教師が改革委員会を作ったことは昨日、書きました。
その委員長が私のクラスの担任でした。
だから担任と私は激しく討論しました。
月日は流れて私は大学に入り、最初のクラス会が開かれました。
二次会で担任は僕に言いました。
「森田君、専門をしっかり勉強しろよ」
うーむ、せっかくカトリックの大学に入ったのだからその気はありません。
私は宗教学を取りまくっていました。
父は担任とは逆のことを言いました。
「健よ、大学に入ったからといって専門を勉強する必要はないんだぞ。裾野を広げることをしろ」
これって改革派と非改革派の違いかも知れません。
目的を絞り邁進する・・これは専門家になることだと思います。
裾野を広げる・・これは好奇心にも結びつきます。
非改革思想はどこにいってもずっと非改革でいることができるように感じました。大学という専門を勉強するところに行ったとしても、専門ばかりを学ぶ必要もないのだと思いました。そのことに視点を変化させてくれるような大切な言葉をもりけんさんのお父さんの言葉から感じ、とても感動しました。視野が広いことや裾野が広いことは既存の常識や価値観にとらわれないで生きるという勇気を感じました。現場で今を大切に生きている様子を感じました、進んだ進路で今しかできないことを全力でしている様子を感じました
記事がアップされて嬉しかったです。専門になったり改革することはそれだけ見えていて、まわりに気づきにくい状態になるんだなと考えるようになりました。そこが良くてもバランスがとれていなければ意味が弱くなると思います。裾野を広げる意識だと知らないことに出会いやすくて楽しいと思います。わたしも言うなら裾野を広げるように言いたいです。それをいわれたお父様は素敵だと思いました。
専門をどんどん深めてそちらに進むことは、他のことを切り捨てることになるんだと思います。今よりもっと・・と階段を上ってる感じがします。お父様の言われるすそ野を広げる・・というのは、その正反対で、切り捨てるどころか、まだ未知の色々なものに出会う可能性を持ってると思います。今よりもっと良くしようとする改革派と専門を勉強するということが同じ思考の元にあるということを、もりけんさんのお話で知ることが出来ました。すそ野を広げろと言われたもりけんさんのお父様はやはりすごいです。そのままでいい・・・という非改革の考えは、お父様はじめ、もりけんさんのご家庭がそうだったのではないかと思います。
大学は専門を勉強するところという思いこみがすごくあります。だから、お父さまの言葉はグッときます。専門に向かうのは、頂点を目指すことです。それでいいの?って問われてるようで、とても考えさせられました。専門とは直接関わらない宗教学をとりまくった森田さんはずっと裾野を広げ続けてます。個視点では頂点しか見えないかもしれないけれど、神の視点では頂点なんてなくてどこまでも裾野が広がってるのかもしれないと思いました。
もりけんさんは高校生の時、相手が先生であってもご自分の意見を臆することなくぶつけ、激論されたのだと思います。大学時代に高校のクラス会があって、その担任の先生と再会したのだと思います。先生は専門をしっかり勉強することを勧め、反対にもりけんさんのお父さんは裾野を広げることを勧められたのだと思います。もりけんさんのお父さんはとても視野の広い方なのだなと思いました。改革することは、目的を据えて向かっていくことで、専門化と相似なのだと思いました。裾野を広げていくことは、好奇心が初動になるのだと思いました。