映画「和」 おちんちん 2014/01/26 8:44 AM 映画の中で、自分の無意識が求めている像が出現する場面があります。 フランス人のピエールには、裸の男性が現れます。 仮に制作されたイメージ画像では、彫刻が使われていました。 おちんちんがあります この彫刻は有名な彫刻なので良いのですが、普通の男性の彫刻像で、あまりデキが良くなかったら、芸術作品には思えません。 そんなとき、つまり非芸術作品は「卑猥(ひわい)の部類に入るのでしょうか? だとすれば、映画には「おちんちん」は使えない? みなさんのご意見がお聞きしたいです。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「和」 分けない 映画「和」 意識を高めるって、神との分離を増すようなものだと思いませんか? » コメント どせい より: 2014/01/26 12:05 もともと「芸術作品」であっても「非芸術作品」であっても裸の男性をモデルにして、裸体像を作っていることには、かわりないと思います。ですが、私たちは、芸術作品であれば裸体もOKで、非芸術作品になると卑猥だと判断してきたと思います。例えば女性が「芸術のためなら脱いでもいいわ」というのも同じで、芸術にカテゴライズされればいいけれど、卑猥にカテゴライズされてしまうとダメ・・・といっていると思います。意識は、大義名分を欲しているのだと思います。 「和」は、実写とアニメの区別もないように、おそらくそういう区切りを持っていない作品で、だからおちんちんぶらぶらのシーンも、これは芸術なのか、卑猥なのか・・見ている方も、区別できなくて、それもまた混乱するのかもしれないと思います。。 こはな より: 2014/01/26 12:18 非芸術作品は独特なのではないかと思いました。だから映画に出たら、目が惹かれると思います。 みっく より: 2014/01/26 13:58 ハッキリ見えるとやはりドキッとしますが卑猥な感じはしないです。白い彫刻だし、この像は良く知っているというのもあるかもしれないです。もしこれが見たことのない、あまり出来のよくない彫刻だったらどうか・・と考えましたが、彫刻としてそこにあったら、やはり同じようにおちんちんが気にはなるけど、卑猥とは思わないのではないかと思いました。 なんしぃ より: 2014/01/26 14:23 彫刻は有名であり芸術だから卑猥ではないと感じると思いました。問題は無名のできもあまりよくないものに対して卑猥と感じるかどうかだと思いました。同性愛というものに対して、無意識が求めているものであり本体や本人の意志でどうすることもできないのではないかという問題提起を感じました。ルネサンス時代の彫刻は作者があり、著作権フリーにはならないように思いました。無名が作る裸の銅像が神に見えるかどうか、非芸術作品は卑猥になってしまうか問われて、卑猥は意識的差別である感じがしました。無意識の世界には卑猥という概念がない感じがしました 小町 より: 2014/01/26 17:19 彫刻の裸像は卑猥な感じがしません。芸術作品で無いですが、おちんちんそのものを祭っている神社の祭りをユーチューブで見たことがありますが、卑猥だからというの無かった気がします。裸像でおちんちんを隠している方が卑猥かもと思います。作りものだとわかっているからいいのではと思います。 まるこ より: 2014/01/27 00:16 おちんちん丸出しが卑猥かどうか、卑猥とはどういうことなのか考えたことがなかったです(笑)自分が男というのもあるのかもしれないですが、丸出しな彫刻を見て個人的には卑猥だとは思わないんじゃないかなと思います。特別おちんちんにも目が行かないかな・・・と思いましたが、それは有名な彫刻像だからで、もし普通の男性が彫刻像のモデルになっていて、おちんちんが丸出しだったらやっぱり目が行くかもしれないと思いました(笑)だとしてもやっぱり卑猥だとは感じないんじゃないかと思います。彫刻像である限り、芸術作品でもそうでなくても卑猥とは感じないと思います。無意識が求めている像としての「おちんちん」でもあるし、この場面でおちんちんが使われるのは大いにありなのではないかと思います。 