映画「ワンネス」の原作は『神のなせる技なり』です。その中の「時間の技」という短編小説です。
これを書いたのは1990年ですから、今から22年も前のことです。
当時、不思議研究所を始めようと思いまして、小説の書き方教室に通いました。
なぜかと言うと、いずれ調査結果を本にしたいと思ったからです。
渋谷の東急プラザのカルチャーセンターに行ったら、ノンフィクションの書き方教室というのは無かったのです。文章の勉強をするには小説の書き方を習うしかありませんでした。
そのとき、練習のために書いたのが、この小説なのです。
試しに集英社の新人賞に応募したら、入選直前まで残りました。
僕って結構、実力あるじゃん・・と思いました(爆)
けれどたとえ入選したとしても僕は、小説家になる気はまったくありませんでした。
神の性質を調査したかったからです。
この小説は20年もほっておかれ、ひょんなことから小説家の山川健一さんが「出版してみないか」と言ってくれました。それで2009年に出版したのです。
売れ行きは、まあまあでした。
そして今回、映画会社の目にとまり、映画化してみませんかと言われたのです。
この小説のアマゾンの書評はあまりよくありません(爆)。
というか、まっぷたつに分かれています。
それでも最初のほうで投稿してくれた女性に勇気づけられました。
「一介の高校生が死んだ恋人をどうやって助けるのでしょう? その展開に感動しました。ワンピースと共に、娘が大きくなったら、絶対に読ませたいです」
と書いてありました。
たかが、一介の高校生なのです。
これが重要だと思っています。
特異な才能も特異な技術もないのです。
ところで情に絡んだ感動的場面というのはありません。
命を大切にしようとかも出てきません。
人間の内面をえぐり出すような展開もありません。
仕方ないです。
僕が書いた小説ですから・・(笑)
でも、そういうことは、直接的に言葉にしなくても良いとも、思います。
主人公は窮地に陥っても、楽しむタイプの人です。
そして諦めない人です。
このふたつが重要ではないかと思います。
内面を書かなかったと思います。主人公が諦めなくて、窮地を楽しむことが出来るって、すごいと思います。もりけんさんだと思いました。何の特技もなく力もないのは、私だって同じだから、主人公が恋人をどうやって助けるのかに、感情移入出来るんだと思います。よく精神論が展開される小説は多いと思います。そこまで自分は思えないから、弱いんだと思ってしまっていました。だけど、窮地を楽しむという視点に、弱さも強さも関係無いのだと思います。でも、諦めないでいることは成功とも違うのだと思います。ただ、諦めないでいることだと思ってきました。
上に絡んだ感情場面が無く、命を大切にしようということもなく、人間の内面をえぐり出すような展開もない・・というのは、言われてみて、ほんとだ・・と思いました。でも原作はとても感動したし、いろいろ考えました。直接そういうことを言葉にしないというのは、われわれの日常と同じだと思いました。そこで主人公は窮地でも楽しみ、あきらめないのだと思います。ほんとに、それってもりけんさんそのものだと思います。窮地でも楽しみ、あきらめない・・というのは、とても素敵だと思います。でもその逆をしてることも多いです。自分を守りに入ったり、視点が自分に行くと、窮地に落ち込み、すぐあきらめてしまうのかもしれないです。主人公には、自分などどうでもいい・・という視点がやはりあるように思います。
「そういうこと」を直接言葉にしないからこそ、かえって胸を打ちます。私たちと変わらない同じ地平にたってる一介の高校生が、窮地を楽しんだり、決して諦めない姿に、ものすごく勇気づけられます。なぜなら、その高校生は、自分の内面でもなく、主張でもなく、ひたすら目の前の窮地に挑戦し続けてるからです。どんなに苦しくても悲しくても、ひたすら外にむかって、命がけだって思います。
主人公は一介の高校生で…特別な技術も才能もないのですね。めちゃ興味深かったです。内面をえぐり出すような展開はないのですね。それからそういうことは直接言葉にしなくてもよい…というのもすごく興味深かったです。「「一介の高校生が死んだ恋人をどうやって助けるのでしょう?」を反芻してて…なんかめちゃ大事なことが書いてあるきがする。才能もなく 技術もなく 情に絡む展開でもなく…命を大事にしようでもなく…内面でをえぐり出すもない…このどれでもない。そういう高校生が彼女を助けようとするのだと思います。彼は…窮地を楽しむタイプで…諦めないのですね。…なんか…考えさせられてます。
窮地に陥っても、楽しめる人、諦めない人、主人公にどんどん惹かれていく、に、ここなんだ・・でした。
