桜はなぜ日本的なのでしょうか?
一斉に咲いてパッと散る潔さだと言われていますが、実はそれだけではありません。
お蔭様的なのです。
桜と言えばソメイヨシノですが、この花は江戸時代に品種改良されて作られました。
ご存知のようにサクランボはできません。
つまり自分自身で繁殖する力はないんです。
人間が接ぎ木して、増やすのです。
梅や桃は種子で自己増殖できますが、桜は違うのです。
美しく咲いているので、それを見た人が増殖したくなるのです。
人間が地球からいなくなれば、当然、桜も消えます。
お互いに、お蔭様の世界でなりたっているのです。
しかし、自己増殖できないのに、桜は圧倒的地位を獲得しています。
ここに生き方のヒントがあります。
自己増殖ばかり考えて、自分の楽しみを追求するよりも、他の人を楽しませたほうが増殖できるのです。
与えることは、結果として、多くをもらうことになります。
その配分をしているのは、実は神様です。
このお陰様的システムを映画「和」のプレミアム上映会でお話しします。
http://www.wa-movie.jp/new.html
美しいからその姿を見たひとが増やしたくなるのだと思いました。魅了されて、また植える方も、その桜の美しさを賛美したいだけなのだと思います。綺麗でしょうって、植えた方は、美しい桜が自慢なのだと思います。お花見の時の桜、桜吹雪や舞い散る様は、植えてくれた人たちの背景になっている感じもします。お陰様的で、美しいです。
桜がそういう植物だったとは全く知りませんでした。増殖を追及せずに周囲を喜ばせ楽しませることが結果として増殖に繋がっている。まさに「お陰様」を体現していてとても日本的だと思います。日本人もずっと桜のような生き方をしてきたんだと思います。お陰様のシステムについて詳しくお聞きできるのがとても楽しみです。
日本を代表する花である「サクラ」のから導き出された、他の人を楽しませたほうが、増殖できるという指摘・・、とても興味深いです。ソメイヨシノの特徴は、見た人を楽しませていると思います。このただ一点で・・・この花は圧倒的な地位を手にしているのだと思います。
神様の配分、やっぱりすごいです。与えることが受け取ることという配分が、本当に自動的に行われていると思います
桜が咲いている風情に言い知れないものを感じてきます。人が手をかけないと咲かないけれど、桜の花見はいつも人を幸せに楽しくさせいていると思います。これほどポピュラーな花なのに自分では繁殖できないと思いました。人がまた咲いてくれたと思う度に増えていく花だと思います。吉野山に一目千本の桜もこうやって人の手で接ぎ木されて植えられたものだというのもお陰さまの世界になっていると思います。弱いかけど、人を楽しませてくれること、その一点はすべてを花にして咲く桜の純粋さを感じてくると思います。お陰さまを体現しているって、素敵だし素晴らしいです。咲いている桜に幸せをもらっているんだと思います。
日本人がお陰様で生きてるように、桜もお陰様で生きてるお話、とってもキました。自分では増えていくことができなくて、周りが介入することで広がっていったことに、日本人と桜との深いつながりを感じます。そんなつながりの背後にはお陰様の神様を感じます。生き方に当てはめたとき、私たちの思い込みとは逆に、周りに与えるほどに、結果として多くをもらうことを桜はその存在をかけて現してるのだと思いました。
与えるということをよくわかっていなかったかもしれないととても考えさせられました。与えるということは、自己犠牲とか自分が損をするとか我慢することであるとか考えてしまいますが、そうではないと桜を見て感じました。お話をプレミアム上映会でぜひ聞きたいと思います