「キャラ入り」というのをネットで調べたら、「画面にタイムコードをスーパーインポーズした状態のこと」だそうです。
なんとかしてよ業界用語(笑)
なんでタイムコードがキャラなんだ?
さて、リアリティが無いという件で、ワンネスの映画制作者関係に以下のメールを送りました。
ワンネス・キャラ入りオフライン初版を見た感想
2013.7.8 森田健
ワンネスは、シュール(超越的あるいは非現実的)な映画になっていました。
実は、監督である私自身が、ワンネス・キャラ入りオフライン初版を見て、初めて気づいたことです。
例えば冒頭のシーンですが、普通ではパトカーに水鉄砲を向けることなど、あり得ないです。
新撰組のシーンも普通の時代劇の重さが無いです。
何の前触れもなく天使が出てきてオカマと言い争いをしていますが、相手が天使であることは問題にされていません。
こうして考えると、金庫室がガランとしてリアリティに欠けるのも、問題無くなると思いました。
逆に言えば、リアリティがなくシュールな点は、ワンネスの利点だと思います。
ワンネスを見に来る人は、人間関係の内側のドロドロとしたものを期待したりすることはなくなり、宇宙全体を取り巻く根源的な問題を考えることになるからです。
そうかと言って、ファンタジックなものだけの作品ではありません。ファンタジックなものは、現実との接点が間接的ですが、ワンネスは実は、現実との接点を深く取り上げている作品だとも言えます。
ノーカットのシーンが多いですが、これもプラスに働いていると思います。
ワンネスの特徴の中に「シュール」というのは、加えたいと思います。そのうち文章化します。
とりあえず、今の気づきを書きました。
関係者に送ったメールは以上です。
私自身は、自分の作品がシュール(超現実的)なものだと思ってもいませんでした。
それは原作者であり脚本にした者であり監督でもあったからだと思います。
「ワンネス・キャラ入りオフライン初版」で、初めて外側から作品を見たのです。その結果、私から分離して、一人歩きを始めたのです。
監督が初版を見た感想は、パトカーに水鉄砲を向けるシーンや、天使が突然出てくるシーンなど、リアリティがなくシュール(超越的、非現実的)な感じがしたのですね。「ワンネス」は、人間関係の内側みたいなのを超えていて、かわりに宇宙全体を取り巻く根源的な問題を考えることになっているのだと思います。かといって、ファンタジーでもないのだと思います。
この映画では、原作・脚本・監督をされていて、いわば、森田さんから生み出されてきた映画ですが、外に出たことで、その作品を外側から見ることができるようになったのだと思います。それは、森田さんから分離して、一人歩きをし始めたような感じなのだと思います。 ・・すごい視点だと思います。
原作、脚本、監督のもりけんさんが、撮影も終わった今、こうして気付きを得られるところがすごいと思います。シュールだけど、ただのファンタジーでもない・・ワンネスはすごいです。やはりもりけんさんの長い期間をかけての調査や何よりもりけんさんの問いがバックにあるのを思います。
今回初めてもりけんさんの手を離れて、ワンネスがもりけんさんと分離することで、新たな気付きがあったというのが、すごいことだし、なんだかうれしい気持ちになりました。これから編集され、たくさんの人の元に届けられようとしてるのだと思います。
なぜかしら先日の書き込みにもあったデジタルとアナログのボーダーラインにいる電子君のことを思いました。何の前触れもなかったり、ガランとしていて現実味に欠けるのはどちらかと言えばデジタルな世界の特徴なのではないかと思いました。映画「ワンネス」を観る観客は生まれて初めて意識を持ちながらおおもとの世界に接近するのではないかと思います。そして電子君のようにデジタルとアナログの世界を行ったり来たりすることで、いったいこれは何なんだという問いを持つことになるのかもしれないと思います。「これ」は宇宙全体でもあり、「ワンネス」を観ている観客その人そのものでもあるのだと思います。デジタルな世界とアナログの世界の深部を同時に取り上げている作品。それが映画「ワンネス」なのだと思いました。