一昨日、テレビのバラエティ番組の録画に行きました。
とはいっても深夜放送向けです。
芸能人コメンテーター12人の前で生まれ変わりの村について喋りました。
コメンテーターはどんどん突っ込みを入れてくるのですが、最初
「この人、何言ってんだかわかんない」
と、コメンテーターのひとりから言われました。
はい、今までの生死感からすれば当然かも知れません。
私は言いました。
「人生は一度きりだと言われてきましたが、そうではないようです」
このひとことで分かってきた感じでした。
輪廻転生というのはいろいろなところで言われてきました。
カルマと一緒に語られ、まるで道徳の時間のようでした。
それは他人事のような感じだったのだと思いました。
番組で放映されても5分程度です。
輪廻転生とカルマがセットになっているにハッとしました。全くその通りです。一度だけの人生に必要なものと道徳のように教えられてきて、悔いのない人生にするためにはどうやったらいいのかとなっていました。自分の人生なのに他人から見た幸せ感や達成感だけの価値観で本当に長く長くやってきてしまいました。一度だけじゃない人生というもの、それがどういうことかでやっと人生が自分に返ってくると思います。
コメンテータの質問やわからないという発言も当然なんだと思います。もりけんさんがテレビに出演されると思います。5分程度でも見たいと思います。
「他人事のような感じだった」ズボシでがーーーーんときました。これまでも輪廻転生は言われてきたし、カルマも言われてきました。同時に人生は一度きりだと思ってもいました。あの世も生まれ変わりもあると言われてきたけれど、それは頭の中だけの想像の世界で全然実感としては感じられないまま、そう思いそう言ってました。でも実感としては死んだら終わり。。。一度きりの人生しかない。。。どこかでそう感じてました。だから輪廻転生は心で感じたことではなくて、頭で考えて想像した世界でしかなくて、自分の感覚や感情や実感のない他人事でしかなかったのだと思います。そんな輪廻転生は道徳の授業を受けてるかのように、答えは最初からあってその答えを教えられる世界でした。そこには生がどこまでも続いているイキイキ感ではなくて課題をこなさなければならない試練みたいで心にずしっときました。
テレビのバラエティ番組でのコメンテーターたちの最初の反応から、もりけんさんが気づかれたこと、自分もまさにそのコメンテーターの1人だと思いました。他人事のような感じで答えの世界に生きてきたからです。それまで頭で考えてきた輪廻転生やカルマがこびりついてた私にとって「生まれ変わりの村」「スープ」の証言を読んで衝撃を受けたのは、証言者の証言がとても地に足がついてそのときの感覚や感情がそのままだったからです。きれいごとは全くなく自分の体験そのものには、それまで聞いてきた答えはなくてわからないことだらけでした。本人は死んだことすらわからず必死に走り続けたり探し回ったり。他人事どころじゃないです。
テレビ番組でのコメンテータの一言から、私たちがこれまでいかに「他人事」にして語ってきたり考えてきたか。。。もりけんさんの指摘がなければ気づかなかったです。テレビでこのシーンを見てもきっと自分もそうだったとは気づかなかったと思います。とても心に刺さりました。
もりけんさんの一言のあと、最初のコメンテーターのコメントからすれば、短い時間の中で、相手も感じているのを感じられたのだと思いました。・・・もりけんさんは世界に対して他人事な感じがしません。深い興味、下位の問いがそうだと思います。輪廻転生の話がされてきたとき、カルマと一緒に語られ道徳の時間のよう・・・そうかもしれないと思いました。そして輪廻転生よりも焦点が当たってしまっていたのかもしれないと思いました。でも・・・もりけんさんの話す態度や言葉は、調査データを伝えていると思いました。私たちの前でお話する感じ・・・何の答えも出さず、仮説や研究からの発見だと思います。それが伝わってきます。私の視点が変わる時、もりけんさんの科学的態度や話す言葉から影響を受けていると思いました。
この人なに言ってんだかわかんない、と言われるくらいの最先端の情報を感じました。それぐらいすごいデータなんだと思いました。人類史初のデータを感じました。そして、そこは誰もがもれなく行くところなんだと感じ、他人事ではすまされないと感じました