映画「生まれ変わりの村」のキャッチコピーが次のようになります。
「森田健の調査データを前面に出した、感動のドキュメンタリータッチの作品。生まれ変わりの事実を知っていただくと、世界観がゆったり豊かなものになり、今を楽しんで生きるようになります」
最初に作られたキャッチコピーには死という単語が幾つかありました。
でも私の話や主題歌の歌詞の検討をしているうちに変わったのです。
死から生へ。
そういえば生まれ変わりを全面肯定しているのはチベット密教ですね。
私はトラさんと一か月ほどチベットに行ったことがあるのですが、仏像が違いました。
男女が絡んでいるのとかが多いのです。
やはり死よりも生を感じました。
生まれ変わりの情報は死の概念よりも生の概念を変えると思います。
映画のキャッチコピーは、豊かさや楽しさが伝わってきて、昨日のお話に出てきたメローな感じそのものだと思いました。生まれ変わりの村の方たちの人柄や生き方が文章になってるようで、もりけんさんにもそのまま当てはまるように感じます。生まれ変わりの情報は、どれほどすごい情報なのかを、まだまだ私たちはわかってないのかもしれません。最初に作られたキャッチコピーのように、死の概念が変わることのほうに焦点が当たってると思うからです。死なないという情報は世界の常識も価値観も根底からひっくり返す情報で、宗教も教育も法律も。。。あげれば切りが無いくらいに何もかもが自動的に変わるのではないかと思います。それだけでなく生き方もそうです。死なないこと、裁きがないこと、生まれ変わってくることを実感できると、生の概念もガラリと変わると思います。今の自分や生きてることがとても愛おしくなるのと同時に周りの人も自分と同じように感じるのかもしれません。生まれ変わりが当たり前になると、縁あって出会えたことだけですごく愛おしくなるのかもしれません。生まれ変わりの村とチベットは、生まれ変わりが当たり前のような世界で、そこにはメローな人生と、生を感じる仏像が多かったのだと思います。生まれ変わりは、私たちをより生きるようにするシステムなのかもしれないと思いました。
もれなく誰もが死ぬから、死を考えない人はいないと思いました。でも死の概念ではなくて、生の概念をこれほどまでに問う人はいないと感じました。生きるということを、生まれ変わりの村の主題歌から問われている感じがしました。生きるということはより生きるということはどういうことなのか、生命とは何かを問われている感じがしました
死が恐れられたものだし、自分が消えてしまうものだとなっていました。でも、生まれ変わりの村のデータは「私」がその生の中にずっといると思います。本当に死が通過点だとは思ってもみないことだと思いました。生があることで、生を楽しんでもいいだと思います。未来だけのための人生が今のための人生になるのを生まれ変わりの村の人が証明してくれていると思います。豊かで香るような人生はどの人生でも同じだというのを感じてきます。