映画「ワンネス」 アニマは最初、母親像 2013/11/03 7:14 AM 「ユングの心理学」という本からの抜粋の続きです。 『アニマの場合は最初、母親の上に投げかけられていて、近親相姦的な母子一体の世界を作り上げる』 赤ちゃんの時代はお母さんがアニマ像なのです。 お母さんは完全に自分を守ってくれる存在なので、そうだと思います。 ユングはそのあと自立して母から離れていくと書いていますが、そうでしょうか? 女性の中に母親的要素を求める男性は多いと思うのですが…(笑)。 っていうか、僕だってそうです。 甘えたいです(爆) シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 相手を愛することは自分を愛すること 映画「ワンネス」 失楽園の後に本当のアニマ・アニムスと出会う » コメント どせい より: 2013/11/03 09:37 私は、以前、勤めていた会社を辞めたことがあるのですが、その時、既に母親が死んでいて、「助かった」というような感じがしました。もし、母が生きていたら、仕事を辞めることに対して、もっと葛藤があったかもしれないと思います。すでに結婚して、子供もいる状態でしたが、それでも「母」というのは、それだけ影響力があるのではないかと思います。自分を守ってくれる存在として、象徴となっているのかもしれないです。 思春期以降、男性は、自立して、別の女性を好きになっていくと思います。外側から見れば、母から離れて、外の女性へと向かうように見えるかもしれませんが、自分を守ってくれる存在としての母性は、ずっと求めているのかもしれないです。 自立してからも、なお、「母」の意向を気にしてしまうのは、自分を守ってくれる存在から、離脱していくことに対する恐怖感だと思います。もちろん、すでにお互い成人していますから、物理的に何か守ってくれるわけではないです。ですが、「母」というのは、自分の心の中で、そういう守ってくれる存在の象徴となっていて、それに逆らうことは、自分が誰からも守られない存在となってしまうような恐怖感があるのではないかと思います。 まりん より: 2013/11/03 09:47 ユングさんの本で、最初のアニマは、母親像というのはなるほどって思います。生まれて初めての女性で、無条件で守ってくれる存在で、母子一体だからです。そんな母親は現実の女性であると同時に内面のアニマにもなって、唯一の女性なんだと思います。でも、その後成長するにつれて自立し、いろいろな女性に出会っていって、アニマ像も変化していくんだと思います。けれど、どんな男性にとっても最初の女性像は母親です。アニマの姿は変わったとしても、母親的な要素として永遠に求め続けるのかもしれないと思いました。 小町 より: 2013/11/03 10:25 母親の存在って、確かに永遠の女性像かもと思います。小さな子供を守っている母親に見ているだけで、感動してくるモノがあります。男性にとっては最初は母親で、ユングのいうようには、離れないものを男性は感じているのだと思います。守られていたいし甘えていたいは女性もあるので、わかります(笑) みっく より: 2013/11/03 10:53 男性にとって最初のアニマが母親というのは、とても大きなことみたいに思います。生まれてすぐは母親しか知らないし、その唯一の女性は自分を完全に守ってくれる存在で、母親が好きになるのは当たり前みたいに思います。ユングはその後自立をして母から離れると書いているけど、この世に生まれて最初の女性はずっと忘れられないのかもと思います。独立心がでてきて、大人になって、独立をして、一見、意識も物理的にも離れたとしても、無意識の中のアニマは母の要素があって、それを求めているのかもと思います。 こはな より: 2013/11/03 14:44 甘えたかったり、お母さん的要素を求めるのは・・男性の心には、赤ちゃん時代の心が残っているんじゃないかと思いました。最初のアニマが今もいます・・っていうのは、何か素敵な感じもします(#^_^#) まるこ より: 2013/11/03 22:42 はい、いつまでたっても甘えたい欲求が男の中にあると思います。女性の中に自分を無条件で守ってくれる母親的な要素も求めていると思います。残りはするものの年齢とともに意識上では薄らいで行っているのかもしれません。でもそれも意識上でのことです。社会的にはいい歳して甘えるということをヨシとしていません。だからそれを意識が認知して無意識の欲求をただ単に押し込めているだけかもしれないと思います。意識の蓋を外してしまえば、相当母親的な存在に甘えたい自分がいてもおかしくないと思います。それも男性の中にいるアニマとの関係なのだと思います。ユングは幼少期にだけアニマが母親の姿をしていると仮説を立てたのだと思います。年齢によってアニマが変化するということを分析から導き出したのだと思います。アニマ・アニムスの性質としてとても重要な点なのだと思います。 浅葱色の苔 より: 2013/11/03 22:51 誕生した時点で既に自分に内在する相方がいるのかと思っていたのですが、男性にとっては母親が内在する相方を投影する相手とのことなので、誕生後に出会った女性をモデルとして内在する相方の形ができるのかと思いました。母親なら身近にいるのでモデルとしやすいけど、女性にとっての相方のモデルが父親なら、形ができるまでに時間がかかりそうな気がします。父親は母親ほど身近にはいませんから。 koil より: 2013/11/03 23:32 たしかに今でも 女性に対して 甘えたいという気持ちは あると思います。 和佳 より: 2013/11/22 16:15 母親の上に投げかけられていて…というところがとても心に残りました。そしてそれはどうもアニマが完全に守ってくれてることとなにかリンクしてるみたいだなっておもったです。そして…母親の上に投げかけられていて…というところもとても興味深く思いました。森田さんの本で『「私は結果」原因の世界への旅』の「投影」についての箇所をおもいました。。次元超えのひとつは断面を作ること、そしてもう一つの方法は投影で…次元を移動してもその性質はほぼ変わらないというところです。写真は二次元だが違和感を感じない…という事例をよんで…アニマはなんていうか…母に投影されてそして全く違和感ないんだなって感じました。感じられないアニマがそこに映ってるんだなと思います。そして本物と変わらない情報がそこにはあり…私達が幼い時のアニマは完全に守る性質を帯びてるみたいだなと思いました。そして男性は女性に母親的要素を求めるところがあり…それって…なにか…永遠なるアニマの作用だったのですね。男性が甘えてるとこめったに見られないものって気がしてて…もしそれがでてきたら…時を逆行した…非常にデリケートな子供のような状態のときなのかなって思います。すごく興味深かったです
