映画「ワンネス」「和」 運命変更は、ピースがバラバラになるイメージ 2014/06/17 8:05 AM 昨日は、直観は自己実現だと書きました。 ジグゾーパズルで言えば、通常の演奏はパズルが埋まっていく方向です。 直観も同様で、パズルを埋めていきます。 っていうか「ピッタリのピースがありました的」です。 直観は、運命のどつぼです。 しかし運命変更は、ピースがバラバラになるイメージです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 運命変更は、いわば、自己超越で起こること 映画「ワンネス」「和」 自己超越のレベルに達している人は人口のまだ2% » コメント こはな より: 2014/06/17 08:35 通常のパズルのやり方は運命のどつぼなのだと思いました。だけど、運命変更は・・逆のやり方みたいだと思いました。完成されたパズルを外していく・・みたいなです。完成されたものをバラバラにすることみたいです。 まるこ より: 2014/06/17 15:43 パズルをイメージすると通常の演奏よりも直観の方がより運命のど真ん中という印象を受けました。自己実現という自分の世界を形成する方向性がより強いのが直観であるという感じがしてきました。いままでその直観が持つ方向性に気がつくことなく、あたかもバラバラなピースを持ってきているように錯覚してきていると感じます。先日書いてくださった「安定を好む」という意識の性質から考えると、ほんとうにバラバラであれば、かなり気持ちが悪い状態ではないかと思います。しかし直観はピッタリ感が気持ち良さを生んでいると思います。感じられる気持ちの面からも二つは全く異質なものであると言えるのかもしれないと思いました。 小町 より: 2014/06/17 19:04 ジグソーパズルの例えに唸りました。内側を向いて、直感ではすべては自分の中にあるピースを探すと思います。ピースがある瞬間にバラバラになって、初めて外側に向いて行けば、運命変更を見いだしていると思います。しかしバラバラになったピースを拾い出すことをやってカルマとして考えてしまったと思います。だからずっと運命変更ができなかったと思います。でもそこから違うものが表れてくるのは、自分を外してこそ、見えてくるのだと思います。自分がやっているものなど、パズルのピースにも無いと見て、初めて見えてくるのがバラバラに一見見えるものだと思えてきます。偶然の産物がとても美しいもののようだと思います。 どせい より: 2014/06/17 21:56 直感は、パズルを埋めていくイメージだとしたら、運命変更は、パズルのピースがバラバラになるイメージなのですね。・・すごい例えだと思います。 片や、つじつまあわせで積み上げようとしていて・・、片や、それを再び崩そうとしていると思います。直感と無意識からの信号(指揮者からのヒント)は、言葉だけ聞くと似ているような印象も受けますが、こうやって比較していくと、むしろ真逆ともいえる性質を持っていると思います。直感は、運命どおりにはまっていく性質を持っているのだと思います・・。 なんしぃ より: 2014/06/17 22:10 ぴったりのピースがありましたには、自分がピースをどうにかできる感じがしました。ピースがばらばらになることは、パズルが自分の思いとか願望ではなくて、世界のすべてのことのような感じがしました。パズルは神の設計の感じがしました、神の作ったパズルを見ることができるとしたら、自分からピースがありました、ではなくて自分がピースになる感じもしてきました。ばらばらなピースがそのままで存在しているだけでいいのだと、感じました まりん より: 2014/06/18 00:35 きょうのたとえも、ガツンときました。譜面を見て演奏してるのはまさにピースが埋まっていくイメージです。アナログ的に連続した流れの延長に直観がうまれて、パズルのピースがぴったりはまっていく感じです。パズルを埋めようとするのが内面だとしたら、神の指揮はデジタルにピッピッと振られて、その指揮から出る運命変更のサインもデジタルで、それまで埋めてきたパズルのピースがバラバラになるイメージなのだと思います。アナログの連続した流れに、いきなりデジタル信号が介入してきて流れが一変するような感じです。ピースを埋めようとする意識に直観が起こるけれど、ピースがバラバラになるようなサインはキャッチすらできないのではないかと思います。 譜面にはすでに全体のピースが書かれていて、演奏することでピースが埋まっていくけれど、指揮者の神から出るサインは、そのパズルごと投げだすような感じです。譜面を見てたらもちろんキャッチできないけれど、指揮者を見ていたとしても、その指揮棒から出るサインは、ものすごく衝撃です。意識で積み上げたものを一瞬でバラバラにするからです。無視してしまうか、気のせいだと言い訳してしまいそうです。 運命変更はピースがバラバラになるイメージだというのは、立川駅の声も富士通のセピア色もまさにそうだと思います。もりけんさんにしか気づけない指摘だと思いました。
