映画「ワンネス」 負の遺産を分析しなくてはならない

2013/08/14 8:20 AM

 
 私の手元には「負の遺産を分析しなくてはならない」という本があります。
 紛争後、15年も経ってから、当時の教師が書いた本です。
 これを読むと面白いのは教師の側の様子を知ることができるのです。
 教師も大半は改革派だったのです。
 改革委員会なるものを組織していたのです。
 非改革的な意見の教師は詰め寄られたりしていました。
 こうして改革は「善」になったのです。
 しかし・・です。
 本の題名は「負の遺産を分析しなくてはならない」になっています。
 あのとき改革を誰も止めることができませんでした。
 私は中学の時、生徒会長に立候補して大差で落ちています。
 それがトラウマになり、全校生徒の前で喋ることなんて怖くてできません。
 でもクラスで非改革を言い続け、卒業討論会はクラス代表に選ばれました。
 全校生徒の前で私が意見を言えば、他のクラスの生徒からは罵声しか飛んできませんでした。
 でもあのとき、非改革の意見を言えことは、私の誇りのひとつとなりました。


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コメント

  1. 浅葱色の苔 より:

    本当の格好よさって、そのときは格好悪く見えるものなのかもしれない。時流に逆らっている姿は今風じゃないから受け入れがたいと感じてしまう。革命や改革という言葉には現状を打破し、より良い未来を作るといった心地よさを感じさせてくれ、その言葉の中にいることで陶酔できてしまうような気がします。別段不満らしい不満もない時に不満を見出す行為は、幸せである現在を否定し、幸せから逃げようとしている姿と感じます。幸せを求めながら、幸せであることに恐れを抱くことが不満を探してしまうのかも知れないと感じました。周りの人達が改革という心地よさの中に浸っているときに、改革不要言動を取り続けることは非常に難しく厳しいことと感じます。改革に対する反発ならまだ理解されることもあったかと思うのですが、改革不要は改革に陶酔している人達の感情をバッサリ斬っているからです。周りと自分の弱さに流されないでい続けたことに敬服します。

  2. なんしぃ より:

    教師の側にも改革派がいたことにひっかかりました、学校側としては紛争を生徒が起こさないようにしていたから自由にしていたと思っていましたが、その自由も改革的な発想からの自由のようにも感じてきました。教師側も改革派がいて改革が善だといいはじめたら非改革の教師は否定されるしかなかったように感じました。起こしたくない紛争をとめれなかったのは改革というものが善であるという価値観のようなものが非改革を悪ととらえてしまったように感じました。善をつくると悪がつくりあげられてしまうように感じました。そのような善悪の二分化した価値観は否定の世界観だと感じました

  3. 小町 より:

    もが改革派になってしまったと思いました。あの頃は若かったから、時代に流されてとなっているし、今でもその時の自分を思い出したくない人はいると思います。時代なのかと改革であった先生は「正の遺産」じゃなく「負の遺産」としたと思います。なぜ「負」なのかと思いました。自分が若かっただけ燃えていただけで、正義を貫こうとしていたと思います。今というものを改革という名で、壊そうとしてしまったからなんだと思います。力ずくで、ドンドン迫っていたのに気が付いたと思います。もりけんさんの高校は生徒を尊重していたし、自由もあった、だけど、このままじゃいけないだけの空気だけが先行してしまったと思います。それは先生も同じだったと思いました。その中で非改革の意見を言う勇気はたぶん私にないだろうと思います。もりけんさんが全校生徒の前で、クラスの代表として、罵声を浴びせられても、静かに響く声で自分の意見を述べていたと思います。口だけで言っていなかったです。今でも同じで、全部の存在を本当に肯定していると思います。もりけんさんはその時から目先だけを見ていないんだと思います。守ろうと動いていないです。でも、他の人は改革ということで、守ってしまったと思います。不満は無かったのに不満だという自分がいたと思います。だから負の遺産になってくるのだと思います。

  4. 和佳 より:

    紛争後に教師の側の方が記録されたものがあるんだなと思いました。教師の方の中でも改革は「善」に分類されるようになったのだなと思います。終わって15年経って書かれたものには 負の遺産を分析しなくてはならない…とあるのだなと思いました。森田さんは当時の「善」によりかかることなく 一人だけ違う意見をもってたのだとおもいます。そして最後はクラス代表として発表されたのだなと思いました。罵声がとんできても善に傾くことはなかったんだなと思いました。森田さんにとってはそれが誇りなのだなと思います。自分は普通のときだって意見をいうことができないです。全校生徒も先生も「善」になったなかで 一人だけ違う意見を言い続けたことは本当にすごいことだと思いました。分析のしようがないぐらい…なにか…うなってます

  5. まりん より:

    生徒だけでなく、先生たちの大半も改革を押すなかにあって、改革委員会まででき、非改革の意見を先生たちでさえ言えなくなっていく中で、全校生徒の前でたったひとり非改革の意見を言うことは、私にはとうていできないです。罵声を浴びせた生徒たちのひとりかもしれないと思うと、胸が痛いです。善という正義で、斬ってしまうんだと思います。15年たった今、先生は、負の遺産を分析したいという強い思いがあったから、本として残されたんだと思います。とても貴重なデータです。改革というのを、これほど深く問われたことも考えさせられたこともなかったことに気づきました。改革=不満というのも、初めて気づいたことです。価値観がとても揺さぶられてます。改革することで、周りも自分も善くなるはずが、「負の遺産」という証言はすごいです。森田さんはその当時すでに改革の本質を見抜いてそれを発表されてたこと、めちゃめちゃすごいです。私たち全員に関わる、とてもすごい問題提起だって思いました。

