生まれ変わりの村のことはスピリチュアル系の人たちから否定されるときが多いです。
だからこれで終わりにしたいです。
自分たちが信じてきたことと違うらしいのです。
あの世では光の存在は出てこなかったそうです。
イエスキリストも孔子も釈迦もでてこなかったのです。
まるでこの世の続きが展開されるだけだそうです。
おまんじゅうが支給されるそうです。
(以下面倒なので「そうです」は「ます」に変えます)
服が汚れている人には男女問わず、ワンピースがタダで与えられます。
ワンピースを作ったりおまんじゅうを蒸かしたりするボランティアになる人もいます。
お金があります。
ケーキを買って食べるのが楽しみだそうです。
来世を計画することはできません。
新しいお父さんやお母さんを選ぶこともできません。
景色が突然変わったら、臨月のお母さんの隣でした。
家を見回してガッカリしたそうです。
ああ、また金持ちの家じゃなかったって。
だからこそ彼らは縁を大事にします。
98%の人が今に満足しています。
そんな彼らのお葬式に出会いました。
私の著書である「スープ①」には載っています。
調査を始めてから二年ほど、てっきりお祭りだと思っていました。
自殺で死んで生まれ変わった人を五人インタビューしました。
みんなが行くあの世に行けました。
死因をとがめられることもありませんでした。
そして自殺で死んだ彼らもこのお祭りさわぎで送り出してもらえました。
ありがたいお経もないお葬式。
けれど踊っている彼らの周りには、故人があの世で楽しく暮らせる物資があり、このあとある儀式をして送るのです。
これは私が15年かかって調査したこと書いただけです。
好奇心の強い私は、生まれ変わりの村だけではなく、いろいろな方法を使ってあの世を調査しました。
前回書いた通り、モンロー研ではプランニングセンターに行き着くことはできませんでした。
今行っているのは、日本人の中にもスープを飲まなかった人が出始めたので、彼らをインタビュー調査しています。
やはり証言内容は生まれ変わりの村と似ています。
でもあの世の様子が少し違います。
生まれ変わりの村よりも和風なのです。
神は、死んだ時に違和感を持たせないシステムにしている様子です。
列挙していただいたあの世の証言は、どれも、これまで私たちが思っていたことをひっくり返すようなすごい証言です。それは、一言で言えば・・・すごく「普通」だと思います。まるで、この世の延長みたいな感じがします。
証言の中でも、特にキタのが、景色が変わったと思ったら、臨月のお母さんの隣で、生まれて家を見回したら、ああ、またお金持ちの家じゃなかったとガッカリしますが、だからこそ、縁を大事にされて、98%の人が今に満足している・・・というところです。
ものすごい、あきらめだと思います。ガッカリしたけれど、しょうがないか(笑)と思って、それでそのまま受け入れて・・かえって今を大事にしていると思います。
生まれ変わりの村の「お葬式」の様子は、何だか見ていて、思わず笑ってしまうくらい楽しそうです。色とりどりの飾り、でっかい太鼓をたたいたりして行進しています。まるでお祭りのようです。こんな風に、あの世に送り出してもらえるのは、全肯定されているようでうれしいと思います。
生まれ変わりの村のお葬式、本当にお祭りみたいに、楽しそうです。まるで死んだことをお祝いしてくれているみたいに感じます。また生まれてきたいという想いが根底にあるんだと思いました。この世と同じあの世に、もりけんさんの調査で知って、私自身もとても安堵しました。それまでは天国と地獄しか無く、どちらかの世界に行くし、自分の行いを反省させられるや、自分の人生を精算しないといけないということばかりで、この世以上に評価の厳しいものだと思っていました。生きることを必死に頑張らないとあの世はもっと苦しいからガンバレになっていたと思います。生まれ変わりの村を知って、生きることや生き方に競争は無いんだと思いました。レベルが高い低いも問われなくて、おまんじゅうやケーキも食べれるなんて、嬉しいなと思ってきます。あの世に行って、またこの世に来ることになるなら、今の人生も周りも今だけだと思います。繋がる縁の中にいると思います。神さまのやさしさの中にずっと存在していることになります。違和感もないあの世に行くまで、ここにいたいなと思います。
もりけんさんが調査しているのは「あの世」。本当に沢山の方法で調査していているところが本当にカッコいいです。全部のデータが平等に並んでいるのだと思いました。今行っている日本人の中でスープを飲まなかったひとのデータからのあの世は和風・・。神は死んだ時、違和感を持たせないようにしているようなのだ・・と思います。日本人と生まれ変わりの村の方が行くあの世の様子は違う・・本で読んで聞いていたけれど、そうか・・と思いました。もりけんさんはそれで、神のシステムは死んだ時違和感を持たせないシステムと思ったのだと思います。・・神のシステムを見つめているのだと思いました。
私が聞きましたのは、日本の霊界と外国とは違うという事です.和風に見えたのは.だからだと思います。でも似てる部分もあるかもしれませんね…写真はスゴイスピリチュアルだと思うんです!だって葬式…(笑)スピ系も安易に否定しない方がいいと思います。この写真を見れば幸せな様子がわかるし…だったら何をもってスピリチュアルなんでしょう…
さよさんこんにちは!
