「ユングの心理学」という本からの抜粋の続きです。
『母親と一体であるとき、それは心的な宇宙に広がる子どものたちの世界であるが、やがて子どもは、母も一人の他人であることを知り、自分の中に独自の女性像を築きあげる。それがアニマであるという』
この部分は、『愛の教科書』からすれば、エデンの園を出て行くことだと思います。
何もかも守られていた状態から、外の世界に出て行くのです。
そのとき出現する女性像がアニマであると、ユングは言っています。
『愛の教科書』によれば、愛の対象は外側でした。しかも人どうしの関係を超えた『愛』でした。
でもユングに言わせれば、内側にもいるんだ…と。
すごいことになりました(笑)
ユングさんによると、最初のアニマが母親像なのは、母子一体の状態だからなのだと思います。その後母から自立して外の世界に出て行く中で独自のアニマ像が作られていく。。。それを「愛の教科書」と合わせると、母親像のアニマが、独自のアニマとして出現するのは、楽園にいる状態から失楽園の状態への移行というのが、とてもわかりやすいです。愛することと、本当のアニマ・アニムスの出現とは深く結びついてるのだと思います。愛の対象は外側だけでなく、内側でもあるというのが、めちゃめちゃすごいです。
「ユングの心理学」では、母子一体の状態から、母も一人の他人であることを知り、自分の中に理想の女性像を築き上げ、それが「アニマ」であるとされています。この現象を、「愛の教科書」で説明するなら、人間がエデンの園を出て、何もかも守られた場所から外に出て行いき、自分が孤独であることを知りながら、自分の「愛」を表出していくことであったと思います。だから「愛の教科書」では、愛を表出する対象は、外側だったと思います。個人の人間同士の関係を超えた「愛」でした。ですが、ユングの仮説では、自分の中にもまるで違う人格を持つ「アニマ」がいた・・と思います。そうなると、外側に向けて愛を表出することは、同時に、内側のアニマに向けてメッセージを送っていることになるのではないかと思いました。
私は恋して、こうなっている気がします。恋が起こる仕組みを言えるわけではないけれど、私の中に他者が存在しています。何度も現れたり、ユングさんのように好き勝手な振る舞いをされるのは夢の中な気がするし、私の妄想の中では、私とお喋りしています。これを言っているのかわからないし、相手が私(?)と私とあなたはどういう間柄なのか不明ですが・・でもそうです。急に遠い話ではなくなりました・・。
母と一体の時は他人を意識したり愛することはできなくて、母から離れてそれが可能となるのだと思います。でもその時に影響を与えるアニマは母親の像なんだと思います。エデンに戻れないように母に戻れないけど、心の中にはずっと母の像があるのだと思いました。愛の対象は自分の外側だけでなく、内側にもある・・と言うのは、普段気づけないことだと思います。
一体となっている母親のアニマは自分と離れていないから、愛にはならないんだと思いました。本当のアニマ・アニムスに出会うのは、自分とは違う人格が必要なんだと思います。アニマやアニムスと共に自分も育っているかもと思います。愛は表現すればするほど、返ってくるものと「愛の教科書」にもあったと思います。それは自分の外側にも内側にも当てはまるものだと思うと、すごいことだと思います。
自分と自分以外との違いを理解し始める頃になると、母親との距離を感じると共に自分の中に存在している他者に気づき始め、その存在が母親からの分離を促しているようです。常に一緒にいる相手が母から自分自身に代わることで、未知の世界に踏み込んでいけるようになるようです。未知の世界に踏み込んでいくと、自分の中の存在を自分以外の誰かに投影することで、より安心感を得ることができて、更に遠くまで行けるようになるのかもと思いました。
アニマ・アニムスとの出会いは『愛の教科書』の失楽園そのものだと思いました。「心的宇宙」における失楽園。その後に出会う存在がアニマ・アニムスということなのだと思います。ユングと『愛の教科書』の言葉を重ね合わせて読んでいると、私たちの心的内側と心的外側は両方とも外側の世界のような感覚を覚えます。そしてまるでその両側は相似象を描くように密接に絡み合いながら変化しているようだと思いました。『愛の教科書』は外的外側に向けて自分の生命感を表現することが愛であると説いていました。ユングの仮説と組み合わせると、それが内的外側にも同じく言えるということなのだと思います。そしてその内的外側の愛の対象となるものがアニマ・アニムスという存在なのだと思いました。ほんとうにすごいことだと思います(笑)
母親からの独立によって
本当のアニマやアニムスと
出会えるところは現実の世界と
同じかもしれないなと思いました。
愛の対象が自分の外と内の両方に
あることになると
どっちも一つになってしまうのかな
と思いました。
愛の教科書の対象は外にいる人間だったです。森田さんの視点によると…ユングのアニマとは…母との自然な一体感が失われた後、内部の失楽園が起きた後にでる異性なのですね。…めちゃめちゃすごいなとおもって…なんだかとても刺激的です。どうしてかというと…内部で失楽園したアダムとイブとおもうと…やっぱそれらが追放で外にでることはなかなかできないしどこまでいっても内部では…行き場もないような。…そこに…エデンだったとこに他の異性が映しだされてあらわれたような感じというかをおもったからです。アニマすごすぎ…本当に助けがあるというかアニマもそんな…ある意味完璧世界に助けに来るなんて…ワンネスの映画おもいますし……なにかほんとにめちゃめちゃスゴイお話に思います。それに失楽園したあとの楽園はどうなっちゃったんだとおもってたんですが…すごく微妙な部分があるんだなってかんじたし。なんだか新しい映画のおはなしもおもいだされてるし…どうするのどうなるのと手に汗握る感じです。