「アナと雪の女王」の主題歌がヒットしています。
ベストテンには英語版と日本語版が両方ともノミネートされています。
日本語版は松たか子が歌っています。
けれどベストテンから外れて12位くらいに、MayJという人が歌っているのがノミネートされています。
世間の評判は圧倒的に「松たか子版」です。
声量があるとかいう理由らしいです。
しかし僕は「アナ雪 May J版」のほうが断然好きです。
好きになるのは無意識です。
「なぜ」を追求するのは意識の側です。
私は好きになった「言い訳」をしたくて、自分で調べました。
映画では主題歌が2回歌われています。
1度目は映画そのものの中です。
たぶん松たか子が歌っているのです。
しかしこのときの女王はエゴな状態です。
「好き勝手にやるから、ほっといて状態」です。
氷の宮殿を造り、そこに妹が来ますが、メチャメチャ懲らしめて瀕死の状態にしてしまいます(汗)。
その後、色々な人の助けがあって女王は気づきます。
エゴな状態の「ありのまま」じゃダメだって。
その大きな役割を果たすのが、死の淵からやっと舞い戻った妹です。
エンドロールが出るところで主題歌が流れます。
これがたぶん「MayJ版」だと思うのです。
私も、声と歌詞を聞き分けていないから、よくわからなかったのですが、今何度も聴いて、やはりそうだと思いました。
ラストでは、映画の中で松たか子が歌っていた「悩んでいたのもうやめよう」とか「自分を信じて」とか「自分を好きになって」とか「どこまでやれるか自分を試すの」がカットされ「ずっとずっと泣いていたけど、きっときっと幸せになれるわ」が挿入されています。
これで納得しました。
私の無意識は、やはり森田健の無意識でした(笑)。
声量があるからとか、ランキング一位だからとかで検出しませんでした(笑)。
ところでCSスカイプの歌詞検索ランキングでは「MayJ版」が上位、しかし他のランキングではすべて松たか子版がのほうが上位です。
歌詞を検索しに行く人が多いというのは、「なんか変だ」という信号を検出した人が多いのだと推定されます。
無意識から0.5秒遅れてはいますが、意識は「なぜ」を知りたいのです。
これは自分を知る・・ということにも通じます。
差違を検出することから始まるのです。
融合や一体とは逆です。
もりけんさんの無意識は、自分に焦点が当たっている女王と、周りの助けに気づいた女王を聞き分けていたのだと思いました。同じ女王なのに変化していた・・歌詞のカットさ れた箇所と挿入されていた箇所とで 違いが表現されていたのだと思いま す。意識は0.5秒遅れているけれど 「なぜ」を検出することができる・・「言い訳」だけど、興味深い言い訳で、こんな調査方法は面白いです。もりけんさんの無意識は、映画制作者の表現に反応されていたのだとも思いました。自分を知ること で、映画制作者の表現をも意識に 引っ張り出したように思いました。
アナと雪の女王の主題歌は3つあるんだなと思いました。そして森田さんは3つの中で無意識に好きになったヴァージョンにたいして 意識の側から「なぜ」を追求してみたのだと思います。そうすると…劇中歌とエンディングは…違う人が歌っていて歌詞もちょっと違ったという事実が出てきたのだなと思いました。なんかすごいなってなってて…巷で流れるヴァージョンをいっぱい聞いてる自分としては…流れに乗って例の歌を松たか子ヴァージョンで聞いて…物語がおそらく好転した後…エンディングの余韻のなかではほんとに微妙に違うヴァージョンだったんだなって思いました。すごく興味深いです。主題ってどっか…基本路線として変えちゃイケない的なものとおもうんですが…それがなんか変化してる主題歌なんだなと思いました。なんか凄いです。映画の秘密の一つ何じゃないかなって。アナ雪関連のお話みかけると読みたくなっちゃうんだけど…抜群になんか鋭い感じのお話におもいました。
森田さんの意識がそれを検出したのは…なんか無意識と交信してるみたいだって感じました。「断然好き!」のときとにかくなんか好き!好き!こういうところが!(理由)って言うのが普通の言動に思います。映画のあとの友達や恋人の会話とかそれだとおもうので。しかしその辺グイグイ行かないで…「なぜ」ってなるのが凄いです。…いつの間にか各種ランキングにみるアナ雪というデータになってるのも凄いと思いました。そして「なんか変」という信号までを検出した人はある歌詞検索ランキングに多かったんだなと思いました。
無意識はなにか実際の姿を見せずに理由はすっ飛ばして「好き!」って伝えてきて…それはまるで強力で魅力的で眩しいほどだなって思いました。好きとか嫌いは普通は無条件で降伏です。…意識はそのいわれのない魅力にくらくらになって「そうだネ」ってデレデレになってもおかしかないのに…それを喰らいながらも「何故?」ってなるのがめちゃカッコイイです。「好き」(または「嫌い」)に全てを融合してしまえば楽なのに…差異の検出が 歌詞ならここがカットされててここが挿入とか…めちゃクールです。森田さんの無意識はなんか検出がすごいです。何度も聞いて出してきた(何度も聞くというのも凄いと思いました。)個所がデータとしてとても綺麗な感じがします。ランキングも…個人的じゃないというかです。これはなんだか融合しては絶対でてこないものなんじゃないかなって思いました。意識はなんか時間的にちょっと距離を置かれて 無意識とは分離されてるものなんだなって思うし……分離と融合のお話すごく興味深いです!!
