アニマとアニムスというのは、心理学者のユングが提唱しました。
男性の心の中には無意識の存在として女性性が潜んでいるというのです。それをアニマと名付けました。
同様に女性の心の中には無意識の存在として男性性が潜んでいてアニムスと名付けました。
男性にとってアニマは理想の女性像で、女性にとってアニムスは理想の男性像だというのです。
イラストは映画「ワンネス」の中に登場するイメージです。
これを読んでいる皆さん、どうですか?
思い当たるフシはありますか?
恋は積極的にするものではなく、落ちるものです。
半分制御がきかなくなってしまうのが恋です。
これはアニマやアニムスのせいかも知れません。
自分ですべてコントロールできるうちは、まだ意識が支配しているからです。
続く。
もりけんさんの向こう側にいつも神を感じます。もりけんさんは16歳の時から神に恋をしているようにも感じます。智也のアニマの容子の中に神を感じます。人間は無意識に対して恋に落ちるようになっているような感じがしました。好きになってしまう相手の中に神の性質が潜んでいる感じがしました。神も人間に恋をしているかもしれないと感じました。
自分の中にも理想の男性像がすでに潜んでいて、そんな相手に巡り会ったときに、恋におちるんだなって思いました。心の中に無意識に存在してる理想の相手が目の前に現れたら。。本当にそうなるって思います。無意識に惹かれていくのに、意識ではどうしようもないって思ったからです。みんな違うアニマやアニムスをもってるとしたら、お互い同士のアニマとアニムスの相手に出会えるって、奇跡的な出会いなんじゃないかって思いました。
この頃は、男とか女とかあまり考えてない自分だと思います。でも、昔は、自分は女らしくはないと思ったし、どっちかというと、男性よりかもと思ったりしてました。だから、無意識に潜んでいる異性の性があるということは、みなそうなのかという感じがします。ただ、アニムスが理想の男性像というのは、自分自身のことで考えるとよくわからなかったりします。理想はこうだとか考えることがあまりないからかもしれません。
落ちます。落ちたり、惹かれたり ・・勝手にそうなります。私の中のアニムスと、出会ったとき、そうなるのかなと思います。
「恋は積極的にするものではなく、落ちるものです。」
「半分制御がきかなくなってしまうのが恋です」
思い当たるふし大ありです(滝汗)
それと、今までに好きになった人のタイプが似てるのは(外見だけじゃなく性格も)単なる偶然と思ってましたがこれが自分の中にあるアニムスのせいだとしたら、納得です!
ほんとに、恋は落ちるって言います。落ちるというのは、自分ではどうしようもないものを感じます。誰かを好きな時は、ほんとにあばたもえくぼで、人から見てどうであれ、どんな部分も理由なく好きになってしまうと思います。自分でもよく分からないというところが、アニマ、アニムスの存在を感じます。
アニマとアニムス、大変興味深く面白いです。誰もの中に存在している男性性と女性性、今世の肉体の器が男か女かに分かれていても、前意識の部分ではより理想のアニマやアニムスを本能的に求める遺伝子スイッチがオン状態になっているから、理屈ではない欲望や感情が動かされる衝動の状態が起こりうるのかもしれないです。意識としてのブレーキは、犯罪抑止という意味では必要なのかもしれません。この歳になるとプラトニックな恋の時間もまた格別なひとときですから。(笑)
…半分制御が効かなくなるのが恋ってめちゃめちゃ恋愛の本質なんじゃないかなって感じました。恋は積極性ではないし…落ちながらも制御がすべて効かないわけではないし(かといって制御ができるわけでもない)…意識で支配しきればつまらないし…かと言って無意識だけでもうまくいかないような……非常に興味深いお話に感じてます。半分きかない しかも どこをどうするとどこに繋がってるのかわからない自分みたいな…そこには無意識の理想の異性の存在があるのかもしれないんだなってすごく興味深かったです
ユングも…そんな恋愛を体験したんだろうかと…近寄りがたい大御所を…なにか身近に感じる気持ちになりました
好きになるときは、いつのまにかだなと思いました。どうして好きになるのかは、はっきりしていなくて、理由は後からついてくるのかもしれないと思いました。アニマとアニムスのせいなのかもしれないのだなと思いました。あなたの中には私がいて、私の中にはあなたがいるのだなと思いました。おー。なんか素敵な響きだなと思いました。
俗に言うヒトメボレ・・・が、私の恋愛の一歩だと思います。考える暇もなく、ほんとに「落ちてる」状態だと思いました。ヒトメボレをされて、強烈な告白を受けたこともありますが・・・お互いのアニマとアニムスが違っていたことが多かったように思います。お互いにビビッ・・・と感じあって、お互いがお互いのアニマとアニムスなら最高なんだと思いました(笑)
男性の心の中には女性性が潜んでいて、女性の心の中には男性性が潜んでいる・・というのは、とても面白いです。
ユングは、それに対して、それぞれアニマ、アニムスという名前をつけたのですね。それぞれ、お互いの理想像であるのだと思います。
私は、男性ですが、心の中に「女性性」があるかといえば・・・「ある」と思いました。
恋が、「落ちる」ものであるというのは、とても鋭くて、ステキな指摘だと思います。無意識によって、半分制御が効かなくなってしまうのが、「恋」なのですね。。(笑)
男性の自分の心の中に「女性性」がありますということを考えさせて頂いて、とても素敵で面白いです。自分自身のことを考えると、自分も心の中に「女性性」はあって、アニマが心の中にいてくれると思います。自分の心の中のアニマへ惹かれて、落ちていっているということを思うととても素敵です。自分の中のアニマに見つめられながら、半分制御がきかないほどに惹かれていっていると思います。
女性性と男性性は、プラスとマイナスのようにひとつの中に共存するのかと思います。無意識の中にも、理想像は内在されているからこそ、知らないうちに恋に落ちるのかなと思いました。アニマとアニムスに出会ったとき、どうしようもないほど惹きつけられて好きになるのかなと思いました。
恋に落ちてしまうのは、自分の中のアニムスのせいでもあるのかと思います。理想としているものが無意識の中に形成しているし、その対象が来たら、恋してしまうんだと思います。無視できないと思います。なぜか理由なく好きになってしまう経験、あると思います。
人を好きになるって、本当に「落ちる」という表現がぴったりです。それが自分の無意識の世界にいる反対性のアニマやアニムスの導きによるものだとしたら、それは「もう一人の私」とも言えるのだと思います。意識バリバリで生きているときは、その「もう一人の私」が置き去りにされている状態なのかもしれないと思いました。アニマやアニムスとワンセットになった自分が、今の「私」であるとイメージすると、なんだかとても優しい気持ちになります。そんな気持ちでいた方が、恋だけでなく、いろんなことがうまく転回して行くような気がします。