アンドロメダの部屋のディスプレイに、地球からの通信画像が映ります。
これも、アニメです。
実を言えば実写の画像のほうが簡単です。
でもロケでは音声しか収録しませんでした。
写真は速水ゆかこさんの絵コンテです。一昨日、送られたものです。
この絵コンテも昨日に引き続き、うまいです。
でも昨日と違うのは、本人たちが実写の部分に登場していることです。
俳優なのでシャープな画像ではなくボケた写真を隣に付けましたが、似ています。
このシーンは、「和」の面白さのひとつです。
自分たちはアンドロメダではアニメになるのです。
色々な国際映画祭では実写部門とアニメ部門は別です。
人は、わけることが好きです。
しかし「和」は題名の通り、分けません。
相手を崇めたり奉ったり、馬鹿にしたり見下したりすることは分けていることになる感じがしました。意識の価値観や思い込みで、分けているのだと感じました。和はどんな相手に対しても分けていなくて、自分も相手も同じ、上でも下でもない水平の関係を感じました。相手がアニメなら自分もアニメになって相手と同じになって互いに足し合っている感じがしました。そこには意図や目的が残らない感じがしました
速水さんの書いた絵コンテの絵と、もりけんさんが添付したボケた写真の俳優さん、似てます。元は同じ人物なのに、アンドロメダではアニメになるのだと思います。・・・環境が変わっただけだと思いました。でも同じ人に違いないです。そこが分かれていないと思いました。映画祭では、部門が分かれているけれど、映画「和」の中にはアニメも実写もあります。分けない映画が、部門が分かれているところに出品されたら、映画祭の方が、映画「和」をどの部門かに分けるのかもしれないと思いました。けれど映画「和」は分けないままでアニメも実写も入っているのが、元の状態なのだと思いました。
絵コンテ、上手です。とってもよく似ています。実写の俳優がアニメになることはとても面白いです。俳優がした方が簡単だけど、アニメの世界に入っていく感じだと思います。二次元の世界に自分が入ったらこんな感じになるのかなと思いながら、見るのもすごく楽しいです。必ずジャンルとかを限定して、分けるのがほとんどだと思います。平面の二次元は馴染みがあります。その二次元の世界も三次元の世界も変わらないと思ってもきます。自分が知っているって、思っている世界も実は奥が深いと思います。
俳優さんたちの特徴をすごくうまく描いている速水さんの絵コンテが素敵です。三次元の地球人高校生たちがアンドロメダでは二次元のアニメになるというアイディアもすごく斬新で面白いです。それは三次元の生命体が二次元になるということなのだと思います。二次元の生命体。イメージするだけでとても楽しいです。私もそうですが人は分けることが本当に好きだと思います。分けずにはいられない。しかし映画のタイトルは分けないことを意味するのだと思います。だからアニメも実写も融合して登場するのだと思います。
ボケた写真っていうのがいい感じです。アニメを描きやすい感じで、雰囲気がそっくりです。
わざわざアンドロメダではアニメ化して登場するのが、面白いです。もしもアンドロメダでも実写のままなら何も感じないかもしれません。地球からの画像がアニメ化されて届くのが、えっ?て感じで面白いです(笑)この発想も、監督が分けて考えてないし、「知らなくて当然」だからこそ、できることなのではないかと思います。
アニメと実写が両方あるというだけでなく、実写に出ている俳優さんがアニメでも登場するというのが、ますます分けられてないというのを思います。地球からの通信がアンドロメダではアニメで映るということがとても面白いです。速水さんの絵コンテ、さすがです。特徴をうまくとらえておられると思います。