映画「ワンネス」 相手を愛することは自分を愛すること 2013/11/02 6:44 AM 自分は「片割れ」ではなかったことに対する私の意見です。 ユングは自分の中には永遠の異性がいて、輝きを放っていると言っています。 ということは、三次元の世界で異性に恋をすることは、自分自身に恋をすることかも知れません。 愛の教科書と合体すれば、恋した異性に生を表現する(愛する)ことは、自分自身に対して生を表現している(愛する)ことになるのかも知れません。 自分が片割れではなかったことは、すごい発見だと思いました。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」 自分は「片割れ」ではない 映画「ワンネス」 アニマは最初、母親像 » コメント まりん より: 2013/11/02 08:56 ユングさんの発見と愛の教科書との合体から出てきた発見がすごいです。愛の教科書で、愛は自分のためだってことに衝撃を受けたけれど、それは同時に相手のためであり、自分と相手は同じだからなのだと思います。異性に恋する私は、自分(永遠の輝きを放つ異性)に恋してる。。。とてもキました。生を表出するのは、自分にも相手にもです。ユングさんの発見は、自分と相手が同じだということを無意識のアニマやアニムスから解明してて、ものすごい発見だと思いました。 浅葱色の苔 より: 2013/11/02 14:37 自分自身に対する愛情表現が、自分以外の人の目に見える形で表れたのが、自分の愛の対象となった相手への接し方であれば、愛し方がわからないという困惑した感情は、自分自身に対する接し方がわからないことに等しいと感じました。 どせい より: 2013/11/02 23:25 あらためて、自分が「片割れ」でなかったという気付き、はとてもすごいと思います。自分の中に、永遠の異性が輝きを放っているというのは、すごいと思います。三次元の世界で異性に恋をすることは、自分のアニマに恋することで、自分自身に恋することなのだと思います。愛の教科書のとあわせれば、恋した女性に生を表現することは、自分自身に生を表現していることになるかもしれないです。何だか想像していて、生というエネルギーがまるで循環しているようだと思います。生を表現しても、表現しても、それは自分自身に返ってくることになるのかもしれないです。 koil より: 2013/11/02 23:41 異性を愛することが 自分を愛していることになるかもしれないとは 思ってもみませんでした。 異性を愛することは 自分に無いものを求めているからかなと思っていました。 自分が片割れでなかったことの発見によって 相手を愛することが自分を愛することだということを 導き出されたんだなと思いました。 すごい発見だと思いました。 こはな より: 2013/11/03 00:43 自分が片割れでなかったことは確かにすごい発見です。さらにそこから愛の教科書の著者さんの愛することと合体させることがめちゃくちゃ素敵です。もりけんさんは新たな発見した後、自分が片割れでなかったことの発見はすごい・・と最初に戻ることもとってもカッコいいです。 まるこ より: 2013/11/03 01:07 自分は今まで自分の中にもう一人の自分がいるというはっきりとした感覚を持ったことがありません。でももりけんさんの意見を伺って、いままで恋をすることでそのもう一人の自分に出会って来たし、触れてきたのだと思いました。自分ひとりではなかなか知覚することができないアニマ・アニムスが、恋をすることで感じることができるって、ほんとうにすごい仕組みだと思いました。自分が片割れでないことは愛についても同じことが言えるのだと思います。自分の生を表現し与えることで相手の生命感を高めることができ、それは同時に自分の生命感を高めることになる。まさに愛の教科書の著者が愛について書いていたとおりのことが、このユングの仮説からも導きだせるのだと思います。今朝この書き込みを読んでからずっと唸り続けています。ほんとうにすごい指摘だと思います。 みっく より: 2013/11/03 08:42 異性は自分でもあるんだと思いました。異性を好きになればなるほど、それは自分を好きなっているのも同じなんだと思いました。恋をする人が輝いているのは、自分自身が好きだからかもと思いました。愛の表現は相手に向けられるけど、それは自分に向けられてるのと同じで、自分自身もうれしいことなんだと思いました。 人を好きになることはしんどい・・って思ったことがよくありましたが、それは何か見返りを期待していたからかもしれません。ただ好きになるだけで良かったのにと思います。相手の反応を見るとしんどくなるのだと思います。ただ好きになるだけで、自分自身も好きになれて、もっと幸せな気持ちになれたのかもしれないと思います。 自分が片割れでないということは、与える愛が減るものではないという、上智の教科書のお話と重なると思いました。 和佳 より: 2013/11/20 17:31 なんかすごい考えさせられてます。自分の魂のようにかんじられてるもの…それは知覚できない永遠の異性。…自分は恋した異性に…表現ってできたことないんじゃないかなって思います。自分を愛すること…できてない気がする。魂をあいしたことあったかなぁって考えさせられてます。私にとってそれはただの透明のピカピカであったり…過去には…カルマの中にもおいたりしてて……私は愛ってほんとわかんないなっておもうとこあったんだけど…なんていうか…自然な感覚に頼ったり(するとただのピカピカというか)…偉い人の意見ばっかりきいてるみたいな(するとレベルアップとおもったりする)…なにか…それって見えない感じられないからって…愛が無いんだなって思いました。なんだか自分に愛がないの感じられます。森田さんが…片割れではないのだ…と発見されたことは…なにか…映画のお話思い出されます。智也は死んだ彼女を助けにいったなぁって。考えさせられてます。
