映画「ワンネス」「和」 運命変更は、いわば、自己超越で起こること 2014/06/16 7:49 AM 昨日は、直観は指揮者を見ていないので運命変更にはつながらないと書きました。 もう少し書きたいと思います。 直観は自分だけの世界なのです。 だからこそ、人々の間では重要視されてきたような気がします。 自分だけの世界ならば、自分の意識等を高めることで対処できるからです。 しかしこれは自己実現のひとつと思います。 運命変更は、いわば、自己超越で起こることなのです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 運命変更のヒントは、実は指揮者から出るのです 映画「ワンネス」「和」 運命変更は、ピースがバラバラになるイメージ » コメント こはな より: 2014/06/16 08:55 指揮者の見える世界は、私とは違う と思いました。私のことも、他の演 奏者のことも見えるし、指揮者は楽 譜は確か見ていなかったと思いま す。演奏している人を見て、指揮をしていると思います。楽譜をガッチ リ見ている時は、自分のパート部分 に意識が向いているのかもしれない と思います。間違えないように・・とか、その事で頭がいっぱいになってしまっている状態だと思います。 だけど・・楽譜にはすべての人の パートが入った全体の運命が書かれ ているのかもしれないと思いまし た。指揮者を見るのは全体をも感じることのように思いました。自分のことを超えて、全体と・・もちろん指揮者ともひとつになった演奏は素晴らしそうだと思いました。 小町 より: 2014/06/16 13:20 自分だけの世界に起こるのが直感で、指揮者のサインはそこからかなり異質なものだと思います。自分のものは馴染みがあります。だから直感を信じることは、自分のやってきたものを見せつけていたいんだと思います。他の誰よりも自分が優れているとする気持ちも直感に繋がりやすいと思ってきます。今までの瞑想とかも直感を鍛えるためのものだと思いました。サインはそれを超えてしまうと思います。自分にこだわるとサインと感じないと思います。指揮者を見る見ないで、そのサインを体感するしないに分かれると思います。体感できた時、こんなに周りに多くのサインに囲まれていることを体感すると思います。オーケストラの一部であるのを素晴らしいと感じてきそうだと思います。 なんしぃ より: 2014/06/16 21:21 直観は当たらないと感じます、直観というのは過去からの思い込みであり、真実を見逃すのだと感じました。運命が決まっているということも、夢という自己実現を持ってしまうと、見えなくなってしまう感じがしました まりん より: 2014/06/16 23:44 指揮者を見ないで譜面だけ見て演奏してるのは、外側のほかの演奏者たちも指揮者も視界に入ってない状態だと思います。譜面を見ながら先を予測するから、直観も譜面通りなのだと思います。逆に譜面がないと、どう演奏していいかすらわからなくなるのが私たちです。その譜面を作ってくれたのも神で、その譜面から外れるのはとても不安で怖いのかもしれません。だから譜面通りに演奏しようと意識を高めてきたのが私たちだと思いました。でも神は譜面を作っただけでなく、指揮棒を振っていて、運命を準備するのと同時に運命変更のサインを送ってるのだと思います。その仕組みにはこれまで全く気づかずに、譜面ばかりを見て今や未来を描いてきたのだと思います。だからこそ指揮者を見るのはものすごい視点移動です。自己実現から自己超越というのは、これまで経験したことのないようなものすごい視点移動を感じます。それができるかどうかも意識ではどうしようもないのかもしれません。けれど、これまでは全く視界に入ってなかった指揮者の存在を初めて知ることができたことはものすごい情報だと思います。
指揮者の見える世界は、私とは違う と思いました。私のことも、他の演 奏者のことも見えるし、指揮者は楽 譜は確か見ていなかったと思いま す。演奏している人を見て、指揮をしていると思います。楽譜をガッチ リ見ている時は、自分のパート部分 に意識が向いているのかもしれない と思います。間違えないように・・とか、その事で頭がいっぱいになってしまっている状態だと思います。 だけど・・楽譜にはすべての人の パートが入った全体の運命が書かれ ているのかもしれないと思いまし た。指揮者を見るのは全体をも感じることのように思いました。自分のことを超えて、全体と・・もちろん指揮者ともひとつになった演奏は素晴らしそうだと思いました。
自分だけの世界に起こるのが直感で、指揮者のサインはそこからかなり異質なものだと思います。自分のものは馴染みがあります。だから直感を信じることは、自分のやってきたものを見せつけていたいんだと思います。他の誰よりも自分が優れているとする気持ちも直感に繋がりやすいと思ってきます。今までの瞑想とかも直感を鍛えるためのものだと思いました。サインはそれを超えてしまうと思います。自分にこだわるとサインと感じないと思います。指揮者を見る見ないで、そのサインを体感するしないに分かれると思います。体感できた時、こんなに周りに多くのサインに囲まれていることを体感すると思います。オーケストラの一部であるのを素晴らしいと感じてきそうだと思います。
直観は当たらないと感じます、直観というのは過去からの思い込みであり、真実を見逃すのだと感じました。運命が決まっているということも、夢という自己実現を持ってしまうと、見えなくなってしまう感じがしました
指揮者を見ないで譜面だけ見て演奏してるのは、外側のほかの演奏者たちも指揮者も視界に入ってない状態だと思います。譜面を見ながら先を予測するから、直観も譜面通りなのだと思います。逆に譜面がないと、どう演奏していいかすらわからなくなるのが私たちです。その譜面を作ってくれたのも神で、その譜面から外れるのはとても不安で怖いのかもしれません。だから譜面通りに演奏しようと意識を高めてきたのが私たちだと思いました。でも神は譜面を作っただけでなく、指揮棒を振っていて、運命を準備するのと同時に運命変更のサインを送ってるのだと思います。その仕組みにはこれまで全く気づかずに、譜面ばかりを見て今や未来を描いてきたのだと思います。だからこそ指揮者を見るのはものすごい視点移動です。自己実現から自己超越というのは、これまで経験したことのないようなものすごい視点移動を感じます。それができるかどうかも意識ではどうしようもないのかもしれません。けれど、これまでは全く視界に入ってなかった指揮者の存在を初めて知ることができたことはものすごい情報だと思います。