映画「ワンネス」「和」 オーケストラを考えた場合、神の指揮棒はデジタル 2014/06/08 8:18 AM 昨日は、アナログとデジタルの接点が現在という瞬間かも知れませんと書きました。 オーケストラを考えた場合、神の指揮棒はデジタルなのではないかと思います。 一般的なオーケストラの指揮棒も、デジタルに近いと感じます。 拍子に合わせてピッピッと振るからです。 楽器の演奏者は拍子を外すことは許されません。 これが我々の世界そのものだと感じます。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 アナログとデジタルの接点が現在という瞬間 映画「ワンネス」「和」 「アナと雪の女王」の主題歌から自分を知る » コメント こはな より: 2014/06/08 08:50 私たちの世界は音楽のようで美しい と思いました(笑)神の指揮棒がデ ジタル・・確かに、ピッピッです。 指揮棒を振る真似とかをしたことがありますが、指揮者っていてもいなくても変わらないのではないかと思っていました。けれど・・拍子を取っていたのだと思います。指揮棒のピッピッ・・それと演奏はほぼ同 時だと思います。私たちの世界が指 揮棒のピッピッとオーケストラの演 奏・・色々な楽器で音を奏でる、音 楽、演奏の世界・・そう思うと美しいし、演奏はアナログ的だと思いました。まさか音楽の指揮棒が出てくるとは思わなくて、でも美しいです。映画「ワンネス」の原作本の「神のなせる技なり」を思い出しました。 和佳 より: 2014/06/08 09:20 昨日 オーケストラとまではいかないのですがある楽器の合奏を見るチャンスがありました。練習中の指揮者は…演奏者がきちんと出だしを合わせられるように カツカツと台をたたいて拍子をとってそれを奏者一斉に叩き込んでました。箇所によっては拍数っていうかがかわるのですが…指揮者は自動的にそれをおこなうし(譜面にあるのかもしれませんが)演奏者はどんな拍数にも合わせることを求められます。 そういうときに…拍数を無視し拍子ハズレのてんでんばらばら自由にやっては…騒音的で、パート練習か個人練習中のようになりそうです。どのパートもメロディラインを引いてるというわけではなく…パートによっては…多分ご近所からおこられそうなけたたましい音、唸りを持った重低音とかのこともあります。しかし合奏となるとそれぞれのパートが…表の主役にになったり さっと裏方に回ったりの(でもこれがしっかりしないとノリがでない)お互いを牽制したり引っ張りあったりの 緊張感 そして興奮と盛り上がりの演出ができるようになり おもしろいことになってそうでした。(つまり、一種類の楽器 その音にできることには限界がありそうです。)←これをまとめてるのは…出だしと拍数のようだったです。 我々の世界も…朝起きて夜は寝る…みたいな基本的な拍子、時の流れから外れるのは難しいように思います。お仕事によっては…まるでソロパートの如く、皆が休んでる時に活動されることもありますが……それもその他の活動にあってないと全体がとまる、または指揮者に止められるとおもいます。そういう時の指揮者は…やはりどこかのパートの頭からやり直します。音楽は始まればメロディラインはアナログ的です。しかし聞こえてはいないけど…その裏に流れる拍子は確かにデジタルです。またそれらは指揮者の動作(指揮棒は音をださない。一見空間に図形や線をかいてるようでもある)で表現されますが…その時の流れのようなものから逃れることはできないなと思います。 まりん より: 2014/06/08 18:18 オーケストラの指揮棒と楽器の演奏者たちの例を、デジタルとアナログとの接点として例にあげられたのが、とてもイメージしやすいです。指揮棒は拍子に合わせてピッピッっと振られて、デジタルです。メトロノームが浮かびました。そして演奏者たちも、その拍子に合わせて演奏しないといけないです。そんなデジタルな拍子によってあの壮大なオーケストラの演奏が生まれてるというのがとてもすごいと思いました。音は連続してきこえるし、私たち観客にとっても連続して感じられて、アナログの世界のように感じます。けれど、その音楽はデジタルな拍子に合わせることで生まれてます。昨日のアナログとデジタルの接点そのものだと思いました。オーケストラの美しい演奏はアナログだけでもデジタルだけでも成り立たなくて、その両方の接点が生み出してることに、初めて気づきました。 小町 より: 2014/06/08 19:37 デジタルが指揮棒から発せられるのが、すごくわかりやすいです。指揮者の拍子に合わせて、オーケストラは演奏しています。指揮者がいないとてんでバラバラになると思います。デジタルな指揮棒を無意識は見えていると思います。人との出会いにしても出来事にしても、このタイミングで起こるのかと思うくらい偶然だとは思えないものも多いと思います。神はすごく緻密で大きな視点で運命を運営していると感じてきます。 なんしぃ より: 2014/06/13 23:18 デジタルの拍子から外れることができないのが我々の世界かもしれないと感じました。アナログに見えている世界も、デジタルの神の指揮棒がきちんと拍子をとっていて、その拍子から外れることは許されないのだと感じました。すべてがつながっている感じがしました
