映画「ワンネス」 改革とは?

2013/08/13 7:49 AM

 
 高校の紛争の時、三年の二学期はほんとど授業はなく、クラス単位の話し合いばかりでした。
 ところで多くの紛争高が制服の自由を掲げて学生運動に入りました。
 でも当時、私の高校は都立高校では唯一服装は自由で、出欠も取らないという自由高でした。
 だから教職員も紛争は起こらないと思っていました。
 ところがそんな高校にでも不満を見いだすことができたのです。
 生徒総会でストライキが可決され、紛争に突入したのです。
 と、こう書けばこれを読んでいる皆さんの多くは否定的に捉えると思います。
 でも、次のように書けばどうでしょうか。
「ところがそんな高校にでも改革すべきことを見いだすことができたのです」
 改革という言葉が入っただけで肯定的に捉えるのではないでしょうか。


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コメント

  1. 小町 より:

    服装も自由で出欠も取らないで、自由だし生徒を尊重している高校だと思います。その中でも紛争が起こったということは否定的になるけれど、改革を見出したと書かれるともっと改善に向かったのだと肯定的に捉えられてしまいます。日々いいところを延ばして、悪いところは直していかないというのが学校にも社会の中でもあるし、欠点を改革して、よりいい学校や社会にしようになっています。ストライキが可決されて、生徒の自主的なものも改革だとなってくると思います。いいことをしようとしているだけで、紛争じゃないし、我がままじゃないとなってくると思います。自由なことは当たり前で、もっともっとになっていると思います。いいことだからいい、それは私も陥ってしまうものだと思います。

  2. こはな より:

    改革の正体は不満なのだと思いました。同じ文章なのに、不満は否定的に捉えている私がいて、改革は肯定的に捉えている私がいることに気づきます。そして、私自身が改革を肯定的に思うようになった原因は、私の中には元々なかったのではないかと思います。周りからの情報で、改革はよいものと思うようになったのではないかと思います。また、私自身で、改革そのもの、本質を問うこともして来なかったのだと思います。

  3. 和佳 より:

    書き込みがとても興味深かったです。「ところがそんな高校にでも改革すべきことを見いだすことができたのです」とかくとほんとなにか肯定的に捉えられる気がしました。そして今もそうなんだよなぁってしみじみしたし自分が逆に認められる気がしました。どうしてかというと…選挙のときとか…ついつい改革!とか言うと目が行く自分です。今のままでいい…といったら そんなことあるかいと日頃、日本にうまれて…めぐまれてるねんな~という感謝と満足を忘れて(というか日頃は食べて寝るだけみたいな…何も考えてないぐらいの動物的な感じでいます)急にここぞとばかり あれこれと不満の面を強くだしていきそうな私だからです。そして何も変えなくていい、そういった人を あんた何考えてんだ?!と攻撃すると思います。自分にひょえーってなりました。でも変えたい政治…それは20を越えて選挙権をつかって投票した私のことでもあるのだとおもいました。…私は…紛争のお話、どうしても生まれる前のことでわからんっておもってたし…そういうことには触れないようにって言われて育ってきたとこがあったのですが…今だって紛争はすぐそこに 自分がそれを起こす寸前であるのだなって感じがします。服装自由、そして資本主義経済で選挙だって出席を問われない…そんな自由な国の自分なんだけど…ほんと自分が寸前か…渦中なんじゃないかととても考えさせられてます

  4. まりん より:

    不満と改革は同じということに、初めて気がつきました。どちらも、今を否定してるんだと思います。なのに、改革はよいもので、不満はよくないものというイメージをもつのは、改革が世の中をより良くしてきたという思いこみがあるからかもしれません。歴史でならった革命とか、改革とか、そんな意識の世界が世の中を動かしてるという思いこみです。でも、私自身を振り返って、自分や周りを変えようとしてもまったく変わらなかったです。それなのに、社会は改革で変えられるって変です。改革は良いモノだという思いこみがどれほど根が深いかに気づかされます。その思いこみが変わるのも、情報を知ることからなんだと思います。問われて初めて気づかされることばかりです。

  5. どせい より:

    改革」という言葉は、これまでもよく使われてきましたが、例えば歴史の教科書をみても、「○○の改革」というときには、必ず、前の時代の悪いところを改めて、良くしていくという響きがあると思います。改めるのは「悪い」ところで、目的は「良く」するためです。だから、改革と聞くと、中々反対しづらく、肯定的に捉えてしまうのではないかと思います。
    ですが、後世の歴史の流れを見ていくと、確かに改善した面もあるけれど、失われてしうような面もあって、必ずしも「改革」というのが、良い成果だけを残しているのでもないような気がします。

  6. まるこ より:

    不満を改革に言葉を替えただけでこれだけの違いが出るとは、読み返すほどに驚きを感じます。それだけ自分が相手に変化を求めるということに対して肯定的に受け止め続けてきた結果なのだと感じました。改革と言えば社会や政治を思います。でも個人対個人でも、相手に変化を求めることは改革を求めるのと何ら変わらないと思います。自分の不満をすり替えて相手に変化を求めたり、正そうとする(自分の正義を相手に押し付ける)ことをごくごく日常的に何の疑問も持たずやってきているのだと感じました。

  7. えり より:

    ことばを変えるだけでイメージががらりと変わることに驚きます。改革にするといいことのように思ってしまいました。ここを不満で表現しようと思えば出来て、そして反応は変わると思いました。ことばで世界が動いているのかなと感じます。ことばは魔法みたいです。

  8. みっく より:

    改革という言葉の入った文章を拝見して、確かに肯定的にとらえてしまう自分を感じました。良くない点を良くしようとする改革はいいことだ・・という考えがあるのだと思いました。
    服装にしても、他の色々な点でも、頑張って獲得しなくてもすでに自由が認められた状態のもりけんさんの高校でも、不満は見いだせて、そこから紛争は起きたのだと思います。こうして考えさせてもらうと、改革をすることそのものが目的になってる感じがします。

  9. Anne より:

    もりけんさんが通っていた高校は制服もなく、出欠も取らないような自由な高校だったのだと思います。そのような校風でも改革すべき所というのは出てきたのだと思いました。改革という言葉には悪い所を改善し、より良く変えていくという意味があって肯定的に捉えられるからなのだと思いました。でもそれは現在を否定することからしか始まらないのだと思います。夢を持つとか叶えようということにも同じことが言えるのだと思いました。使う言葉によって受ける印象が全然違うと思いました。改革してより良くしていこうという時代の流れの中で、それにあらがうのはとても難しいことだと思いました。

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