高校紛争の件は本日で終わりにしたいと思います。
なので、まとめをします。
私の高校は穏便でした。
もっと激しい高校は沢山ありました。
バリケード封鎖をして機動隊が導入され、新聞に載る高校もありました。
私の高校は二学期の授業が無くなり、期末テストも無くなった…その程度です。
しかし15年経って「負の遺産を分析しなくてはならない」という本が教師によって出版されました。
なぜでしょうか?
私の仮説を書きます。
私の高校はユートピアだったのです。
すでに書いたように当時の都立高校の中では唯一の服装自由高でした。
出欠も取りません。
一年から二年になるときクラス替えがありましたが、学校側が生徒の投票に託しました。
極めて民主化されいた高校でした。
しかしそんなユートピアでも紛争が起こったのです。
生まれ変わりの村の写真もう一度出します。
洞窟生活をしています。
それに比べて私たちは文化的な生活をしています。
これ以上改革、あるいは前進する必要があるでしょうか?
改革して前進して発展することで自由を獲得できると思ってきましたが、生まれ変わりの村の写真を見て何も自力で変えようとはしていない姿を感じユートピアというものの既存の概念が崩れました。自力で自分の思い通りに環境を変えることは改革であり根底には今の否定があると感じました。今を否定している限り、幸せ感は永遠にやってこない感じがしました。生まれ変わりの村は今を大切にしていると感じました。今を変えようとか改革しようとか思っていない生活を感じ、今を否定しないから今が幸せと答えられているように思いました
改革も前進もユートピアを目指しているのだと思います。でももりけんさんの高校は既にユートピアでした。だから紛争の時代にあっても穏便なままに終わったのだと思いました。ユートピアも幸福も、目指している間は決して手に入らないのだと思いました。それは、目指すという行為そのものが、不平不満を生きることだからなのだと思いました。今の私たちの文化的生活は、ある意味、不平不満を原動力に生きてきた結果なのだと思います。自分たちより文化的な生活をしている人々が居ると知ったときから、国をあげてずっとそういう生き方をしてきたのだと思います。でももしかしたら、もりけんさんが以前ブログで書かれていたように、私たちが住むこの日本ももりけんさんの高校と同じで、もともとユートピアだったのかもしれません。でも、太平洋の向こう側から黒い船がやって来た頃からかどうかは分かりませんが、ずっと長い間、改革と前進を生きてきたのだと思います。でも、もうそろそろ私たち日本人は元々ユートピアに住んでいるのだということに気が付いても良いのではないかと思いました。それが日本人が日本人として生きるということにも繋がるのではないかと思いました。もりけんさんを通じて日本は生まれ変わりの村に出会いました。洞窟生活の生まれ変わりの村との出会いは、もしかしたら日本が元々ユートピアであるということに私たちが気づく、あるいは気づきなさいよという外応なのかもしれない。そんな風にも思えてきました。
もりけんさんの高校は紛争が起きたと言っても他の高校よりは穏便だったけど、先生は「負の遺産を分析しなくてはならない」という本を書かれたのだと思います。その本を書かれた先生にとって、このユートピアのような高校で紛争が起きたことはとても衝撃だったのではないかと思います。
服装も自由で、出欠も取らないなど、それまでの小中学校、そして他の高校に比べ、とても自由な校風で、それが問題なく行われているのは、先生、生徒、そして保護者・・お互いの信頼関係があってこそだと思います。そしてその三者が皆満足な状態だったんだと思います。そんなユートピアな状態の高校でも、改革の大きな波がやってきたとき、紛争は起きたのだと思います。
生まれ変わりの村の洞窟の生活は決して便利とは言えないかもしれないと思います。それでも生まれ変わりの村の方々は、今で充分満足で、これ以上いい生活をしようとか思ってないのだと思います。とっても便利な生活をしている私たちの方が不満を持ってるのだと思います。改革というのは、どんな状況でも、もっと・・と思う気持ち、不満を持ってしまえば起こるものみたいに思いました。
今の私たちの生活は、生まれ変わりの村の人にすれば、どこが不満なの?それ以上どうなりたいの?と思われそうだ・・と思います。
高校紛争激しかったんですね。そんな中もりけんさんの高校はユートピアだったのだと思います。それでも改革が生まれ、負の遺産が出来たのだと思います。生まれ変わりの村では洞窟生活で厳しいものがありますが、幸福度は高いのだと思います。なぜこうも違ってしまうのかと思いますが、もりけんさんのおかげでつなげてくれた方々、証言して下さった方々のおかげで生まれ変わりの村を知ることが出来、わたしたちにも可能性が出て来たのだと思います。新しい別の見方が外からやってきてくれた。これ以上前進する必要はあるのかと問いを持つだけでいいのかもしれないと思いました。感謝の気持ちがわいてきます。
改革を目指した先生のおひとりが、15年後その紛争について残された証言は「負の遺産を分析しなくてはならない」だったのだと思います。それは改革の結果が、負の遺産だということです。とても貴重なデータだと思います。私たちはずっと改革は良いものとして学び、歴史でも改革が繰り替えされてきたからです。そんな改革が負の遺産を残したことに気づくことも分析することもしてません。改革が不満と同じこと、改革は負の遺産を残すことを知りました。それでも改革したいか?と言われたら、ノーと言いたいです。そのためには、改革派の私がいることに気づくことからなのかもしれないと思いました。