映画「ワンネス」「和」 マッチング 2014/06/02 8:06 AM 昨日は、過去との不整合を意識が言い訳をして処理していると書きました。 言い訳は別の単語でいえば、マッチングです。 不整合だと気分が悪いので、マッチングを取るわけです。 こうして過去との整合性が取られるのだと思います。 カルマは裁きは、マッチングの思想だと思います。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 言い訳こそ意識の得意分野 映画「ワンネス」「和」 私たちは言い訳を認識できていない » コメント まるこ より: 2014/06/02 15:51 言い訳がマッチングであるという発想がなかったです。過去とのツジツマ合わせをすることで不快を快に変えようとする。意識のマッチング機能は意識が無意識よりも0.5秒遅れていること。そして原因は過去には無く、未来にあるという情報を得ていなかった人間の意識が気持悪さを解消するために出来上がった発想なのかもしれないと思いました。過去に原因がなく、意識が無意識の後追いをしていることが認識されると、これまでマッチングによって提供されていた快のメカニズムも変化するのかもしれないと思いました。 まりん より: 2014/06/02 18:34 好きなことも職業もすでに過去のデータから選んでるように、内面が過去との整合性を自動的にとってること、その整合性がうまくとれなかったときには意識が言い訳をすることでつじつま合わせをしてることまで考えてきました。けれど、それがカルマや裁きの思想と深くつながってることにはまったく気づかなかったです。カルマや裁きも、意識が整合性を取るために言い訳するのと同じで、過去の行いと今の現状との整合性をとろうとして、前世の行いの結果が今の現状だとか、悪いことをしたらあの世で裁かれるという発想が生まれたのかもしれないと思いました。裁きやカルマは特別でも何でもなくて、日常での言い訳と変わらないことにハッとしました。今こうして生きてる間だけではマッチングがとれないと前世やあの世といった過去や未来にマッチングを求めてしまうほど、意識はなんとしても整合性を取るために必死なのだと思います。カルマも裁きも、マッチングという意識の性質から生まれたものという気づきは、その仕組みに迫る理系的な視点を感じました。 小町 より: 2014/06/02 22:59 自分の思っていたことと違うと途端に言い訳が自分の中で山のように溢れてきます。その中でもっともらしいものを選ぶ作業がマッチングなんだと思います。不整合になると本当に不安定さが居心地が悪いと思います。カルマを考えてしまったのは不整合をそのままにしたくない何かを悪くしていないと理由が無いことが不安定になってきます。マッチングして、安心してそれ以上の向こうを見ないで済む安心を手にしたと思います。答えがあれば何かにつけて、そのせいでこうなるという図式の中に入れると思います。 こはな より: 2014/06/03 00:12 カルマや裁きは、例えばその時の不満を解消するために生まれた思想なのかもしれないと思いました。
言い訳がマッチングであるという発想がなかったです。過去とのツジツマ合わせをすることで不快を快に変えようとする。意識のマッチング機能は意識が無意識よりも0.5秒遅れていること。そして原因は過去には無く、未来にあるという情報を得ていなかった人間の意識が気持悪さを解消するために出来上がった発想なのかもしれないと思いました。過去に原因がなく、意識が無意識の後追いをしていることが認識されると、これまでマッチングによって提供されていた快のメカニズムも変化するのかもしれないと思いました。
好きなことも職業もすでに過去のデータから選んでるように、内面が過去との整合性を自動的にとってること、その整合性がうまくとれなかったときには意識が言い訳をすることでつじつま合わせをしてることまで考えてきました。けれど、それがカルマや裁きの思想と深くつながってることにはまったく気づかなかったです。カルマや裁きも、意識が整合性を取るために言い訳するのと同じで、過去の行いと今の現状との整合性をとろうとして、前世の行いの結果が今の現状だとか、悪いことをしたらあの世で裁かれるという発想が生まれたのかもしれないと思いました。裁きやカルマは特別でも何でもなくて、日常での言い訳と変わらないことにハッとしました。今こうして生きてる間だけではマッチングがとれないと前世やあの世といった過去や未来にマッチングを求めてしまうほど、意識はなんとしても整合性を取るために必死なのだと思います。カルマも裁きも、マッチングという意識の性質から生まれたものという気づきは、その仕組みに迫る理系的な視点を感じました。
自分の思っていたことと違うと途端に言い訳が自分の中で山のように溢れてきます。その中でもっともらしいものを選ぶ作業がマッチングなんだと思います。不整合になると本当に不安定さが居心地が悪いと思います。カルマを考えてしまったのは不整合をそのままにしたくない何かを悪くしていないと理由が無いことが不安定になってきます。マッチングして、安心してそれ以上の向こうを見ないで済む安心を手にしたと思います。答えがあれば何かにつけて、そのせいでこうなるという図式の中に入れると思います。
カルマや裁きは、例えばその時の不満を解消するために生まれた思想なのかもしれないと思いました。