人生を決めてきたという人もいます。
モンロー研究所でもそういうセッションがありました。
ガイダンスが流れます。
「プランニングセンターに行って下さい」
私だけ行けませんでした。
その代わり、変なドアが現れて立ちふさがります。
「あなたは誰?」
を繰り返し問われます。そして
「私は誰でもありません」
と言ったらドアが開きました。
その先にプランニングセンターはありませんでした。
生まれ変わりの村で100人ほどの前世記憶者に聞きました。
「人生を設計するところがありましたか?」
「そういうところはありませんでした」
これらは私の著書に書いてあります。すると
「生まれ変わりの村の人たちはレベルが低いのです。だからプランニングセンターは現れないのです」
と言ってくる人がいます。
そうでしょうか?
洞穴生活をしているからと言ってレベルが低いとは感じません。
さてここからが本題です。
来世をプランニングすることは夢や希望に似ていると思います。
計画をする時点で過去の情報を使っているからです。
しかも宿題を達成して次のステップに行くというのは、上下の世界観のような気がします。
と、ここまで書いて気づくのは、好奇心には上下が無いということです。
生まれ変わりの村の方はレベルは低くないと思います。
来世をプランニングすることは、夢や希望に似ている・・本当にそうだと思いました。宿題・・というのもです。宿題を出すのは、それを出す、上に立つ先生がいるみたいです。でも、もりけんさんの前に現れたのは、問題だったのだと思います。扉がもりけんさんに質問してきています。だからそこには上下の関係はないと感じました。
好奇心があるって、素晴らしいです。楽しいと感じるのは比べることでは得られないことだと思ってきます。もりけんさんはいつも好奇心のドアが開いているんだと思います♪
もりけんさんがプランニングセンターに行けなかったのは…めちゃ未知なる好奇心の存在感じるきがしました。そこには興味がなかったんだなとおもうし…ドアに問われるってすごい状況に遭遇されたんだなと思います。プランニングセンターというとこがあったならそこのドアは問をしてこないようにおもいます。ドアって普通は物質でレベルが一般に低いものかもしれないから。しかしみんな物質でできてて謎に満ちてます。ドアすらも喋るのが…もりけんさんのいったとこなんだなと感動しました。上下がないです。私は長年いろんなものとしゃべりたいなとおもってたけど…ドアさんがすごいです。風水にも出てくるけど…これは夢と希望、レベルじゃ出会えないものなんだって思いました。さらにプランを立てにきた人にはきっと…皆目見せない神の世界の姿なんじゃないかとおもいます。
生まれ変わりの村の人もドアさんも…プランニングに興味がないから…いろんなことをささやいてくれてるんじゃないかなって感じました。私はだれでもないドアさん そして 忘却のスープを教えてくれた人たち…どちらもなにか同じことを伝えてくれてるかもってきがしてます。そしてそれは好奇心の深さ広さとつながってるかもって感じました
プランニングは、自分で自分の人生を計画することで、夢や希望と同じだと思います。計画も夢も、どちらも自分の思い通りにしたいというエゴがあります。夢や計画が目的だから、ほかは全部手段になるんだと思います。例えば、自分の計画どおりの人生を達成するために、出会う人たちや出来事を踏み台のようにしてしまうんじゃないかと思いました。そこには上下を感じます。大事なものとそうでないものを生み出してるからです。神の世界に上下があるとは思えないです。一歩宇宙に出たら、上下なんてない世界がひろがってます。神は自分が生み出したこの世界すべ愛おしいんじゃないかって思います。
モンロー研究所で「プランニングセンターに行ってください」と言われたけれど、もりけんさんだけ、行けなかったお話・・何だかすごいです。
普通の人は、「プランニングセンターに行ってください」といわれたら、そのようなセッションだし、プランニングセンターを一生懸命探して、プランニングセンターにたどり着くことを目標としてしまうと思います。もし何かモヤモヤしたようなビジョンが見えたとしても、「それがプランニングセンターだ」と意識で思い込んで、プランニングセンターに行ったと答えてしまうと思います。どこまで行っても、「意識」優先だと思います。