ユングさんの発見と愛の教科書との合体から出てきた発見がすごいです。愛の教科書で、愛は自分のためだってことに衝撃を受けたけれど、それは同時に相手のためであり、自分と相手は同じだからなのだと思います。異性に恋する私は、自分(永遠の輝きを放つ異性)に恋してる。。。とてもキました。生を表出するのは、自分にも相手にもです。ユングさんの発見は、自分と相手が同じだということを無意識のアニマやアニムスから解明してて、ものすごい発見だと思いました。
自分自身に対する愛情表現が、自分以外の人の目に見える形で表れたのが、自分の愛の対象となった相手への接し方であれば、愛し方がわからないという困惑した感情は、自分自身に対する接し方がわからないことに等しいと感じました。
あらためて、自分が「片割れ」でなかったという気付き、はとてもすごいと思います。自分の中に、永遠の異性が輝きを放っているというのは、すごいと思います。三次元の世界で異性に恋をすることは、自分のアニマに恋することで、自分自身に恋することなのだと思います。愛の教科書のとあわせれば、恋した女性に生を表現することは、自分自身に生を表現していることになるかもしれないです。何だか想像していて、生というエネルギーがまるで循環しているようだと思います。生を表現しても、表現しても、それは自分自身に返ってくることになるのかもしれないです。
異性を愛することが
自分を愛していることになるかもしれないとは
思ってもみませんでした。
異性を愛することは
自分に無いものを求めているからかなと思っていました。
自分が片割れでなかったことの発見によって
相手を愛することが自分を愛することだということを
導き出されたんだなと思いました。
すごい発見だと思いました。
自分が片割れでなかったことは確かにすごい発見です。さらにそこから愛の教科書の著者さんの愛することと合体させることがめちゃくちゃ素敵です。もりけんさんは新たな発見した後、自分が片割れでなかったことの発見はすごい・・と最初に戻ることもとってもカッコいいです。
自分は今まで自分の中にもう一人の自分がいるというはっきりとした感覚を持ったことがありません。でももりけんさんの意見を伺って、いままで恋をすることでそのもう一人の自分に出会って来たし、触れてきたのだと思いました。自分ひとりではなかなか知覚することができないアニマ・アニムスが、恋をすることで感じることができるって、ほんとうにすごい仕組みだと思いました。自分が片割れでないことは愛についても同じことが言えるのだと思います。自分の生を表現し与えることで相手の生命感を高めることができ、それは同時に自分の生命感を高めることになる。まさに愛の教科書の著者が愛について書いていたとおりのことが、このユングの仮説からも導きだせるのだと思います。今朝この書き込みを読んでからずっと唸り続けています。ほんとうにすごい指摘だと思います。
異性は自分でもあるんだと思いました。異性を好きになればなるほど、それは自分を好きなっているのも同じなんだと思いました。恋をする人が輝いているのは、自分自身が好きだからかもと思いました。愛の表現は相手に向けられるけど、それは自分に向けられてるのと同じで、自分自身もうれしいことなんだと思いました。
人を好きになることはしんどい・・って思ったことがよくありましたが、それは何か見返りを期待していたからかもしれません。ただ好きになるだけで良かったのにと思います。相手の反応を見るとしんどくなるのだと思います。ただ好きになるだけで、自分自身も好きになれて、もっと幸せな気持ちになれたのかもしれないと思います。
自分が片割れでないということは、与える愛が減るものではないという、上智の教科書のお話と重なると思いました。
なんかすごい考えさせられてます。自分の魂のようにかんじられてるもの…それは知覚できない永遠の異性。…自分は恋した異性に…表現ってできたことないんじゃないかなって思います。自分を愛すること…できてない気がする。魂をあいしたことあったかなぁって考えさせられてます。私にとってそれはただの透明のピカピカであったり…過去には…カルマの中にもおいたりしてて……私は愛ってほんとわかんないなっておもうとこあったんだけど…なんていうか…自然な感覚に頼ったり(するとただのピカピカというか)…偉い人の意見ばっかりきいてるみたいな(するとレベルアップとおもったりする)…なにか…それって見えない感じられないからって…愛が無いんだなって思いました。なんだか自分に愛がないの感じられます。森田さんが…片割れではないのだ…と発見されたことは…なにか…映画のお話思い出されます。智也は死んだ彼女を助けにいったなぁって。考えさせられてます。