外国人が書いたスピリチュアル系の本では、口に出して言うことが重要とされます。
しかし日本人はシャイで世界的に有名です。
「イエス・ノーをはっきり言わない。腹の中は何を考えているかわからない」・・と。
ですが私は美徳だと思っています。
なぜならエデンの園を出ていないからです。
旧約聖書によれば、バベルの塔を作っているとき神は色々な国の言葉に分離させました。
あうんの呼吸ができないようにしたのです(神は塔を高くするだけで神に近づく…などという愚かな行為に警告を発したのです)
しかし今でもバベルの塔を高く積んでいるのが西洋人だと思います。
生まれ変わりの村に行って驚いたのは、まだ洞穴生活をしていることでした。でも98%の人が「今が幸せ」と答えました。彼らもまだエデンの園にいるのです。
日本人もまだ失楽園をしていないと思います。
これはとても大事なことだと思います。
写真は生まれ変わりの村です。
ことばも大事だけど、言葉にしない方が伝わることもある・・と思いました。あうんの呼吸で伝わる関係というのは、改めてすごく素敵だなと思います。
こうしてお話を伺うと、西洋と日本人の違いをすごく感じるし、西洋からの価値観で評価されてる部分が多いのではないかという気もします。
このような洞穴生活でも、98の人が幸せという、生まれ変わりの村の方々もエデンの園を出ていなくて、もっともっとと上を目指すことなく、周囲と一体であるということを体で感じておられるんだと思います。
外国人が書かれたスピリチュアル系の本でも、「口に出していうこと」が重要視されているのだと思います。相手に伝えることは、スピ系でいうならおそらく神に伝えるということで、それを「口に出す」ということは、ある意味、神と分離している証でもあるのだと思います。
日本人は、自分の思いを言わないとされてきましたが、それは、思いを言わなくても、相手が分かってくれるということが前提となっていて、いわなくても伝わるという「あうんの呼吸」を美徳してきたと思います。それは、神や他者と、分離していないということでもあると思います。
旧約聖書では、バベルの塔を作っているとき、神は、いろいろな国の言葉に分離させたと思います。これは、お互いの意思が伝わらなくて、あうんの呼吸ができない状態で、高く積み上げて人間を高めることで、「神」に近づくかと思えば、逆に、お互いの「分離」を強めていくことになったと思います。
海外からブーイングを受けている日本人の特徴を美徳だと思われているという言葉にとても感動しました。私たちは西洋を知って以来、ずっと自分たちを否定してきたのだと思います。
「生まれ変わりの村」のお写真をあらためて拝見して、また感動しました。だって地球と一体となって暮らされているから。このお写真を拝見する限り、恐らく「生まれ変わりの村」では土地の境界線をめぐってトラブルが起こりそうにもありません。みなさんで山を掘って住みかにされているから、どこが境界とかそんな問題は起こらないのではないかと思いました。
私たち日本人も、元々そういう感覚で生きてきたのではないかと思いました。それがいつの間にか、個の権利という考え方の方が良いという風潮になってきたのだと思います。神が中国の「生まれ変わりの村」の次に、日本に生まれ変わりの情報を伝えることにした理由。それは、日本という国がまだ失楽園にならずに残されているということが大きな原因なのかもしれないと思いました。