映画「ワンネス」「和」 運命変更のヒントは、実は指揮者から出るのです 2014/06/15 8:59 AM 一昨日、直観についての書き込みをしたら、それに関する興味が多かったように感じましたのでもう少し書きます。 直観がなぜ運命変更につながらないのでしょうか。 方向性が内面に向いているからだと思います。 内面を向いていると、外側とのつながりが切れます。 演奏者が指揮者をちゃんと見ていない状態です。 もともと書かれた譜面しか見ていないのです。 運命変更のヒントは、実は指揮者から出るのです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 指揮棒を無視して自由に演奏することはできないのでしょうか? 映画「ワンネス」「和」 運命変更は、いわば、自己超越で起こること » コメント こはな より: 2014/06/15 10:03 指揮者は全体を見ていると思いました。私が一つの楽器を担当していても、またはオーケストラ全体が「私」を表していても、譜面だけを見ていたら・・周りとはバラバラになってしまうと思いました。指揮者は、全体、今を見て、指揮棒を振っているのだと思います。ある楽器に向けて、指示を出しているかもしれないし、全体(私を含む)かもしれないです。美しい演奏、素晴らしい演奏・・指揮者が見る全体から繰り出されている指揮が、運命変更のヒントなのだと思います。 どせい より: 2014/06/15 10:29 直感が、なぜ運命変更に繋がらないのか・・演奏者が内面を向いていると、外側とのつながりが切れて、たとえるなら、元々書かれた譜面を見ているだけの状態のようなものなのですね。とても、わかりやすいです・・・。これでは、運命変更どころか、書かれた譜面に沿って演奏するだけで、精一杯になってしまうと思います。 むしろ、運命変更のヒントが、実は指揮者から出ているというのは、ショックというか、すごい視点の切り替えで、びっくりしました。思いもよらなかった・・・です。でも、指揮者は、全体を見ていると思います。そして、指揮もオーケストラ全体に対して出していると思います。だから、もし指揮者が、演奏者の様子を見て、棒を振るタイミングを変えてきたら、みんながまた、それに合わせて、演奏を変えると思います・・。演奏者が、一人で何かを変えようと思っても、変えるどころか不協和音となってしまいますが、もし指揮に添って一緒に変えて行ければ、全体が変化すると思います。 小町 より: 2014/06/15 19:17 自分の譜面だけしか見えないことで、指揮者がいることも考えていないと思います。考えてみれば、譜面を見出したことも自分の才能だとなりやすいんだと思いました。直感はこの状態でいるから、運命にもすごく忠実になりやすくて、変わらないままだと思ってきます。指揮者が見えていないから、サインも気が付かないというのが、わかりやすいと思いました。楽譜があるから、内面を磨くし、過去だけの成果を築きやすくなると思います。いくら指揮者がサインを出しても、お構いなしな自己流でいっていたと思いました。 なんしぃ より: 2014/06/15 22:25 日本人はもともと、直観を重視していなかった気がします。互いに支え合い、助け合い、自分のことよりも他人やお陰様を大切にして、目に見えないご縁をとても大切に、明日はどうなるかわからない今日一日を生きてきた気がします。日本人は全体感覚を持ち、個をあまり出さないように感じます。それは視点が内面に向いていない感じがしてきました。普段からそのように生きてきたから、どんな危機的状況下であっても、日本人は日本人であり続けることができているように感じます。視点がずっと神の指揮を見ている感じがしてきました まりん より: 2014/06/16 00:31 無意識からの通信と直観とは違うというお話がありました。どちらも同じだと思いこんできたのは、意識と無意識のことを何も分かってなかったからだと思います。無意識からの通信というのは、外側とのつながりからくるもので、指揮者である神からそのヒントがくるものなのだと思います。けれど、直観は三次元での生活の延長上でのひらめきで、それ以外のひらめきがきても無視するか、気づくことすらできないと思います。オーケストラの喩えがとてもわかりやすいです。譜面だけをじーっと見てるのが私で、指揮者の指揮をちゃんと見てないのだと思います。指揮を無視して自分で譜面を見て演奏するのを、自由だと勘違いしてきたのだと思います。けれど、意識は無意識に0.5秒遅れているから、意識も譜面も結果でしかないのだと思いました。指揮者である神の性質を知ることが、運命変更のヒントにつながる、それは指揮者を見つめてる状態だと思いました。 きょうの問題提起も、私たちのレスからの興味に反応して生まれたもので、直観がなぜ運命変更につながらないのかも、ヒントが指揮者から出てることも、気づいてなかったことに気づきました。内面ではとても気づけないけれど、こうして外側からの情報があって初めて気づくことができます。
