視点に理系を感じます。感情を乗っ取るのに、連続と不連続の違いはとても大きいのだと思います。連続した音楽に乗っ取られても不連続の自然音は我に返るのは、感情にそういう性質があるからなのかもしれないと思いました。 なんしぃ より: 2014/08/01 22:13 自然音が出てきたときに、リスナーは我に返るのだと思いました。乗っ取られていた状態から我に返る感じがしました。自然音はアナログだと思ってきましたが、デジタルなパルスの連続なのだと思いました。アナログとデジタルのイメージが逆転した感じがしてきました 小町 より: 2014/08/01 22:33 陶酔するのは譜面で構成する音楽じゃないと出来ないんだと思いました。自分の力では陶酔するのは難しいと思います。自然音は自分にとても近い音だと思いました。これらの音に囲まれているから孤独じゃないと思います。音楽はその自然音を遮断してくるから、陶酔すると思います。もりけんさんの書き込みで自然音を聴くと我に返るとありました。正気になると音楽以外の音が周りを伝えているのがわかってくるのも私という存在は周りの影響なしでは考えられないものだと思いました。音楽は無くても生きれるけれど、自然音は無くなると生きていけないものだと思います。 どせい より: 2014/08/01 23:17 人が作った音楽と、自然音との違いで、こんな違いがあったのですね。・・何だか、これもすごい気付きではないかと思います。 外側の自然音というのは、乗っ取られないのだと思います。美しいと感じたとしても・・それは一瞬なのだと思います。そして、また自分の世界に戻ってしまうのかもしれないです。音楽と自然音というのは、内側と外側くらい違うと思います。 自然音は、デジタルパルスなのだと思います。基本的に、一瞬だと思います。それが連続して、それぞれ聞こえているだけなのだと思います。だから、自然音では乗っ取られないのだと思います。 こはな より: 2014/08/02 01:13 セミの鳴き声が聞こえてきたので耳を傾けてみました。少し高い音に突然切り替わったりしてます。ずっと鳴り響いても、音が微妙に変化して聞こえます。楽器の音にはないような音がしています。陶酔と逆で、我に返す・・無意識は自然音が聞こえると、すぐに意識にのぼらせているのかもしれないと思いました。
風の音や、鳥のさえずりや、水の流れる音を聞いても、気づいた一瞬だけは反応するけれど、感情を乗っ取られるまで支配されることはないです。けれど音楽はすっかりそのメロディの世界にはまってしまいます。音楽がこれだけ世界に普及してるのも、そのメロディにすっかり感情を乗っ取られて心地良さを感じるからなのだと思います。一方で自然音はもともと自然界にあった音だけど、そこには陶酔したり乗っ取られることがないから、音楽が生まれたのかもしれません。一定のリズムやルールのもとで感情を高ぶらせたり、癒やすような効果があることを発見したのかもしれないと思いました。それは自然音にはない音楽だけの性質で、感情を乗っ取るため、乗っ取られるために生まれてきたとしたら、自然音の出てくる音楽はありえないと思いました。
アナログとデジタルの視点に理系を感じます。感情を乗っ取るのに、連続と不連続の違いはとても大きいのだと思います。連続した音楽に乗っ取られても不連続の自然音は我に返るのは、感情にそういう性質があるからなのかもしれないと思いました。
自然音が出てきたときに、リスナーは我に返るのだと思いました。乗っ取られていた状態から我に返る感じがしました。自然音はアナログだと思ってきましたが、デジタルなパルスの連続なのだと思いました。アナログとデジタルのイメージが逆転した感じがしてきました
陶酔するのは譜面で構成する音楽じゃないと出来ないんだと思いました。自分の力では陶酔するのは難しいと思います。自然音は自分にとても近い音だと思いました。これらの音に囲まれているから孤独じゃないと思います。音楽はその自然音を遮断してくるから、陶酔すると思います。もりけんさんの書き込みで自然音を聴くと我に返るとありました。正気になると音楽以外の音が周りを伝えているのがわかってくるのも私という存在は周りの影響なしでは考えられないものだと思いました。音楽は無くても生きれるけれど、自然音は無くなると生きていけないものだと思います。
人が作った音楽と、自然音との違いで、こんな違いがあったのですね。・・何だか、これもすごい気付きではないかと思います。
外側の自然音というのは、乗っ取られないのだと思います。美しいと感じたとしても・・それは一瞬なのだと思います。そして、また自分の世界に戻ってしまうのかもしれないです。音楽と自然音というのは、内側と外側くらい違うと思います。
自然音は、デジタルパルスなのだと思います。基本的に、一瞬だと思います。それが連続して、それぞれ聞こえているだけなのだと思います。だから、自然音では乗っ取られないのだと思います。
セミの鳴き声が聞こえてきたので耳を傾けてみました。少し高い音に突然切り替わったりしてます。ずっと鳴り響いても、音が微妙に変化して聞こえます。楽器の音にはないような音がしています。陶酔と逆で、我に返す・・無意識は自然音が聞こえると、すぐに意識にのぼらせているのかもしれないと思いました。