スピリチュアル系の方を否定はしてないとおもいますよ。お話を終わりたいとされてるのは 証言者の方にもスピリチュアルな方にも またそうでない方にも配慮されてるからだとおもいます。この特別な存在がいないということに関係したことは最初の調査の最初のインタビューででてきたことで その質問をすることの大変さ、インタビュー内容への衝撃は森田さんにとってもしばらく放心状態になるようなとても大変なものだったと伺います。たとえばさらっとお返事書いちゃう私たちはその衝撃を感じられてるのかなて思うことがあります。スピリチュアルの方のほうが真剣かもしれない。だから否定についてかかれても その本質は否定ではないかもしれないです
こうやってさよさんに触発されて書かせていただいて…改めて考えさせられました。特別な存在はいない、意識できないぐらいの移行、これがどんなに大変なことか…沢山の情報をここに書きだされた森田さんは本当に大変なことを共有していこうと…水が石を穿つように少しづつお話されてるんだなって思います。
和佳さん.こんにちは…え~と…スピ系の人たちは…という意味なんですが(´~`)/わかりにくくてゴメンなさいね!…村の人たちは.ありのままを語ってくれていると思います.それをやみくもに否定って.スピじゃないかなって…頭でイロイロ言うより現場を見るって大切ですよね。もりけんさんの調査は貴重だし、改めて村の写真みてほんわかしていいな…と.霊界はまずスピリチュアルな所という観念が先じゃないかって思いました.(*_*;)ちょとえらそうでゴメンなさ~い(汗)
おへんじありがとうございます。す否定ってスピリチュアルなことじゃないかもってのにしびれました。霊界はスピリチュアルかもって…そういう話なかなかできなくてお返事嬉しいし興味深いです。私は最近ご報告の中のあの世の物理現象っていうかがクローズアップして興味深く感じられてるんです。水に濡れないとか…そういうのです。でもお返事になにか刺激受けて…こういうお葬式をするひとたちが差をかんじないあの世なんだよなぁって…つまりこういうあの世なんだなって…というかです……それはとってもほんわかしたあの世そうだなぁって感じられました。なんかあの世怖いとこかなって思い込みがどうしてもあったんだけど…さよさんのお返事で…あっこのまま移行したんだって刺激受けました。
…ほんとにすごいことですね。お写真の情報の凄さに気がついてなかった…と思いました。あの世をみせていただいてるようなものかもっておもいます
そうなんです(^~^)/…このお写真すごいんです…素敵じゃないかなって…村の人たちの素朴さにひかれました.…正直に語ってくれてる人を否定して形にばかりこだわるイミはないのでは??…と…村の人たちみたいにナチュラルでいたいです!…こちらこそ.ありがとうございます☆☆
お葬式だって書いてあるのに、写真はお祭りだって思ってました。お葬式なんですね。今やっとあたまに届きました。もりけんさんがいのちをかけて調査されたことを今受け入れられなかったとしても情報は意識のどこかに残ると思います。あの世で目にした時あ、あれは‥この事だったのかと思いだすかもしれないと思います。見た時思い出せるかな、自分。とにかく各々で体験していくしかない、これは日々を生きる意味を知るために必要なことだとふと思いました。