  6. どせい より:

    手元には本があって、タイトルは「負の遺産を分析しなくてはならない」。これは、学生紛争の後、15年もたってから、当時の先生が書かれたものなのだと思います。負の遺産にまともに斬りこむことは、とても勇気がいることだと思います。書かれた先生は、これまでを振り返えった中で、何としてもここに焦点を当てて、もう一度検証しなければ・・・と思って、書かれたのかもしれないです。
    当時、教師たちにも改革派の組織があって、「改革委員会」というのが組織されていたのだと思います。非改革派の教師もいましたが、詰め寄られる中、自分の意見を引っ込めて、改革派の流れの乗ってしまっていたのだと思います。誰も食い止めることはできなかったと思います。

    そういう意味では、森田君が唯一です。非改革派の意見を、たった一人で、全員の前で言われたと思います。だからといって、森田君は、「個」としての自己主張をしているわけではないです。ですが、たった一人で、主義主張を言われたと思います。それは、先日のメインの話題にあった「私が世の中を変える」・・この状態でいたくないのだと思います。改革を主張していた人たちは、みんな自分に焦点を当てていいました。森田君は、まったく自分に焦点を当てないまま、全員の前に立たれたと思います。

  7. まるこ より:

    ほんとうにすごいと思いました。時代も環境も違いますが、自分も改革の嵐が吹いている場所に身を置いたことがあります。わたしがとてもお世話になっていた方たちも、友達も、知り合いも、道行く人の大多数も、みんな改革派で、その勢いはどんどん強まって行くばかりでした。完全に自分も改革の嵐に飲まれていました。いいえ、今から思えば自分の保身のために、自らすすんで改革派を装っていたのだと思います。今から振り返っても、当時の自分には絶対にあの中で非改革を思いつくことも、言い続けることもできなかったです。正直なところ、もし今あの中に戻されたとしても、非改革を言えるかどうか、言い続けることができるか半信半疑です。それくらい難しいことだと思います。でも、もりけんさんは同じような環境下でどんなに罵られても、非改革を貫かれたのだと思います。もりけんさんは既に高校時代からそんな困難なことを成されるほど、ご自分のことを強く信じていらしたのだと思いました。それは世間一般で言われるところの「自分を信じる」とはニュアンスが大きく違うように思います。「私」というものをもっと違うレベルで捉えられていたからこそ、そしてそんなご自分を強く信じられていたからこそ、非改革を言い続けられたのではないかと感じました。いずれにせよ、ほんとうにすごいと思いました。

  8. こはな より:

    当時の先生が書いた本を読むことで、もりけんさんは当時の先生の側を知ることになったのだと思います。それで、先生たちの中にも非改革の意見もいたけれど、先生たちの中で、詰め寄られ、その意見は消えてしまったのだと思います。そして「善」になってしまったのだと思います。そんな中で、もりけんさんはずっと非改革を言い続けていたのだと思います。全体からみたらひとりだけ、別の意見の男の子がいたのだと思います。その意見はこのままでいい・・と全部認めていると思います。普段の自分は自分で意識できないところまで快適な状態が維持されているのかもしれないと思いました。だからほんとはこのままでいいってことに気づいてこなかっただけなのもしれないと思います。もりけんさんは高校生の時に方程式を見て美しいと思ったのだと思います。そのことが非改革の意見を持つことにつながっているのかもしれないと思いました。

  9. みっく より:

    教師も生徒も、もっと言えば社会全体も改革に突き進んでいて、改革が善の中、もりけんさんはたった一人、非改革を声に出していたのだと思います。当時先生だった方が15年もたってから本を出されたというのは、満足で一杯のはずだったもりけんさんの学校で紛争が起きたことが、その先生にとってもとても衝撃だったのではないかと思いました。そしてそれは当時善とされてたことだけど、先生にとって、本当にそうなのか・・という気持ちが、題名に現れてると思いました。
    全校生徒の前で話をする・・それもほとんどの生徒が改革派の中、非改革の意見を言う・・というのは、ほんとにすごいことだと思います。改革派が善とされてる中で、どんなに罵声が飛んできても、森田君はその場に踏ん張って非改革を言い続けたのだと思います。

  10. えり より:

    組織級になったものをとめるのは難しいと思います。でもそんな場でちゃんと言いたいことを言えたことが素晴らしいと思います。当時の改革は負の遺産だと分析し、本になっているのも考えるにいい機会になると思いました。負の遺産、誇り、これを読んでいるわたしたちにも何か波紋があり、終わったんだけど、終わっていないのだと思いました。今もどこかで改革が起きているし、わたしのところでもそうです。あの時非改革を言えてよかったと言われるもりけんさんの話を聞くたび考えるようにしよう、ことばに出そうって思います。

  11. Anne より:

    当時の先生たちもほとんどが改革派だったのだと思います。改革派が大多数になって改革は善いことになっていったのだと思います。もりけんさんはクラスでも全校生徒の前でも自分の非改革の意見を表出し続け、貫かれたのだと思います。改革の意見が大多数の中で揺らがず非改革の自分の意見を言い続けられたことは本当に凄いことだと思います。

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