指揮者は全体を見ていると思いました。私が一つの楽器を担当していても、またはオーケストラ全体が「私」を表していても、譜面だけを見ていたら・・周りとはバラバラになってしまうと思いました。指揮者は、全体、今を見て、指揮棒を振っているのだと思います。ある楽器に向けて、指示を出しているかもしれないし、全体(私を含む)かもしれないです。美しい演奏、素晴らしい演奏・・指揮者が見る全体から繰り出されている指揮が、運命変更のヒントなのだと思います。
直感が、なぜ運命変更に繋がらないのか・・演奏者が内面を向いていると、外側とのつながりが切れて、たとえるなら、元々書かれた譜面を見ているだけの状態のようなものなのですね。とても、わかりやすいです・・・。これでは、運命変更どころか、書かれた譜面に沿って演奏するだけで、精一杯になってしまうと思います。
むしろ、運命変更のヒントが、実は指揮者から出ているというのは、ショックというか、すごい視点の切り替えで、びっくりしました。思いもよらなかった・・・です。でも、指揮者は、全体を見ていると思います。そして、指揮もオーケストラ全体に対して出していると思います。だから、もし指揮者が、演奏者の様子を見て、棒を振るタイミングを変えてきたら、みんながまた、それに合わせて、演奏を変えると思います・・。演奏者が、一人で何かを変えようと思っても、変えるどころか不協和音となってしまいますが、もし指揮に添って一緒に変えて行ければ、全体が変化すると思います。
自分の譜面だけしか見えないことで、指揮者がいることも考えていないと思います。考えてみれば、譜面を見出したことも自分の才能だとなりやすいんだと思いました。直感はこの状態でいるから、運命にもすごく忠実になりやすくて、変わらないままだと思ってきます。指揮者が見えていないから、サインも気が付かないというのが、わかりやすいと思いました。楽譜があるから、内面を磨くし、過去だけの成果を築きやすくなると思います。いくら指揮者がサインを出しても、お構いなしな自己流でいっていたと思いました。
日本人はもともと、直観を重視していなかった気がします。互いに支え合い、助け合い、自分のことよりも他人やお陰様を大切にして、目に見えないご縁をとても大切に、明日はどうなるかわからない今日一日を生きてきた気がします。日本人は全体感覚を持ち、個をあまり出さないように感じます。それは視点が内面に向いていない感じがしてきました。普段からそのように生きてきたから、どんな危機的状況下であっても、日本人は日本人であり続けることができているように感じます。視点がずっと神の指揮を見ている感じがしてきました
無意識からの通信と直観とは違うというお話がありました。どちらも同じだと思いこんできたのは、意識と無意識のことを何も分かってなかったからだと思います。無意識からの通信というのは、外側とのつながりからくるもので、指揮者である神からそのヒントがくるものなのだと思います。けれど、直観は三次元での生活の延長上でのひらめきで、それ以外のひらめきがきても無視するか、気づくことすらできないと思います。オーケストラの喩えがとてもわかりやすいです。譜面だけをじーっと見てるのが私で、指揮者の指揮をちゃんと見てないのだと思います。指揮を無視して自分で譜面を見て演奏するのを、自由だと勘違いしてきたのだと思います。けれど、意識は無意識に0.5秒遅れているから、意識も譜面も結果でしかないのだと思いました。指揮者である神の性質を知ることが、運命変更のヒントにつながる、それは指揮者を見つめてる状態だと思いました。
きょうの問題提起も、私たちのレスからの興味に反応して生まれたもので、直観がなぜ運命変更につながらないのかも、ヒントが指揮者から出てることも、気づいてなかったことに気づきました。内面ではとても気づけないけれど、こうして外側からの情報があって初めて気づくことができます。