証言を伺ってると、おまんじゅうを食べられたり、ケーキを買えたり、そんな日常がどれほど幸せなことだろうって思います。お金があって好きなものが買えることも、とても幸せだなぁって思います。あの世の証言をうかがって、初めてこの世の今の普通の日常を送れることは幸せなことだなぁって思います。あの世が、もしもこの世と劇的に違った世界なら、すごく衝撃だし、すごい違和感を感じます。今までイメージしてきたようなお花畑の世界や、光輝く世界なら、それがどんなに美しい世界だとしても、普通の日常がいいって思いそうです。神は、この世の日常の世界をそのままあの世でも再現してる感じがします。今の私たちの日常そのものをすごく大事に思ってくれてるからじゃないかと思います。死んだことにすら気づかないくらいに、この世とそっくりなあの世の証言は、今をまるごと肯定されてる感じがして、とても嬉しいです。
私たちが死んだときに違和感を持たないシステムにしているということも、改めてすごいことだと思いました。著作にはこのことに関して、「私たちが怖がらないようにするためではないか・・・」と書かれていたと思います。神が怖がらないようなシステムにしてくれているのに、私たちは一生懸命、あの世で裁きを下す存在がいるといったことを信じて死を怖がってきたのだと思います。この世で善い行いをすれば褒めてくれる光の存在がいるというのも、そんな恐怖の裏返しのような気もします。生まれ変わりの村の証言者のみなさんのお話では、どちらにも当てはまらず、あの世は私たちにとってとても自然な場所なのだと思います。森田さんが15年間の調査でこれだけの具体的な情報を集められたこともほんとうにすごいことだと改めて思いました。
思えば、死んだ後どんな服を着てるとか、何を食べてるとか、考えたことが無かったと思いました。ワンピースが支給されたり、必要最小限の食べ物でなく、お楽しみのおまんじゅうやケーキがあったり、それを作ってくれるボランティアもいるって、とってもやさしい世界だなと思います。それにイエスキリストとか釈迦とか、この世でエライと言われてるような特別な人もいなくて、その他の状況も、ほんとに今生きているこの世と似ているのだと思います。そして来生を選ぶことはできない・・ほんとに人の運命は受け身なんだと思います。生まれ変わりの村の方々の証言は、ほんとにすごいです。そしてそれらを体験してこの世に生まれ変わった生まれ変わりの村の方々は、98%の人が今が幸せと答え、人がなくなると、あの世で楽しく暮らせるたくさんの物資も用意して、お写真のような楽しい雰囲気で死んだ人をあの世に送り出すのだと思います。死をも否定していない感じがします。
もりけんさんの調査は、今まで知らなくて当たり前・・ということから勝手に作り上げてきた世界を覆すものだと思います。それはこれまでの生き方や考え方、価値観も大きく揺さぶるものだと思います。
生まれ変わりの村のことは、もりけんさんが15年かかった調査による事実をそのまま書かれているのだと思います。
写真を見ると、楽器があり、飾りの色が華やかだったり、たくさんの人出で本当にお祭みたいです。故人があの世に行ったあと楽しく暮らせる物資も用意されているのだと思います。死へのネガティブさを感じないなと思いました。死んだあと、最初あの世で死んだことに気がつかなかった人もいたと思います。光や偉い存在や裁く存在も出てこなくて、この世からあの世への境目がわかるような関門みたいなものもなくて、あの世への移行が非常にスムーズなのだと思います。自殺で死んだ人もみんなが行くあの世に行って、自殺をとがめらることもないので反省する必要もなかったのだと思います。この世でもあの世でもそのままでよくて、途切れることのない「今」を生きているのだなと思います。