通常のパズルのやり方は運命のどつぼなのだと思いました。だけど、運命変更は・・逆のやり方みたいだと思いました。完成されたパズルを外していく・・みたいなです。完成されたものをバラバラにすることみたいです。
パズルをイメージすると通常の演奏よりも直観の方がより運命のど真ん中という印象を受けました。自己実現という自分の世界を形成する方向性がより強いのが直観であるという感じがしてきました。いままでその直観が持つ方向性に気がつくことなく、あたかもバラバラなピースを持ってきているように錯覚してきていると感じます。先日書いてくださった「安定を好む」という意識の性質から考えると、ほんとうにバラバラであれば、かなり気持ちが悪い状態ではないかと思います。しかし直観はピッタリ感が気持ち良さを生んでいると思います。感じられる気持ちの面からも二つは全く異質なものであると言えるのかもしれないと思いました。
ジグソーパズルの例えに唸りました。内側を向いて、直感ではすべては自分の中にあるピースを探すと思います。ピースがある瞬間にバラバラになって、初めて外側に向いて行けば、運命変更を見いだしていると思います。しかしバラバラになったピースを拾い出すことをやってカルマとして考えてしまったと思います。だからずっと運命変更ができなかったと思います。でもそこから違うものが表れてくるのは、自分を外してこそ、見えてくるのだと思います。自分がやっているものなど、パズルのピースにも無いと見て、初めて見えてくるのがバラバラに一見見えるものだと思えてきます。偶然の産物がとても美しいもののようだと思います。
直感は、パズルを埋めていくイメージだとしたら、運命変更は、パズルのピースがバラバラになるイメージなのですね。・・すごい例えだと思います。
片や、つじつまあわせで積み上げようとしていて・・、片や、それを再び崩そうとしていると思います。直感と無意識からの信号(指揮者からのヒント)は、言葉だけ聞くと似ているような印象も受けますが、こうやって比較していくと、むしろ真逆ともいえる性質を持っていると思います。直感は、運命どおりにはまっていく性質を持っているのだと思います・・。
ぴったりのピースがありましたには、自分がピースをどうにかできる感じがしました。ピースがばらばらになることは、パズルが自分の思いとか願望ではなくて、世界のすべてのことのような感じがしました。パズルは神の設計の感じがしました、神の作ったパズルを見ることができるとしたら、自分からピースがありました、ではなくて自分がピースになる感じもしてきました。ばらばらなピースがそのままで存在しているだけでいいのだと、感じました
きょうのたとえも、ガツンときました。譜面を見て演奏してるのはまさにピースが埋まっていくイメージです。アナログ的に連続した流れの延長に直観がうまれて、パズルのピースがぴったりはまっていく感じです。パズルを埋めようとするのが内面だとしたら、神の指揮はデジタルにピッピッと振られて、その指揮から出る運命変更のサインもデジタルで、それまで埋めてきたパズルのピースがバラバラになるイメージなのだと思います。アナログの連続した流れに、いきなりデジタル信号が介入してきて流れが一変するような感じです。ピースを埋めようとする意識に直観が起こるけれど、ピースがバラバラになるようなサインはキャッチすらできないのではないかと思います。
譜面にはすでに全体のピースが書かれていて、演奏することでピースが埋まっていくけれど、指揮者の神から出るサインは、そのパズルごと投げだすような感じです。譜面を見てたらもちろんキャッチできないけれど、指揮者を見ていたとしても、その指揮棒から出るサインは、ものすごく衝撃です。意識で積み上げたものを一瞬でバラバラにするからです。無視してしまうか、気のせいだと言い訳してしまいそうです。
運命変更はピースがバラバラになるイメージだというのは、立川駅の声も富士通のセピア色もまさにそうだと思います。もりけんさんにしか気づけない指摘だと思いました。