映画「ワンネス」 神はスープの情報を隠したかった?

2013/08/10 8:52 AM

 
 きょうは一連の話から少し脱線します。
 モンロー研究所のセッションでは、フォーカス27でプランニングセンターに行けと言われました。
 しかし創設者のロバート・モンローの本を読む限り、彼はプランニングセンターには遭遇していません。
 エドという名の存在がプランニングセンターをやっているという情報を得て探しに行きますが、探し当てることができませんでした。
 プランニングセンターはロバート・モンロー氏の死後、勝手にセッションに加えられたのではないかと推察されます。
 ところでモンロー研究所のセッションでスープを見たという人は誰もいません。
 さて、生まれ変わりの村は中国にあるので基本的な死後思想は仏教です。閻魔大王が裁く世界観です。
 でも生まれ変わりの村で、一度死んで生まれ変わった人は、全員が「裁く存在はいなかった」と証言しています。
 ところで生まれ変わりの村でも臨死体験者はいます。四人にインタビューすることができましたが、その全員が「あの世では裁かれるようだ」と言いました。そして「スープなんてなかった」と言います。
 臨死体験者はモンロー件の体脱と同じだと思います。
 これらの差について
「過去の行いであの世も違うんだ」
 と言う人は多いです。
 しかし調査によれば、完全に死んで生まれ変わった人はほぼ100%、スープを証言します。
 でも死んでなくてあの世に行った人の100%は、スープを見ていません。
 数値がバラけていれば、「過去の行いであの世も違うんだ」と言えるかも知れませんが、数値はあまりにも見事です。
 神はスープの情報を隠したかったのかも知れません。
 だって体脱者に察知されれば、どんどん広がってしまいますから。
 もっと言えば、生まれ変わりの村は、神様から選ばれたのかも知れません。
 洞窟生活でも満足だからでしょう。


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コメント

  1. まりん より:

    理系をすごく感じます。「理系は夢を追いません。理系は真実を追究するものです」という、もりけんさんの言葉が浮かびます。夢は既成概念から作られるというのもそうです。データから見えてくるものを、私たちはつい価値観という既成概念に当てはめて考えてしまいがちです。でも、理系は真実を追究して、夢や価値観で判断しない、それをそのまま実行されてると思いました。データから出てきた数値は神の現れだと思います。一見矛盾するデータも、その背後にいる神を表してる大事なデータだって思います。

  2. こはな より:

    もりけんさんが話しているあの世は、生まれ変わりの村で、死んで生まれ変わったひとが証言されたあの世と、臨死体験されたひとが話してくれたあの世と、モンロー研究所で体脱された方の行ったあの世が同じあの世だと思いました。「過去の行いによってあの世は違うんだ」そういう世界観じゃないのだと思います。ひとつのあの世しかないです。それが私は好きです。それで、神はスープの情報を隠したかった?って出てきたのではないかと思います。同じあの世だからスープはあるけど、体脱をするひとがきたらどんどん広まる・・本当にそうだと思います。

  3. さよ より:

    カナリ以前TVで特集していたのですが.海外からのもあります.…戻ってくる人は振り分けられる証言がほとんどだったと思います.スープはあの世のものだから飲まないのでは?…霊界では、忘れるのが法則だったと思います(^-^)

  4. えり より:

    データにしてみるとはっきりと冷酷に数字に出るんですね。臨死体験の段階だとその時の身体が持つものに引きずられ、スープは現れない。完全に死んだ時はそれまでの身体から解放されることでスープが現れるのかなと思いました。忘れる忘れないの選択肢のキーかなと考えました。スープを作ったは神ではなく、こちらの無意識集合体が作ったものかなあと思い浮かびました。

  5. みっく より:

