映画「ワンネス」 私のノート(笑)

2013/10/06 8:29 AM

失楽園s 
 この写真は、当時の私のノートです。
 ページにまたがっているので色が違います。
 当時、ボールペンというものが無かったのかも知れませんが(汗)、万年筆で書いています。
 途中で高校時代の個人的な思い出を書いています。なんでそんなことを書いたのか分かりませんが(笑)。
 このノートからも察しがつくように、教授(神父さん)はエデンの園を出たことを肯定的に捉えています。
 聖書とは違います。
 私は宗教学を沢山履修しましたが、ある神父さんは言いました。
「聖書は書き換えなければならないだろう」…と。
 話を戻します。
 智恵の実を食べたことで、のろわれたわけではなく、一生苦しんで地から食物を取ることも無いのです。
 失楽園が愛の出発点なのです。
 母性愛的なものはエデンの中にもあったはずです。
 なぜなら動物も同じ事をするからです。
 人間はエデンという自然を超えたのです。
 思いやりやいたわりを超えた愛が、そこにはあるはずなのです。


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コメント

  1. 小町 より:

    もりけんさんのノートもすごくリアルです。女性を女性として認め出したのはアダムから始まっているし、イブもアダムを男性だとみはじめていると思います。自分のことも考え出しているって、授業中だけど自分の置き変えて考えるのが勉強を超えていると思いました。だから「人間学」が今ももりけんさんの中に生きているんだと思います。神父さんはエデンの園に戻るのは何も考えない時期に戻ることになると言っている気がしました。分離したから自由がある、その自由はエデンでは得られないものなんだと思いました。母性愛は確かに母と子が一体で分離していないです。愛が思いやりやいたわりに満ちているのは、幻想かもと思えてくるのは一体感の中にあるせいなんだと思います。愛は思いやりやいたわりを超えていることを神父さんも教えているんだと思います。

  2. まるこ より:

    人間がエデンを超えた瞬間を見させていただいているようなノートだと思いました。楽園追放を聖書のように否定的に捉えるか、それとも人間学の神父さんのように肯定的に捉えるかで、私たちの生きる世界は大きく変わると思います。分離された存在であることを知った人間には、人間特有の愛があるのだと思います。

  3. みっく より:

    失楽園は罪なことではなく、愛の出発点だったのだと思います。上智の神父さんは、聖書を使わず、人間がエデンを出てから持つことのできた、思いやりやいたわりを超えた本当の愛を教えてくれたんだと思います。もりけんさんの万年筆で書かれたノートを今こうして拝見できることに感激します。人生を変えた授業のノートを大事に取っておられるのだと思います。それをこうして一緒に拝見できてうれしいです。

  4. こはな より:

    最後のフレーズ、人間はエデンという自然を超えたので、思いやりやいたわりを超えた愛があるはず・・感じられました。神父さんがエデンの園を出たことを肯定的に捉えていてくれたのだと思います。だから失楽園は愛の始まりなのだと思いました。失楽園の中でもあった愛じゃなくて、それを超えた愛があるはず・・なのだと思います。

  5. まりん より:

    聖書の楽園追放とは違って、人間学の楽園追放は、分離した私の肯定から始まってるというのが、とてもすごいです。聖書を超えてると思うからです。

    さらに、これまで私はずっと愛とは人への思いやりやいたわりと思いこんできたけれど、人間学の愛はそれを超えてます。楽園を出て分離してはじめて孤独を感じ、私は誰?への答えが愛だとしたら、バリバリ自分のためです。楽園を追放され分離した私をメチャメチャ肯定してくれてるのを感じます。

    もりけんさんのノートに書かれたエデンの園と、楽園追放からも、そんな肯定感がすごく伝わってきました。

  6. koil より:

    大学でもしっかりと勉強をされていたのだと思いました。
    上智大学では聖書と違ってエデンの園を出たことを
    肯定的にとらえていたのだなと思いました。
    エデンの園を出たことで動物的な本能的なものから
    抜け出して分離した存在になったのだと思いました。
    そして本能的な母性愛的なものも超えたのだと思いました。
    私は愛することの基本は本能的なものだと思っていました。

  7. 和佳 より:

    すごい興味深いです。本能の世界は働く必要も選択も自由も思考もないのですね。最近、植物生態のお話を聴くチャンスがあったんですがなんだかおもいだされます。植物において光合成は自動で生まれつきだし思考はありません。そして時には外敵を許容し生きたり毒でやっつけたりもします。人間は…ほんとなんか、何かが違います澱粉なんてつくれないし働かないと生きてかないし、選択や自由について思考しないといられないです。どうしてこうなった的なとこがあるけど…なんていうかこのノートがすごく刺激的で…人間は分離された存在である事を知ってるのですね。私はなんか変だなぁ人間て自然なの不自然なの…ぐらいはあるけど…「分離された存在である」と深く知ることはなんかスゴイことだと思いました。分離された…ってなかなか言えないです。もう戻る場所はないっていうか。…どこかでやっぱ自然を拠り所として世界とつながってる自分がいて…これがスパーンとない…ものが愛。…えーーー…この知恵の実を食べたことで呪われたわけでなく苦しんで力食物をとることもないって…すごいです。命を食べることについてまとわりついてくる不思議な情感ってあるとおもうのですが…神父さんたちの研究なら…そこは書き換えないと!ってことなんだなと思いました。えーーーー何度読んでもスゴイです。東洋だったら…一寸の虫にも五分の魂みたいな…命を食すことに対して諦めの悪い私です。そういうのがカルマ思想にもつながってるかなぁっておもうんですが(なぜならお盆とか肉を食べないみたいな)えーーー森田さんは…大学時代にはもう…そんなのないよ…そこが「愛」の出発点であるというのに出会われてたんですね。しかも…それは神父さんから伝えられた…うーんスゴイです。神父さんは男性だけで暮らしてて…どんな暮らしされてるんだろって思ってたんですが…出発点からでられてて 学生さんに愛をつたえたりしてる仕事だったんだなと思いました(長くなりました!)

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