私は、以前、勤めていた会社を辞めたことがあるのですが、その時、既に母親が死んでいて、「助かった」というような感じがしました。もし、母が生きていたら、仕事を辞めることに対して、もっと葛藤があったかもしれないと思います。すでに結婚して、子供もいる状態でしたが、それでも「母」というのは、それだけ影響力があるのではないかと思います。自分を守ってくれる存在として、象徴となっているのかもしれないです。
思春期以降、男性は、自立して、別の女性を好きになっていくと思います。外側から見れば、母から離れて、外の女性へと向かうように見えるかもしれませんが、自分を守ってくれる存在としての母性は、ずっと求めているのかもしれないです。
自立してからも、なお、「母」の意向を気にしてしまうのは、自分を守ってくれる存在から、離脱していくことに対する恐怖感だと思います。もちろん、すでにお互い成人していますから、物理的に何か守ってくれるわけではないです。ですが、「母」というのは、自分の心の中で、そういう守ってくれる存在の象徴となっていて、それに逆らうことは、自分が誰からも守られない存在となってしまうような恐怖感があるのではないかと思います。
ユングさんの本で、最初のアニマは、母親像というのはなるほどって思います。生まれて初めての女性で、無条件で守ってくれる存在で、母子一体だからです。そんな母親は現実の女性であると同時に内面のアニマにもなって、唯一の女性なんだと思います。でも、その後成長するにつれて自立し、いろいろな女性に出会っていって、アニマ像も変化していくんだと思います。けれど、どんな男性にとっても最初の女性像は母親です。アニマの姿は変わったとしても、母親的な要素として永遠に求め続けるのかもしれないと思いました。
母親の存在って、確かに永遠の女性像かもと思います。小さな子供を守っている母親に見ているだけで、感動してくるモノがあります。男性にとっては最初は母親で、ユングのいうようには、離れないものを男性は感じているのだと思います。守られていたいし甘えていたいは女性もあるので、わかります(笑)
男性にとって最初のアニマが母親というのは、とても大きなことみたいに思います。生まれてすぐは母親しか知らないし、その唯一の女性は自分を完全に守ってくれる存在で、母親が好きになるのは当たり前みたいに思います。ユングはその後自立をして母から離れると書いているけど、この世に生まれて最初の女性はずっと忘れられないのかもと思います。独立心がでてきて、大人になって、独立をして、一見、意識も物理的にも離れたとしても、無意識の中のアニマは母の要素があって、それを求めているのかもと思います。
甘えたかったり、お母さん的要素を求めるのは・・男性の心には、赤ちゃん時代の心が残っているんじゃないかと思いました。最初のアニマが今もいます・・っていうのは、何か素敵な感じもします(#^_^#)
はい、いつまでたっても甘えたい欲求が男の中にあると思います。女性の中に自分を無条件で守ってくれる母親的な要素も求めていると思います。残りはするものの年齢とともに意識上では薄らいで行っているのかもしれません。でもそれも意識上でのことです。社会的にはいい歳して甘えるということをヨシとしていません。だからそれを意識が認知して無意識の欲求をただ単に押し込めているだけかもしれないと思います。意識の蓋を外してしまえば、相当母親的な存在に甘えたい自分がいてもおかしくないと思います。それも男性の中にいるアニマとの関係なのだと思います。ユングは幼少期にだけアニマが母親の姿をしていると仮説を立てたのだと思います。年齢によってアニマが変化するということを分析から導き出したのだと思います。アニマ・アニムスの性質としてとても重要な点なのだと思います。
誕生した時点で既に自分に内在する相方がいるのかと思っていたのですが、男性にとっては母親が内在する相方を投影する相手とのことなので、誕生後に出会った女性をモデルとして内在する相方の形ができるのかと思いました。母親なら身近にいるのでモデルとしやすいけど、女性にとっての相方のモデルが父親なら、形ができるまでに時間がかかりそうな気がします。父親は母親ほど身近にはいませんから。
たしかに今でも
女性に対して
甘えたいという気持ちは
あると思います。
母親の上に投げかけられていて…というところがとても心に残りました。そしてそれはどうもアニマが完全に守ってくれてることとなにかリンクしてるみたいだなっておもったです。そして…母親の上に投げかけられていて…というところもとても興味深く思いました。森田さんの本で『「私は結果」原因の世界への旅』の「投影」についての箇所をおもいました。。次元超えのひとつは断面を作ること、そしてもう一つの方法は投影で…次元を移動してもその性質はほぼ変わらないというところです。写真は二次元だが違和感を感じない…という事例をよんで…アニマはなんていうか…母に投影されてそして全く違和感ないんだなって感じました。感じられないアニマがそこに映ってるんだなと思います。そして本物と変わらない情報がそこにはあり…私達が幼い時のアニマは完全に守る性質を帯びてるみたいだなと思いました。そして男性は女性に母親的要素を求めるところがあり…それって…なにか…永遠なるアニマの作用だったのですね。男性が甘えてるとこめったに見られないものって気がしてて…もしそれがでてきたら…時を逆行した…非常にデリケートな子供のような状態のときなのかなって思います。すごく興味深かったです