「プランニングセンター」では、来世をプランしてくるという、設定になっているのですね。たしかに・・・夢や希望に似ています。そうなると、前世が下で、今世が上という設定で、生まれ変わることで、宿題を達成しながら次第に上を目指して、最後はゴールする・・そういう形だと思います。スタートがあって、ゴールがあるという設定で、それは人の一生から来ているのかもしれないです。
ですが、人の一生さえも、死んでも審判がなく、そのまま生まれ変わりを繰り返す時空だとしたら、この上下の価値観は、本当に耐え切れなくなってしまうのではないかと思います。
自分に自分の人生を決める決定権があるという状態は、つまり過去を生きるということなのだと思いました。一見未来に向いて生きているようで過去に向いて生きているとも言えるのではないかと思いました。私たちはプランとか計画と言われれば未来をイメージすると思います。でもプランは過去。それどころか過去の情報を特定の価値判断で取捨選択していることを考えれば、ただの過去より更に狭い世界なのかもしれません。これは自分自身も大変な誤解をしていたと思いました。生まれ変わりの村の前世記憶者の皆さんは過去の記憶を持たれていますが、過去に向かって生きられてはいないと思います。自分では決められないことを体験からご存知なので、未来にも生きられてはいないと思います。課題をクリアして次のステップに行くという世界観は、私たちを「いまここ」から外すと同時に、特定の価値基準に縛りつけ「生きる」ことを奪っているのではないかと感じました。
好奇心で動くと、積み上げはないように思います。積み上げは過去の上に積み上げるので、常に過去を意識してることになると思います。そして積み上げたら上下が出てくると思います。なんだか、積み上げを良いこととする価値観の中で、今まで生きてきたように感じます。
プランニングセンターも、意識を過去に向けて、知ってる情報から計画を立てなくてはいけなくなると思います。ほんとに、夢や希望と同じだと思います。過去の自分、知識に、さらにもっと・・と上を目指すものだと思います。
もりけんさんも、そして生まれ変わりの村の方々も、あの世の世界で、プランを立てるところに遭遇しなかったと思います。計画する場がないということは、過去を振り返る必要はなく、また将来を心配することもなく、ただ、そのまま、好奇心が赴くままでいい・・・という感じがします。
叶えたいことをボードに書くというのをやったことがあるのですが、書いていくとだんだんつまらなくなって来て一回で終わりました。日々やったことを数字にして何かがつかめた時は楽しいなと思いました。やるならプランニングより分析がいいなと思います。人生プランニングはつまらなそうに思いますが、そういう場所があるのだと思います。宗教観があると思うので、その視点でプランをたてそうな気がします。生まれ変わりの村は文明生活より生死に直結した厳しさがあるのではと思います。そこの人がプランを立てるとするとケモノにおそわれたとか、そういうぷ
続きです。プランをたてるのかなあと考えたのですが、自然の前にプランはたてないんじゃないかと思いました。レベルではなく次元から違っているんじゃないかと思いました。
人生を計画して生まれてくるということは、まず前世を反省して、今世の課題を考えてくるのだと思います。何度生まれ変わっても、いつまでも今に満足できていない状態になるんだと思いました。未来に備えるための今なんだと思いました。次にステップアップしていくということは、やっぱり教え導く存在がいるのだろうなとも思いました。
もりけんさんにはプランニングセンターは現れなかったのだと思います。「あなたは誰?」という問いも、「私は誰でもありません」という答えも凄いです。本来、みんな、誰でもないんだ…と思いました。
生まれ変わりの村の前世記憶者の人たちも、あの世で人生を設計するような場所はなかったのだと思います。生まれ変わりの村の人たちは、目指すものや達成したい何かは持っていなくて、もりけんさんと同じように今を生きていて、心の自由度が360度だからプランニングセンターのような場所は現れなかったんじゃないかと思いました。
好奇心は、上下も目指す方向性もないんだと思いました。