映画の撮影中、スタッフとの間で
「ネバー・エンディング・ストーリーは超えたいね」
などという話が出ました。
それでつい最近、ネバー・エンディング・ストーリーとハリーポッターを見ました。
とても大きなことを発見しました。
ふたつとも敵がいるのです。
ネバー・エンディング・ストーリーでは敵をナイフで刺しました。
ハリーポッターも敵と戦うストーリーです。
ディズニーの童話も大半は敵と戦います。
しかしワンネスには、いわゆる「敵」はいません。
なので敵との戦いのシーンはありません。
これはつい最近、気づいたのです。
対立構造がないというのは、とても画期的だと思います。
これまでの一般的な物語は、主人公に強力なライバルを作って、それに勝つということで、物語が成り立ち、主人公に「正当性」を持たせていたと思います。
ワンネスに対立構造がないというのは、主人公に「正当性」をつけていないことであると思います。主人公に「正当性」をつけなくても物語が成り立つというのは、そのままの自分を信じるということにも繋がっていくことだと思います。
敵がいない「ワンネス」は、つながる、ということかな、と。排除するのではなく、すべてが情報と。ヒントを探す、問いがいっぱいの映画、と思いました。
敵って何だろうと思いました。私と別の存在なのだと思いました。分離といった言葉を聞くけれど、世界感が違うんだと思いました。繋がった時、敵が敵じゃなくなるのかなと思いました。広い世界に目が向いた、ワンネスはそんな映画なのだと思いました。
世に出ている有名な映画には敵がいたんだと思います。でもワンネスには敵はいなくて、誰かと戦うシーンはないのだと思います。敵を作るというのは自分は善で相手は悪になると思います。それがないワンネスなんだと思います。それももりけんさんは意識してそうしたのではなかったんだと思います。脚本を仕上げ、実写も終わってから気づかれたというのがすごいなと思います。まだまだ何かを秘めてるワンネスみたいに思います。
普段は全然意識していませんが、映画やドラマで「敵」がいないというのは本当に珍しいことなのかもしれないと思いました。「ネバーエンディングストーリー」も「ハリーポッター」もどちらもちゃんと見たことないですが、両方とも「敵」がいるのだと思いました。ディズニー映画にもほとんど「敵」がいる。どうしてそこまで「敵」を盛り込まなければ映画が成り立たなかったのか、とても不思議です。「敵」がいないということも「ワンネス」が他の映画とは違う要素なのだと思いました。「敵」がいる映画に慣れてしまっている私たちにとっては、とても新鮮な体験になるのではないかと思いました。