時代はさかのぼります。
太平洋戦争が始まろうとしていました。
八木アンテナを発明した八木教授は軍部に行きました。
「これを使えばレーダーができます。是非使って下さい」
軍部は言いました。
「そんなものはいらん。大和魂がある。神風も吹く」
世界に先駆けた技術を持ちながら、それは採用されず、精神論だけで戦おうとしました。
その後、日本軍はシンガポールを占領しました。
イギリス軍から没収した機械にマニュアルがありました。
そこに「YAGI」という文字が沢山出てきました。
日本軍は「ヤジ」と読むのか「ヤギ」と読むのかさえ分かりません。
捕虜にしたイギリス兵に聞くと、言いました。
「日本人のくせにYAGI(八木)を知らないのか?」
八木博士の技術は海外のほうが先に採用したのです。
広島の原爆資料館に行ったとき、落とされた原爆の模型を見てびっくりしました。
先端に八木アンテナが付いていたからです。
地上との距離を正確に測るためです。
戦争が終わり、八木博士は八木アンテナ株式会社を設立して社長になりました。
S教授は大学を出たばかりなのに研究所長として抜擢されました。
昨日の米寿のパーティでS教授は言いました。
「当時、30人の社員の中で私が最年少でした。しかし私が一番偉かったのです。もっと威張っておけばよかったと思います」
ゼミ生全員、大爆笑でした。
最後のS教授の言葉に私も笑いました。(笑)S教授は、八木博士の会社で研究所長として勤めたのだと思います。大学出たばかりで、所長になったのだと思います。八木博士は、S教授は、アンテナの謎を解き明かしてくれるような人だと思ったのかもしれないと思います。
八木博士は日本人にとって誇りとなる、八木アンテナを開発された、すばらしい博士で、世界が注目しその技術を採用した最先端の博士だと思います。それだけでなく、S教授という素晴らしい教え子との出会い、さらに今S教授の教え子でる森田さんとの出会い。。。私たちは今森田さんを通してこの貴重な情報を知ることができたことに、感動しました。
大学を出たばかりで研究所長になられたS教授の言葉がとても面白くてあったかくて、なんて魅力的ですてきな教授だろう。。。って思いました。
S教授はどんなに選ばれても決して威張ったりしない人であった感じがしました、だから選ばれた感じがしました。偉くても威張ったりしないに、ずっと凡人であり続け、頂上を目指さず、ハンドルを手放し、為さずして為すを感じました。
S教授は最年少ながら、八木教授が作った会社の研究所長という役職に抜擢されたのだと思います。S教授は一番エライ地位にいてもえらそうにしてなかったんだと思います。それを今笑い話にされる教授もとても素敵だと思います。
日本人が作った技術を、日本が使うことなく、に、原爆を正確に落とすレーダーに使われた・・に、なんで~、でした。米寿のお祝いで、もっと威張っておけばよかった、に、笑って、一番年少に、でも、八木教授が、一番信頼していたS教授だったんだ、と思いました。師と弟子の関係に、ジーンです。
八木博士が開発したアンテナは日本の技術だったのに、日本人の多くは知らないままでいたと思います。大和魂というのは、今でも言っていると思いました。S教授が抜擢されて、年上の人たちの中でも、とっても好かれていたと思いました♪素敵なお話しで、とっても楽しいと思います(笑)
S教授のお話面白かったです。大学でたばかりで研究所長に抜擢されたんですね。しかも30人の社員の中で最年少…もっと威張っておけばよかったのとこ…なんか可笑しかったです。茶目っ気たっぷりで威張らないお人柄がうかがえるようです。最年少での抜擢…なんだか新人で抜擢された森田さんのお話をおもいだすようです。八木アンテナの悔しさわからなさそしてその利用をおもって…やっぱり特別の思いがあり今後を託して抜擢されたのではないかと感じました。軽妙なコメントの裏になんだか…ほんとうに大変なお仕事をされてきたのだなって感じます。…また一回の高校生のお話をおもいだしたりして…精神性かどうかというのはとても大事なお話に思いました。いろんなことが合ったと思うし歴史や精神の話になってもおかしくないのに……記念すべき場所で ゼミの人みんなで大爆笑がおきるって…スゴイ場を感じました。未だに電波のことはわかってなくて…なんかいまふわっと広いものに包まれるような気持ちになりました。すごく大事なご報告を読んでる気がします
本当の意味での神風は八木アンテナの発明だったのだと思いました。日本軍は神風が吹いていることに気がつかず、敵国はその神風をキャッチした。内向きの日本と外に目を向けていた敵国との差が、戦争の勝敗となって現れたのだと思いました。八木博士もS教授もその差がどれほど大きいものか、十分にご存知だったはずだと思います。原爆にまでご自分たちの技術が使われて、とても悔しい思いをされたのではないかと思いました。そんな思いを胸に今日まで生きてこられ、88歳の誕生日を教え子の皆さんとお祝いされたのだと思いました。パーティーの和やかな雰囲気が伝わって来ました。
S教授は大学を出たばかりなのに研究所長として抜擢され、超優秀な方だったのだと思いました。もっと威張っておけば良かったといってみんなを笑わせて、米寿を迎えられるてもとてもお若い感覚をお持ちの方なのだなと思いました。きっと研究所長になられても、威張ったりすることなく、いつもスタートラインに立つお気持ちで研究をされていたのではないかと思いました。
八木博士はアンテナの会社を設立して、研究所所長に大学を出たばかりのS教授を抜擢されたんだと思いました。それほど、S教授は優れた人物だったんだと思いました。優れているエピソードの一つが、30人に中で最年少で一番偉かったのに、威張らなかったお話なんだと思いました。
S教授は、お話も上手だと思いました。「一番偉くても年下だったから、威張らなかったんだよ」・・・・と、同じ話ですが、こういう風に話したら・・・「自慢?」と思って反感を買います。
けれど、S教授のお話はそこにいた出席者が爆笑したんだと思います。私も読んで、笑ってしまいました・・・そして、教授の人柄の良さに魅かれました。
教授は頭が良くて、ユーモアのセンスもある、素敵な人なんだと思いました。
八木さんのアンテナが戦争に使われてしまったことは残念です。日本というのは日本人を認めずにその日本人が海外に出て評価されるパターンが多いなと思いました。
がーんです。世界最先端の技術を持ちながら、それを利用できず、イギリス、アメリカの外国がその有用性を認め利用したんだと思いました。精神重視の日本人の特性があるのかなと思いました。スピリチュアルは心重視の考え方だと思うのですが、同じ轍にはまっている可能性もあるのかもと思いました。難しい問題で、考えたいです。S教授は最年少で研究所のトップになって、でも当時は、若くて威張れなかったのだと思いました。決して威張るような人ではなくて、当時をユーモアたっぷりに話されているのだと思いました。