映画「和」 桜にとって日本人は神(笑) 2014/04/02 7:03 AM 昨日の続きです。 桜は自己増殖できないと書きました。 日本人が接ぎ木で増やしてきたのです。 これはダーウィンの進化論でどう説明するのでしょうか? 桜はそれ自身で自然淘汰してきたわけではないからです。 桜にとって日本人は神だと思います。 桜の増殖は日本人にゆだねられているからです。 こんな視点で花見をするのも楽しいと思います(笑) リボンと花見に行ってきました。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「和」 桜はなぜ日本的か 映画「和」 他力思想 » コメント 小町 より: 2014/04/02 07:11 もりけんさんとリボンちゃん、可愛いです(笑)桜が綺麗に咲いています。本当にお花見って、いいなと思います。桜の花見は日本人がし出したとつくづく思います。桜は全然進化していないし、そのままのソメイヨシノが日本中で咲いています。桜にとったら日本人は神にも等しいかもしれないです。その視点も合わせて花見をしてみます(笑) こはな より: 2014/04/02 12:59 桜にとって日本人は神・・こういう視点で桜を見ることはなかったです。ほんとに目からウロコがいっぱいです。桜は、江戸時代と同じ桜なのだと思います。時代が変わっても、美しいと感じる日本人がいて、接ぎ木されてきたのだと思います。すごいお話を聞いている気がして、写真にピースです(笑)素敵なお花見です。 まるこ より: 2014/04/02 17:55 桜色のジャケットのもりけんさんの笑顔、そして嬉しそうなリボンちゃんがとっても素敵です(笑)桜にとって日本人は神・・こんな視点をいままで持ったこと無いです。でもほんとうにそうだと思いました。自分の存在を日本人にゆだねている桜に「進化」という言葉が全く合わないと感じました。それは、桜がどういう植物かということを伺って、桜に自己を感じなくなったからだと思います。進化論は自己増殖(利己的欲求)が前提になっている思想なんだと思いました。日本人と一身同体で完全に受け身な桜はそんな進化論を超越した植物。つまり自己超越した存在なんだと思いました。こんなことを考えながらのお花見、すごく楽しそうです。さっそくやってみます(笑) どせい より: 2014/04/02 22:47 桜が、自己増殖できないということは、桜は己自身の繁殖すら、もう人間の手にゆだねてしまっていると思います。まるで、桜はハンドルを手放しているかのようです・・。桜にとって、人間が神のようだという指摘は、もりけんさんならではの視点だと思います。なぜなら、もりけんさん自身が、神にゆだねていて、だからこそ、桜が自分自身の存在を人間にゆだねられていることに気がつかれたと思います。 満開の桜の下、リボンちゃんとの写真、とても素敵です。ピンクのジャケットも、とてもお似合いだと思います(笑) なんしぃ より: 2014/04/03 23:22 進化論には自力を感じました。自然淘汰という出来事も、自力で生きているという発想からできている感じがしました。桜は人間に自分の命を預けている感じがしました。人間に命を預け、さらに人間に美しい桜の花を表現して見せてくれていると思いました。桜は自分のことを守ろうとかしていなくて、人間にすべてをゆだねつつ、桜を咲かせるという桜ができること桜の命を人間という相手に与えていると思いました。生きるということはもしかしたら、生き延びるということを自力でするのではなくて、今自分ができる精いっぱいのことを命を出し切ることかもしれないと感じてきました
もりけんさんとリボンちゃん、可愛いです(笑)桜が綺麗に咲いています。本当にお花見って、いいなと思います。桜の花見は日本人がし出したとつくづく思います。桜は全然進化していないし、そのままのソメイヨシノが日本中で咲いています。桜にとったら日本人は神にも等しいかもしれないです。その視点も合わせて花見をしてみます(笑)
桜にとって日本人は神・・こういう視点で桜を見ることはなかったです。ほんとに目からウロコがいっぱいです。桜は、江戸時代と同じ桜なのだと思います。時代が変わっても、美しいと感じる日本人がいて、接ぎ木されてきたのだと思います。すごいお話を聞いている気がして、写真にピースです(笑)素敵なお花見です。
桜色のジャケットのもりけんさんの笑顔、そして嬉しそうなリボンちゃんがとっても素敵です(笑)桜にとって日本人は神・・こんな視点をいままで持ったこと無いです。でもほんとうにそうだと思いました。自分の存在を日本人にゆだねている桜に「進化」という言葉が全く合わないと感じました。それは、桜がどういう植物かということを伺って、桜に自己を感じなくなったからだと思います。進化論は自己増殖(利己的欲求)が前提になっている思想なんだと思いました。日本人と一身同体で完全に受け身な桜はそんな進化論を超越した植物。つまり自己超越した存在なんだと思いました。こんなことを考えながらのお花見、すごく楽しそうです。さっそくやってみます(笑)
桜が、自己増殖できないということは、桜は己自身の繁殖すら、もう人間の手にゆだねてしまっていると思います。まるで、桜はハンドルを手放しているかのようです・・。桜にとって、人間が神のようだという指摘は、もりけんさんならではの視点だと思います。なぜなら、もりけんさん自身が、神にゆだねていて、だからこそ、桜が自分自身の存在を人間にゆだねられていることに気がつかれたと思います。
満開の桜の下、リボンちゃんとの写真、とても素敵です。ピンクのジャケットも、とてもお似合いだと思います(笑)
進化論には自力を感じました。自然淘汰という出来事も、自力で生きているという発想からできている感じがしました。桜は人間に自分の命を預けている感じがしました。人間に命を預け、さらに人間に美しい桜の花を表現して見せてくれていると思いました。桜は自分のことを守ろうとかしていなくて、人間にすべてをゆだねつつ、桜を咲かせるという桜ができること桜の命を人間という相手に与えていると思いました。生きるということはもしかしたら、生き延びるということを自力でするのではなくて、今自分ができる精いっぱいのことを命を出し切ることかもしれないと感じてきました