映画会社が作ったキャッチコピーを死から生に変えたのは、主題歌の三番の歌詞の影響が大きいです。
ラストを飾る歌詞の中に、死に対するイメージはありません。
さらに、生命を大事にしなさいと言っていません。
生を解き放てと言っています。
これは数か月前に議論した愛の概念そのものです。
愛は相手に生を与えることなんです。
(三番)
光るうぶ毛が 耳元ちらり まどろみの時
うしろから 強く抱いて 口づける僕
時間は過去と 未来からも めぐりめぐり
このときに 重なり合って 解き放つ生(せい)
すべては今に 私たちは 未来と過去から 生かされてる
いのちを自分に 溜めないで 与えれば流れ込む
おぉ~ぉ
愛する気持ちに 理由(わけ)なんかない
君が君だから 変わってもいい
自分手放せば 愛があふれ出す
愛しい僕から 愛しい君へ
愛する気持ちに 理由(わけ)なんかない
君が君だから それだけでいい
生は解き放つことで愛になるんだと思います。三番の歌詞を読んでいるとどんな生も愛があると思います。愛は自分の生が在ってはじめて出していけることがすごいと思います。愛の概念も表現して始めてくるものだと知りました。最後の「君が君だから、それだけでいい」そのことを伝えてくれる歌がすごく素敵です。生の循環の中にいるんだと思います。
主題歌の3番の歌詞から、映画会社さんは死から生を感じたのだと思います。生まれ変わりの村の情報は死の概念が覆されて「私は死なない」という情報にばかり目がいっていたけれど、この3番の歌詞には死をイメージするフレーズはまったくないです。いのち、生、性を感じるフレーズばかりで、ものすごく生のエネルギーを感じます。過去や未来という永遠の時間から、今こうして生かされていることに感謝したり、生を大事にするようなフレーズもないです。「解き放つ生」「溜めないで」というフレーズからは、出し切ることを感じます。自分の中にあるあらゆるものを出し切って、与える愛そのものだと思いました。生を与えること。。。それが3番の歌詞に歌われていて、生まれ変わりの村の人たちの姿も、もりけんさんの出会った「愛の概念」も、すべて出し切って作られた歌詞も、愛を感じます。生まれ変わりの村はこの3番の歌詞の世界を生きてて、もりけんさんもそうです。死から生へ変わったキャッチコピーがぴったりです。
生命を大事にしなさいと言っていないところが、すごいと感じました。生命を大事にしなさい、だから自殺はいけないとか、戦争はいけないとか、争いはいけないとか、何かの方向性ができてしまうと感じました。生命を大事にしなさいという考え方はエゴである感じがしてきました。一方、生を解き放てには、なんの方向性もなく360度に可能性が開かれていて、何も否定していないと感じました
私が与えられるのは生なのだと思います。命を相手に与える・・それは自分を手放すこととつながっているのだと思います。自分を手放さないから生は自分の中にとどまっているだけになってしまう・・だけどそれを解き放て・・外へ出せと言っているんだと思います。