不思議研究所を始めたい、に、データを本にしたい、と小説教室に通われて、初めて書いた小説が、「時間の技」に、びっくりです。ハラハラドキドキしながら、場面展開にぐいぐい惹きつけられていました。一介の高校生が演じるヒーローは、誰でも・・が、開かれている、と思いました。ちょっとの視点移動・・それが、どんどん広がっていくのかな、と。
小説の読者感想の意見はまっぷたつに割れていたけれど、映画化のお話がきたとき、その中の言葉で、勇気づけられたのだと思います。主人公は、一介の高校生・・だけど窮地に陥っても、楽しむことができるタイプで、あきらめない人なんだと思います。一介の高校生が、お話の主人公なのだなと思います。
直接言葉にするよりずっと深く感じられることがあると思いました。窮地に陥っても楽しむことができるってとてもすごいと思いました。どんなふうに解決するかとか、頑張るとかが良くあることだけど、そのこと自体を楽しむって、最強な感じがしました。諦めないも大事なのだと思いました。どちらも一介の高校生にできることで、特別な人ではないのだと思いました。
>主人公は窮地に陥っても、楽しむタイプの人です。そして諦めない人です。
そうなんだなぁって思います。私もそうであったら、良かったのになぁって思いました。・・・今日はポジティブになれないから、また書きこみます。
初めて書いた小説が縁があって、本になり、今回映画化にまで至っているんだと思いました。主人公は高校生で死んだ彼女を生き返らせたい。あらためて考えるとでえらいことを試みるわけですが、特別な能力があるわけでなく、そういった点では普通の人なんだと思います。でも、窮地に陥っても楽しめ、諦めない。レスをよんで、主人公は外に向かっている、あぁそうかと思いました。そして、外に向かったから、冒険というと変ですけど、未知の世界が姿をあらわれてきたんだと思いました。
22年前に書いた小説が、4年前に出版されて、今年は映画になって…この小説を書いた当時は、ここまでのことになるとは思ってなかったのではと思ったりします。いよいよ、それが、映画化されるんだと思います。
>主人公は窮地に陥っても、楽しむタイプの人です。そして諦めない人です。
一介の高校生が、活躍できるのは、この性格だったからだと思いました。窮地に陥っても楽しむタイプ・・・と読んで・・・あ、もりけんさんだと気がつきました。何度も「智也は私です」と言われていたのに・・・そして諦めない人というのも、もりけんさんです。そうだった・・と思いだしました。社会に出たら、そして会社が楽しかったら「神の真理が知りたい」という思いは日常の中に埋もれる・・・と思いました。でも、埋もれなかった、諦めなかったということだと思います。本にすることも、映画にすることも、これは願望にもなかったことだけど、神からのプレゼントなんだと思いました。
「神のなせる技なり」を最近また読み直しました。出版当時に読んだときには感じ取れなかったものが今回は感じ取れたような気がしました。思えば、以前はこの小説を頭で一生懸命理解しようとしていたような気がします。でも頭で理解するには、この本はすご過ぎるのだと思いました。理論的には人類のずーっと向こうが描かれていると思うからです。今の自分の頭ではついて行けないのは当たり前です(笑)でも、自分の無意識はそんなずーっと向こうをも感じ取ることができるのだと思います。そしてずーっと向こうも、いまも、ずーっと昔もすべて繋がっているということを知っているような気がします。そんなことを思い出させてくれる小説。読み終わったときに主人公の智也のように、すべてをあるがままに認めて、すべてを楽しめる自分を感じられる。そんな「神のなせる技なり」がとても好きです。
窮地に陥っても楽しむ一介の高校生…というのをずーっと考えてたのですが…さっきふっと…ここは神の世界なのだ…と思いました。その高校生の住んでる世界の神様は、才能や技術や内面のえぐり出しを臨むようなものではないのかもしれないなって。神は才能や技術や内面の高まりの象徴のようにおもわれてきたけど(だからそういうものがピンチを救う奇跡なのかもって)…一介の高校生が窮地でも楽しいとおもう…これはなんかすごく重要なことに思います。道行く高校生たちとか…楽しそうです。彼らはまだ才能や技術や内面のえぐりだしとか、そういう状況に迫られる かろうじてその寸前にいるような気がします。…あと彼は…恋人の死を諦めないのですね…。沢山の生命が死んでくのが当たり前なはずだけど、そのように作られたとおもってたけど そうではないのかもしれないって思いました。…神様がいたら…ほんとうに力もないけど楽しく もしかして笑ってて…諦めない そういう性質があるのかもって小さく思いました。。