    体外離脱と臨死体験ではあの世にはいってもスープは現れず、ほんとに死んだ時だけスープが現れる・・というのが、もりけんさんの調査からわかってきたと思います。そして、そのスープに遭遇してない人たちの中には、裁く存在を証言する人もいたのだと思います。また生き返るとわかってる人がスープの存在を知れば、それはどんどん広がりそうだと思います。それは避けたかったのかもしれないです。でも生まれ変わりの村の人たちには情報を洩らしたのだと思います。広い中国の奥地で、今を大事にして、その生活に何の不満もなく暮らしていた、生まれ変わりの村の人たちは、やはり神に選ばれたという感じがします。そしてもりけんさんも、今を大事にしておられます。子どものころから、他から見れば大変なことがあっても、それを大変とか苦労とか思わず、いつも満足に感じて生活をされてたと思います。なんだか、今に満足している、今を肯定している人に、スープの情報が伝えられていってる感じがします。

  6. どせい より:

    モンロー研究所の体外離脱者や臨死体験者と、生まれ変わりの村の証言者のお話で、根本的に違うのは、「裁く存在の有無」と「スープの存在」なのだと思います。この証言は、数値の偏差がほぼ100%で、本当に・・・あまりに見事だと思います。臨死体験と死ぬ体験なので、かなり近いところに行っているのかもしれませんが、決定的に違っていて、差が出てくるのはそれぞれ行っている場所が微妙に異なっているのかもしれないと思います。

    もし、体外離脱しただけで、スープの情報を得られるとすると、その情報は、自分が積みあがることに利用されてしまうと思います。モンロー研究所の「プランニングセンター」というセッション自体に、上下の関係性を彷彿させるものがあると思います。下から上に行くことを目指すという価値観に基づいていると思います。
    しかし、神は、生まれ変わりの村の人に、スープの情報を託したと思います。・・・生まれ変わりの村の人たちは、今の生活に満足していて、スープの情報をゲットしたとしても、自分の積み上げには使わないのかもしれないです。

  7. 和佳 より:

    生まれ変わりの村の方は本当に満足されてくらされてるのではないかと思いました。
    あの世では食べなくてもいいし飲まなくてもいい生殖もない……それってこの世の不満の生じるところがないようなものだとおもいました。
    でも…生まれ変わりの村の方は生きてる時からそういうところがあるのかもしれないなって思いました。身体維持はどっか我をはっきりさせて領土を拡張させて生きてくとこがあるように思います。未来への領土拡張希望がプランニングかもしれないです。
    洞穴生活への満足はそれはとても無意識的な生き方の現れでなんじゃないかなって感じました

  8. 小町 より:

    スープに遭遇するかしないかは、意識して見るか見ないかの違いかもしれません。生まれ変わりの村の人の証言では、ほとんどの人が死んだことがわかっていませんでした。でも、モンロー研究所での体外離脱は自分が死んでいないとわかっています。あの世では飲食も出来たけれど、体外離脱で飲食の記述は無いような気がします。それがスープに出会えないことにもなっていると思ってきます。体外解脱は自分があの世で実体が無いというのも大きいかもしれません。だから食べる必要性は感じなかったと思います。

  9. まるこ より:

    いまあるがままへの満足度。これがキーとなって神は生まれ変わりの村の方々にスープの情報を漏らしたのかもしれないと思いました。そしてその情報が日本人のもりけんさんへと伝わって、書籍や映画という形でこの国に広く伝わろうとしています。スープ情報伝播のタイミングは同じく、日本に住む私たちのエゴと関係しているのかもしれないと思いました。もしかしたらスープ情報だけではなく、この時空についての未知の情報すべてにおいて、私たちひとりひとりのエゴが関係しているのかもしれないと思いました。もしこの時空全体が情報で成り立っているとしたら、エゴを基準としたルールで神が情報をコントロールしていてもおかしくはないのかもしれないと思いました。時空全体の存続が一つ一つの情報の運用に関わっている。生まれ変わりの村とスープの情報は、そういうことを物語っているのかもしれないと思いました。

  10. えり より:

    臨死体験だと生まれ変わりの村の人でも裁きの思想があるのが気になりました。肉体が持つ記憶だろうかと思案しました。この時に仮にスープが現れたとしてのむと戻ったら困りそうです。目がさめたとき自分がわからなかったことがあります。まっしろ。‥‥。記憶が注入される感じがして、あ、やること、やることを思い出して動けるようになりました。肉体の呪縛といえばいいのか。肉体の力は強力だと思います。無意識には忘れたら困るっていう何かがあるのではと思います。だから臨死体験段階ではスープは現れないと思います。

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