映画「和」 淡々と生きるということ

2014/03/31 8:07 AM

  
 数日前にワクワクとかドキドキについて書きました。
 しかし僕は今、平凡な日常を淡々と生きています。
 今までの半生をかえりみても、淡々と過ごしたことのほうが圧倒的に多いです。
 そうなると…ですよ、「淡々と過ごす生き方」というのも良いかも知れないと思いました。
 っていうか、日本人的生き方かも知れません。
 日本人は神社に行って家内安全を願うことが多いです。
 一家に事故や病気がないことを願うのです。
 そこには「淡々」も含まれるような気がします。
 西欧人はキリスト教が多いので人生は一回だけと信じています。だとすれば淡々じゃあイヤかも知れません。
 しかし日本人には輪廻の思想があります。
 淡々でなければちょっとやっていけません(笑)


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コメント

  1. まるこ より:

    淡々と生きるって、どこにも向かっていなくて、何も特別なものを求めていないと感じます。その根底には「生きているだけであり難い」という「お陰様」にも通じるものがあるような気がします。人生を一発だけ上がる花火だと思ったら、その花火をいかに華やかなものにしようかと考えてしまって、生きることに目的ができそうです。淡々にはいつまでもイカナイ、目的と方向性のない継続性を感じさせます。輪廻という循環のシステムには「淡々」が向いていて、それはとても日本的だと思いました。もしかしたら西欧的な考え方が入って来て以来、日本人はそんな「淡々」をどこかで否定してきたのかもしれないと思いました。そして、いつしか生きることに目的を持つようになり、淡々と平凡な人生を生きることに不平不満を持つようになったのかもしれないと思いました。

  2. 小町 より:

    一家が無事であることは本当に大きいと思います。自分だけの生き方を追求していたら、「家内安全」では無くなってしまうと思います。西洋人は神が長になって、神に自分のことを祈ったらいいだけだと思います。淡々と生きることは普通に環境に合わせて生きることだと思います。自分だけがいい生き方じゃないと思います。何かを達成するのも無いものだと思ってきます。

  3. どせい より:

    私は、平凡な日常を淡々と生きているだけです。・・ですが、どこかでこうやって淡々として生きているだけで、いいのだろうか・・・と、たまに自問自答する自分がいると思います。・・何というか、淡々として生きているだけだと、自分が何の役にも立っていないような、無価値なような気持ちになって、ぼーーっとしているくせに、ぼーーーっとしているのにたまに堪えられなくなるときがあると思います。たぶん、受身であることに、まだ堪えられない自分があるのかもしれないです・・。
    ですが、この淡々としたすごし方は・・・日本人的生き方なのかもしれないのだと思います。神社に行って家内安全や無病息災を願ったり・・。そこには何かを実現するというより、日々淡々と、何もないことをヨシとしているのかもしれないです・・。それが日本人的生き方でもあるのだと思います。

  4. こはな より:

    淡々は、日本人的なのだと思いました。日本人がどんな生き方なのか・・と、わたしは日本人なのですが、考えたことはありませんでした。自分の日常はどんなか、日本人はどんなことをしているのか、日本にある思想はどんなのがあるかとか・・そんな風に見直すと、日本人や日本の発見があるみたいで、自分でしたわけではないのですが、すごいと思いました。

  5. なんしぃ より:

    淡々と生きているとき、何かを奪ったりしていなくて、他人と対立関係になっていないのではないかと感じました。輪廻思想があると、他人を他人と思えなくなるような感じがしてきました。前世の記憶がなくても、どこかで出会ったことがあるかもしれないような、はじめて会った人や場所やいろんなことが、以前にもあったかもしれないとなると、淡々とするしかなくなるような感じがしました。一回しかないとなると、奪い合いとか、対立関係が生まれてしまうのかもしれないと感じました。輪廻思想というのは生き方も変えてしまうかもしれないと感じました

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