主題歌の2つのバージョンを聞いていて、森田さんは、MayJ版の方が好きで、その理由=言い訳をさがしたのだと思います。「好き」という判断は、無意識的だと思います。ですが、その理由を探すことは、意識的です。「なぜ」を探すのは、意識的な行動なのだと思います。こういう意識的な行為は、動物の中でも、人間しかできないと思います・・。
無意識が感じた差異は、映画の中で出てくる違いで、MayJ版は「エゴの状態のありのままではダメだ」って気づいた後なのだと思います・・。そのMayJ版の方がはるかに良いと、歌を聴いただけで気がついた無意識は・・やっぱり森田さんの無意識なのだと思います。
このことから、意識というのは、0.5秒遅れているけれど、「なぜ」を知りたいのかもしれないと考えたのだと思います。無意識がキャッチしてきた微妙な差異・・意識は0.5秒遅れるけれど、それ調べているのかもしれないです、融合や一体を感じているだけでは、差に気がつくことができないのかもしれないと思います。「なぜ」を知ることは、差異を検出することから始まるのだと思います。
アナ雪の主題歌からの問いと気づきがとても深いです。好きになるのは無意識です。松たか子版と、May J版とを両方聞かれて、May J版のほうが断然好きだと感じてなぜ?って調べられたのだと思いました。両方の歌を聴いて、ランキングでも松たか子版が上位で、世間の評価は圧倒的に松たか子版だけど、もりけんさんの好きは、そんな評価か声量とかに影響されず、歌詞のわずかな差異や映画の背景シーンとつながる主題歌という全体を感じ取ってるみたいです。私は言われるまで全く気づかないほどのわずかな差異を検出したことから出てきた発見はものすごい違いだと思いました。エゴな状態のありのままと、エゴな状態のありのままじゃダメだというのは正反対です。そんな正反対の状態をバックに流れる主題歌で、どちらも「ありのままで~」と歌ってるけれど、その意味も背景も全然違ったのだと思いました。歌詞も「自分・・自分・・自分・・」と自分に焦点があたる松やかこ版と、それがカットされてたMay J版。。。とても深いです。歌詞検索した人たちは、ふたつの主題歌のほんのわずかな差異に無意識が反応じて「なぜ」の理由を知りたくなったのだと思いました。
この2つの主題歌を何度か聴かせていただいたけれど、その差異にひっかからないから問いも気づきもなかったです。世間のランキングから見て聞いてるからかもしれないと思いました。もりけんさんの無意識が感じた好きも意識が発見した理由も、そんな世間の評価というフィルターがかかってなくて、やっぱり森田健さんそのものだと思います。
差異の検出。。。それが自分を知ることにつながるという気づきは、すべてに通じて言えるのだと思いました。融合や一体ではその違いも検出できず自分を知ることすらできないです。無意識と意識の0.5秒の時間差のなかで、意識は言い訳を考えるというお話がありましたが、「なぜ」を知りたい意識があるから自分を知ることができるのだと思いました。
無意識と意識の連携を感じました。好きになるのは無意識で、そのなぜを追及できるのは意識である感じがして、両方がとても大切である感じがしました