無意識は何も意識していないので、世界との一体感を作り出します。
しかしこれではサイン(外応)をキャッチすることができません。
意識は無意識よりも0.5秒遅れていて、無意識の支配下なので、コトは運命通りに運びます。
意識は分離感を作り出しますが、これにより世界を、自分とは離れたものとして見ることができます。
初めてここで、人はサイン(外応)をキャッチできるのだと思います。
サイン(外応)をキャッチすると、意識は意味を解読してイエスノーを出します。
ここで人は初めて運命から外れることができるのだと思います。
笑い声や泣き声がきこえて…外応なんだなって思うのは…確かになんかずれてるなっておもいました。
笑い声も泣き声も音声で…自然現象っていうかで…違うグループの人がたててる音だったり…環境音とか背景音だったりするのが…そのものの感じかたかなって思います。ほんとなら風の音 川の音とかわんない音シリーズっていうか。ところが…どういうわけか…外応を知らない人でも…なんか妙に不吉な感じするとか…外応の元型みたいなのを、なんかの虫の知らせみたいなのが…くっついて感じられる時があります。そういうどっか世界通りでない…主観的っていうか予感ていうか…世界のそのままを受け取れない感じ方みたいなのにすごく参る時があって…でもなんかお話を伺いながら…意識はわざわざ分離されて作られてるみたいだっておもったし…なんか…いままで 何のために意識があるのかまったく検討つかず…何故あるのかと…行き場を持て余してなんか自意識とかになっちゃって…困ってたんじゃないかっておもって…まだ意識を使えてた人いないんじゃないかなぐらいのお話だなって思いました。外応がキャッチできるってのはすごく不思議なことで…意識と運命のサインの読解について述べられたのを見たこと無いし…すごい時空の秘密だなって思いました
これまで、意識と無意識というものを運命と結びつけて考えたこともなかったし、ほかでは聞いたこともなかったです。意識や無意識がなぜあるのか、そんな存在理由まで突っ込んでいくようで、それを作った神の視点はとっても深くて、それに気づいてるもりけんさんの視点が本当にすごいという言葉しか出てこないです。意識と無意識というふたつがあって、0.5秒差でズレるけれど、根底ではそのふたつはつながってるものだと思います。そこでストップしたままでした。けれど今回出てきた仮説は、意識は分離感を生み出すから、サインをキャッチすることもできる。。。そのサインを意識が気づいてイエスノーを出すのは、問いに反応してるみたいで昨日出てきたばかりの「双方向」が浮かびます。無意識と意識の両方があるからこそ双方向のやりとりができるし、神はそれをしたかったのかもしれないと思いました。それによって、元々の運命がどうなるかわからないというのはドキドキするし、神も同じなんじゃないかと思いました。
かに自分を意識した時、世界と自分が違うものになったと思います。その時に「私」が生まれていると思います。分離して初めて、自分が小さい存在とも思ってきました。違うからこそ外応がキャッチできると思います。一体だと会話したくても会話できないと思います。自分と話すといつも堂々巡り、それが運命通りになっていることだと思います。一体だと外応が来ても気が付かないようだと思います。外応も出す必要はないのは、運命のままだと思います。外応に気が付くには意識が必要だと言っていると思います。0.5秒の差は問いかけも生むんだと思います。瞬時に判断して初めて外応だと思います。0.5秒も無意識から意識へのプレゼントかもしれません。支配下だけど、全部を思いどおりにしたくない神様がいる、そんな気がします。
映画「ワンネス」もまた見たくなってきました。ほとんど無意識で生きているのかもしれないと思いました。サインをキャッチした時、意識は解読してイエスノーを出す・・その判断は無意識が受け取ってくれて、また、無意識が中心で生きているのかもしれないと思いました。