映画「生まれ変わりの村」・・自分を手放して、愛はやっと世界に飛び出していく

2014/10/19 9:11 AM

 
 主題歌で最後に「自分を手放す」が出てくる個所は次です。
『自分を手放せば 愛が… 愛しい僕から 愛しい世界へ』
 自分を手放して、愛はやっと世界に飛び出していく。
 そういう詞です。
 しかも「愛しい僕」のいうフレーズも入っています。
 自分を握りしめている状態はエゴなので、自分を愛することもできないと思うからです。


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コメント

  1. 小町 より:

    こうありたいと握りしめてしまうことがエゴの世界にいることだと思います。愛に関しても、相手に愛しているならこうだみたいに押し付けてちっとも愛になっていないと思いました。自分を手放すことで自分も愛おしくなる、やっと世界も愛おしさが溢れてくるのを感じるんだと思います。自分を手放しても自分がいる、それを感じられる世界だと思います。

  2. まりん より:

    自分を握りしめてるとき、自分への愛しかないと思っていたけれど、自分を愛することもできない状態。。。ぐっときました。自分を握りしめてるとき、周りに気づかないだけでなく、そんな自分にも気づいてなくて、きずなも切れ、光も見えなくなってる自分になってることにも気づいてない状態。。。だから自分すら愛せない。。。すごい発見です。そんな自分や周りを感じて気づいてはじめて心動かされるのかもしれないし、自分も手放せてるのかもしれません。何も見えてなくて気づいてなくて感じられないような状態は、周りの人だけでなく環境や宇宙や神との関係も感じられなくて、愛とは切り離されてしまってるのかもしれないです。とっても深く心に響いてくる歌詞です。

  3. 和佳 より:

    主題歌で最後に自分を手放す…がでてくる箇所は 愛について触れられてるのだなと思いました。愛しい僕から愛しい世界へ…はなんかすごい歌詞だなと思いました。…以前なにかのエッセイで…「愛する」っていうのは「愛」を「する」ことで…なんていうか「する」ことなんだ…みたいなのを読んだことがあるのをおもいだしたからです。愛ってかいて愛しい(いとしい)…ってなんかすごいなっておもいました。形容詞っていうかで…そのまま みたまま かんじたまま…みたいな性質や状態的感じがするところが。…なんか神様的采配の並びみたいってかんじました。自分を手放す と あるがまま はペアってお話ありました。自分を手放せば…愛が見える。けど…それは 主体は手放してしまってるので主体的に愛する 愛そうではなく…でてくるのは「愛」であり…いとしい……何か凄いなと思いました。愛が世界に飛び出すといっても…なんか…手放してしまったあと 誰がうたってるんだろうかっていう気持ちになり…とても不思議な印象の歌だとおもいました。

  4. なんしぃ より:

    自分を手放してという歌詞も言葉もどこにも読んだことも聞いたこともないと感じました。自分を手放さないで、最後まであきらめないでというような歌詞や言葉しか見たことも聞いたこともないと感じました。自分を握りしめていることは自分を愛していなかったのだと思いました。他人を愛せなかったのは、自分を愛していなかったからなのだと思いました

  5. こはな より:

    自分を手放せば・・・愛が 愛しい僕から愛しい世界へ  それは飛び出て行くんだと思います。しかも・・やっとなのだと思います。すごく生き生きしている生命力みたいです。

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