私たちの世界は音楽のようで美しい と思いました(笑)神の指揮棒がデ ジタル・・確かに、ピッピッです。 指揮棒を振る真似とかをしたことがありますが、指揮者っていてもいなくても変わらないのではないかと思っていました。けれど・・拍子を取っていたのだと思います。指揮棒のピッピッ・・それと演奏はほぼ同 時だと思います。私たちの世界が指 揮棒のピッピッとオーケストラの演 奏・・色々な楽器で音を奏でる、音 楽、演奏の世界・・そう思うと美しいし、演奏はアナログ的だと思いました。まさか音楽の指揮棒が出てくるとは思わなくて、でも美しいです。映画「ワンネス」の原作本の「神のなせる技なり」を思い出しました。
昨日 オーケストラとまではいかないのですがある楽器の合奏を見るチャンスがありました。練習中の指揮者は…演奏者がきちんと出だしを合わせられるように カツカツと台をたたいて拍子をとってそれを奏者一斉に叩き込んでました。箇所によっては拍数っていうかがかわるのですが…指揮者は自動的にそれをおこなうし(譜面にあるのかもしれませんが)演奏者はどんな拍数にも合わせることを求められます。
そういうときに…拍数を無視し拍子ハズレのてんでんばらばら自由にやっては…騒音的で、パート練習か個人練習中のようになりそうです。どのパートもメロディラインを引いてるというわけではなく…パートによっては…多分ご近所からおこられそうなけたたましい音、唸りを持った重低音とかのこともあります。しかし合奏となるとそれぞれのパートが…表の主役にになったり さっと裏方に回ったりの(でもこれがしっかりしないとノリがでない)お互いを牽制したり引っ張りあったりの 緊張感 そして興奮と盛り上がりの演出ができるようになり おもしろいことになってそうでした。(つまり、一種類の楽器 その音にできることには限界がありそうです。)←これをまとめてるのは…出だしと拍数のようだったです。
我々の世界も…朝起きて夜は寝る…みたいな基本的な拍子、時の流れから外れるのは難しいように思います。お仕事によっては…まるでソロパートの如く、皆が休んでる時に活動されることもありますが……それもその他の活動にあってないと全体がとまる、または指揮者に止められるとおもいます。そういう時の指揮者は…やはりどこかのパートの頭からやり直します。音楽は始まればメロディラインはアナログ的です。しかし聞こえてはいないけど…その裏に流れる拍子は確かにデジタルです。またそれらは指揮者の動作(指揮棒は音をださない。一見空間に図形や線をかいてるようでもある)で表現されますが…その時の流れのようなものから逃れることはできないなと思います。
オーケストラの指揮棒と楽器の演奏者たちの例を、デジタルとアナログとの接点として例にあげられたのが、とてもイメージしやすいです。指揮棒は拍子に合わせてピッピッっと振られて、デジタルです。メトロノームが浮かびました。そして演奏者たちも、その拍子に合わせて演奏しないといけないです。そんなデジタルな拍子によってあの壮大なオーケストラの演奏が生まれてるというのがとてもすごいと思いました。音は連続してきこえるし、私たち観客にとっても連続して感じられて、アナログの世界のように感じます。けれど、その音楽はデジタルな拍子に合わせることで生まれてます。昨日のアナログとデジタルの接点そのものだと思いました。オーケストラの美しい演奏はアナログだけでもデジタルだけでも成り立たなくて、その両方の接点が生み出してることに、初めて気づきました。
デジタルが指揮棒から発せられるのが、すごくわかりやすいです。指揮者の拍子に合わせて、オーケストラは演奏しています。指揮者がいないとてんでバラバラになると思います。デジタルな指揮棒を無意識は見えていると思います。人との出会いにしても出来事にしても、このタイミングで起こるのかと思うくらい偶然だとは思えないものも多いと思います。神はすごく緻密で大きな視点で運命を運営していると感じてきます。
デジタルの拍子から外れることができないのが我々の世界かもしれないと感じました。アナログに見えている世界も、デジタルの神の指揮棒がきちんと拍子をとっていて、その拍子から外れることは許されないのだと感じました。すべてがつながっている感じがしました