まりん より: 2014/01/27 18:05 ピエール君の無意識が求めてるのは男性の彫刻の裸体像として現れるけれど、非芸術作品なら卑猥な感じがするかがひっかかったのだと思いました。彫刻の裸体像には卑猥な感じはしないです。でも、観客側の視点を知ろうと問いかけてるのは、自分ならどうか?だけでなく、外側の意見をとても大切に考えてるのが伝わってきました。 たむ より: 2014/01/27 20:19 性は生で聖だからナニであっても芸術になり得るが、男は総じて美人の肩を持つように、立派なモノの方が一般的には 美しいとされるので、やはり立派な方が芸術になり、ちびっこだとコメディになると思う。
もともと「芸術作品」であっても「非芸術作品」であっても裸の男性をモデルにして、裸体像を作っていることには、かわりないと思います。ですが、私たちは、芸術作品であれば裸体もOKで、非芸術作品になると卑猥だと判断してきたと思います。例えば女性が「芸術のためなら脱いでもいいわ」というのも同じで、芸術にカテゴライズされればいいけれど、卑猥にカテゴライズされてしまうとダメ・・・といっていると思います。意識は、大義名分を欲しているのだと思います。
「和」は、実写とアニメの区別もないように、おそらくそういう区切りを持っていない作品で、だからおちんちんぶらぶらのシーンも、これは芸術なのか、卑猥なのか・・見ている方も、区別できなくて、それもまた混乱するのかもしれないと思います。。
非芸術作品は独特なのではないかと思いました。だから映画に出たら、目が惹かれると思います。
ハッキリ見えるとやはりドキッとしますが卑猥な感じはしないです。白い彫刻だし、この像は良く知っているというのもあるかもしれないです。もしこれが見たことのない、あまり出来のよくない彫刻だったらどうか・・と考えましたが、彫刻としてそこにあったら、やはり同じようにおちんちんが気にはなるけど、卑猥とは思わないのではないかと思いました。
彫刻は有名であり芸術だから卑猥ではないと感じると思いました。問題は無名のできもあまりよくないものに対して卑猥と感じるかどうかだと思いました。同性愛というものに対して、無意識が求めているものであり本体や本人の意志でどうすることもできないのではないかという問題提起を感じました。ルネサンス時代の彫刻は作者があり、著作権フリーにはならないように思いました。無名が作る裸の銅像が神に見えるかどうか、非芸術作品は卑猥になってしまうか問われて、卑猥は意識的差別である感じがしました。無意識の世界には卑猥という概念がない感じがしました
彫刻の裸像は卑猥な感じがしません。芸術作品で無いですが、おちんちんそのものを祭っている神社の祭りをユーチューブで見たことがありますが、卑猥だからというの無かった気がします。裸像でおちんちんを隠している方が卑猥かもと思います。作りものだとわかっているからいいのではと思います。
おちんちん丸出しが卑猥かどうか、卑猥とはどういうことなのか考えたことがなかったです(笑)自分が男というのもあるのかもしれないですが、丸出しな彫刻を見て個人的には卑猥だとは思わないんじゃないかなと思います。特別おちんちんにも目が行かないかな・・・と思いましたが、それは有名な彫刻像だからで、もし普通の男性が彫刻像のモデルになっていて、おちんちんが丸出しだったらやっぱり目が行くかもしれないと思いました(笑)だとしてもやっぱり卑猥だとは感じないんじゃないかと思います。彫刻像である限り、芸術作品でもそうでなくても卑猥とは感じないと思います。無意識が求めている像としての「おちんちん」でもあるし、この場面でおちんちんが使われるのは大いにありなのではないかと思います。
ピエール君の無意識が求めてるのは男性の彫刻の裸体像として現れるけれど、非芸術作品なら卑猥な感じがするかがひっかかったのだと思いました。彫刻の裸体像には卑猥な感じはしないです。でも、観客側の視点を知ろうと問いかけてるのは、自分ならどうか?だけでなく、外側の意見をとても大切に考えてるのが伝わってきました。
性は生で聖だからナニであっても芸術になり得るが、男は総じて美人の肩を持つように、立派なモノの方が一般的には 美しいとされるので、やはり立派な方が芸術になり、ちびっこだとコメディになると思う。