映画「生まれ変わりの村」・・自分を手放せず、有りのままに生きると、きずなは切れていくような気がします 2014/10/18 5:47 AM 主題歌で二回目に「自分を手放す」が出てくる個所は次です。 『自分を手放せば きずなが… 僕たちだれもが きっとひとりじゃない』 自分を手放せず、有りのままに生きると、きずなは切れていくような気がします。 ここで言うきずなは、人と人との関係だけではなく、環境・宇宙・神との関係も指します。 ひとりじゃない…というのは環境・宇宙・神との関係も指すと思います。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「生まれ変わりの村」・・自分を手放すと、日常の中に光が見えてくる 映画「生まれ変わりの村」・・自分を手放して、愛はやっと世界に飛び出していく » コメント 和佳 より: 2014/10/18 06:00 二回目に自分を手放すが出てくる箇所も興味深いです。なんていうか…絆は手をつなぐこと見たいなイメージがあったので。手放しと絆ってイメージがなんか新しいです。拝見してて なんだか…手放してもつながってるなんて…運命の赤い糸のつながりが歌われてるみたいだと思いました。(赤いというか…なんかイメージは無色透明です!)ここでいう絆は…ちょっと一般的な人と人とのつながりだけでなく…「ひとりじゃない」かかれていて…宇宙や環境や神との関係もさしてるのだなと思いました。 まりん より: 2014/10/18 08:22 周りの人たちだけでなく環境の中で、宇宙の中で存在してるのが自分。。。そんなすべてを作った神が存在していること、そんな周りに深く気づけば気づくほどに感じれば感じるほどに、そんな周りを知りたくなるのかもしれません。周りを感じるほどに自動的に自分を手放せてるのかもしれないです。もりけんさんほどに神を感じ神を問い続けてる人はほかにはいなくて、そんな神の性質を知りたいと自分すらサンプルにしてデータを取ってる人はいないです。自分を手放すのがとても難しいのは、そんな周りの人たち、環境、宇宙。。。そんな周りを作った神を感じられないからかもしれないです。ひとりを感じたり、弱い自分を感じるときほど、周りから流れこんでくるものを感じられるのかもしれないです。有りのままは強い自分を感じます。歌詞のフレーズ。。。とても深くて、スケールが大きいです。 小町 より: 2014/10/18 08:56 有りのままは自分だけでやっていこうということだと思います。誰にも頼らない力をつけて、頑張ろうとして周りが見えてこなくなるかもしれません。そんな自分を手放すって、深いと思います。目標を持つのだって有りのままの追求だと思えてきます。今の自分が否定されているのも気がつかないままで生きてきたと思います。目指す自分、理想の自分を手放すことで、周りや人も宇宙もなんだかすべてが自分に降り注がれている感じが歌詞からも感じられます。何もなくてもいいと思ったときにきずながあるのに気がつくんだと思います。 こはな より: 2014/10/18 11:09 きっとそうなのだとすごく思いました。自分のことしか頭になかったら・・まわりから人は離れていくような気がします。それが環境・宇宙・神にも言えるのだと思います。自分を手放せず有りのままを生きると・・を感じました。 桃有 より: 2014/10/18 19:25 きずな・・は人と人との関係だけじゃなのだなと思います。環境、宇宙…自分を取り巻くすべてなのだなと思います。自分、自分‥と、自分を周りに示そうとすればするほど、周りとの繋がりは、切れて孤独になってしまっていくようだなと思います。自分を手放す・・というのは何かとっても不安な感じだなと思います。でも手放すことで、自分は素晴らしい世界と一緒なのだなということを感じられるのだなと思います。 なんしぃ より: 2014/10/18 22:24 きずなというと、人と人との関係しか考えてきたことがなかったと思いました。環境・宇宙・神との関係もきずなができるのだと歌詞から感じ、孤独が癒されました。なにひとつ自分ひとりでやっていることなどなにもなかったのだと思えてきました
二回目に自分を手放すが出てくる箇所も興味深いです。なんていうか…絆は手をつなぐこと見たいなイメージがあったので。手放しと絆ってイメージがなんか新しいです。拝見してて なんだか…手放してもつながってるなんて…運命の赤い糸のつながりが歌われてるみたいだと思いました。(赤いというか…なんかイメージは無色透明です!)ここでいう絆は…ちょっと一般的な人と人とのつながりだけでなく…「ひとりじゃない」かかれていて…宇宙や環境や神との関係もさしてるのだなと思いました。
周りの人たちだけでなく環境の中で、宇宙の中で存在してるのが自分。。。そんなすべてを作った神が存在していること、そんな周りに深く気づけば気づくほどに感じれば感じるほどに、そんな周りを知りたくなるのかもしれません。周りを感じるほどに自動的に自分を手放せてるのかもしれないです。もりけんさんほどに神を感じ神を問い続けてる人はほかにはいなくて、そんな神の性質を知りたいと自分すらサンプルにしてデータを取ってる人はいないです。自分を手放すのがとても難しいのは、そんな周りの人たち、環境、宇宙。。。そんな周りを作った神を感じられないからかもしれないです。ひとりを感じたり、弱い自分を感じるときほど、周りから流れこんでくるものを感じられるのかもしれないです。有りのままは強い自分を感じます。歌詞のフレーズ。。。とても深くて、スケールが大きいです。
有りのままは自分だけでやっていこうということだと思います。誰にも頼らない力をつけて、頑張ろうとして周りが見えてこなくなるかもしれません。そんな自分を手放すって、深いと思います。目標を持つのだって有りのままの追求だと思えてきます。今の自分が否定されているのも気がつかないままで生きてきたと思います。目指す自分、理想の自分を手放すことで、周りや人も宇宙もなんだかすべてが自分に降り注がれている感じが歌詞からも感じられます。何もなくてもいいと思ったときにきずながあるのに気がつくんだと思います。
きっとそうなのだとすごく思いました。自分のことしか頭になかったら・・まわりから人は離れていくような気がします。それが環境・宇宙・神にも言えるのだと思います。自分を手放せず有りのままを生きると・・を感じました。
きずな・・は人と人との関係だけじゃなのだなと思います。環境、宇宙…自分を取り巻くすべてなのだなと思います。自分、自分‥と、自分を周りに示そうとすればするほど、周りとの繋がりは、切れて孤独になってしまっていくようだなと思います。自分を手放す・・というのは何かとっても不安な感じだなと思います。でも手放すことで、自分は素晴らしい世界と一緒なのだなということを感じられるのだなと思います。
きずなというと、人と人との関係しか考えてきたことがなかったと思いました。環境・宇宙・神との関係もきずなができるのだと歌詞から感じ、孤独が癒されました。なにひとつ自分ひとりでやっていることなどなにもなかったのだと思えてきました