映画「ワンネス」「和」 言い訳こそ意識の得意分野 2014/06/01 8:47 AM 昨日は、内面は過去との整合性を取っているのだと思いますと書きました。 そうなると、不整合の時もあるはずです。 ここで意識の出番です。 無意識から0.5秒遅れている意識は、言い訳を始めるのです。 言い訳こそ意識の得意分野だと思います。 シェアしましょう ! Tweet « 映画「ワンネス」「和」 内面は過去との整合性を取っている 映画「ワンネス」「和」 マッチング » コメント 小町 より: 2014/06/01 09:28 意識が言い訳を得意とするのは、まさしくそうだと思いました。言い訳は本当にごく自然にしていると思います。整合性を探せなくなった時、いろいろそれでも探すんだと思います。0.5秒の遅れは不整合のきっかけにもなるような気がします。ぴったりしないと意識はとても不安定になると思います。不安定だとすごく考えだしそうだと思います。もっと考えたいです。 和佳 より: 2014/06/01 09:41 昨日は内面が過去と整合性を取ってるお話でした。今日は不整合の場合なんだなともいました。そういう時に内面の中でも意識ってのが出番になるのではないか…ということだとおもったし…仮説が興味深いです。不整合に対して…どうしてかはまだまだ謎におもうけど…とにかく言い訳を始めるのではないかということなんだなと思いました。とてもウケてまして…例えば…意識を高めて未来への扉を開こうみたいな考え方てあるし 自分ももってるとおもうんですが……この視点からは言い訳力をぐんぐん高める話になってしまうのだなと思いました。なんかゾクゾクして笑いそうになってて…とても興味をもってお話うかがってま まりん より: 2014/06/01 11:50 言い訳というのが生まれる理由に、深い理系の視点から切り込んでて、これまで考えてきた意識とは全然違う性質に気づかされてます。内面が過去との整合性を取ってるとしたら、意識が自動的にそうやって処理し続けてるんだと思います。けれど、整合性がとれない場合には、意識は言い訳をすることで何とか外側との整合性をもたせようとするんだと思いました。どこまでも意識は整合性を取るために必死に動き続けてること、そのことを発見したのはものすごいです。今までもずっとそうやって過去との整合性をとりながら、言い訳をしながら、意識が主導権を握ってるかのように勘違いし続けてきたんだと思います。そんな意識をさらに研ぎ澄ましたり磨こうとしてきたのは、言い訳や整合性を目指そうとすることかもしれません。意識の性質すら何も知らずに、その意識中心で考えてきたんだって思います。言い訳が意識の得意分野だという発見があってはじめて、意識の向こうの原因の世界に切り込んでいけるんだと思いました。 どせい より: 2014/06/01 13:53 自分の過去の経験と、現在、外側で起こっている事柄の整合性がとれないとき・・意識は、言い訳を始めてしまうのだと思います。もう、すごいです・・。そのものズバリだと思います。そうやって、無理やり整合性をとって、安定させてきてしまったと思います・・。 だとすると、意識というのは、ある地点(自分のいる地点)から、外側を認識して、測定する機能がありそうだと思います。ですが、測定不能なこと、あるいは測定の結果、整合性がとれなくなったことがあると、無理やり言い訳を作って、着地させてしまう弊害があるのかもしれないです。 まるこ より: 2014/06/01 16:12 人と話をしていて自分の過去のことを話をするときに、この「言い訳」を強く感じます。正直に言えば特に理由なんてないのに、「なぜ、そうしたのか?」と聞かれると、いかにももっともらしい理由を考えて話していると思います。転職するときの面接なんてその際たるものです。そしていつの間にか自分でもそれが本当の理由だったかのように思い込んでいたりもします。でもよく観察してみれば、意識は目が覚めている間じゅう、ずっとそうやって言い訳作りに勤しんでいるように感じます。それが自動的に行われているような感覚で、ほんとうに得意中の得意といった感じです。 こはな より: 2014/06/01 19:03 内面には意識と無意識があり、過去との整合性を取った際に、不整合が起きたときに・・活躍しているのが意識なのだと思いました。言い訳をしているのだと思います。他にも意識の役割はあるかもしれませんが、意識の得意分野なのだと思います。
意識が言い訳を得意とするのは、まさしくそうだと思いました。言い訳は本当にごく自然にしていると思います。整合性を探せなくなった時、いろいろそれでも探すんだと思います。0.5秒の遅れは不整合のきっかけにもなるような気がします。ぴったりしないと意識はとても不安定になると思います。不安定だとすごく考えだしそうだと思います。もっと考えたいです。
昨日は内面が過去と整合性を取ってるお話でした。今日は不整合の場合なんだなともいました。そういう時に内面の中でも意識ってのが出番になるのではないか…ということだとおもったし…仮説が興味深いです。不整合に対して…どうしてかはまだまだ謎におもうけど…とにかく言い訳を始めるのではないかということなんだなと思いました。とてもウケてまして…例えば…意識を高めて未来への扉を開こうみたいな考え方てあるし 自分ももってるとおもうんですが……この視点からは言い訳力をぐんぐん高める話になってしまうのだなと思いました。なんかゾクゾクして笑いそうになってて…とても興味をもってお話うかがってま
言い訳というのが生まれる理由に、深い理系の視点から切り込んでて、これまで考えてきた意識とは全然違う性質に気づかされてます。内面が過去との整合性を取ってるとしたら、意識が自動的にそうやって処理し続けてるんだと思います。けれど、整合性がとれない場合には、意識は言い訳をすることで何とか外側との整合性をもたせようとするんだと思いました。どこまでも意識は整合性を取るために必死に動き続けてること、そのことを発見したのはものすごいです。今までもずっとそうやって過去との整合性をとりながら、言い訳をしながら、意識が主導権を握ってるかのように勘違いし続けてきたんだと思います。そんな意識をさらに研ぎ澄ましたり磨こうとしてきたのは、言い訳や整合性を目指そうとすることかもしれません。意識の性質すら何も知らずに、その意識中心で考えてきたんだって思います。言い訳が意識の得意分野だという発見があってはじめて、意識の向こうの原因の世界に切り込んでいけるんだと思いました。
自分の過去の経験と、現在、外側で起こっている事柄の整合性がとれないとき・・意識は、言い訳を始めてしまうのだと思います。もう、すごいです・・。そのものズバリだと思います。そうやって、無理やり整合性をとって、安定させてきてしまったと思います・・。
だとすると、意識というのは、ある地点(自分のいる地点)から、外側を認識して、測定する機能がありそうだと思います。ですが、測定不能なこと、あるいは測定の結果、整合性がとれなくなったことがあると、無理やり言い訳を作って、着地させてしまう弊害があるのかもしれないです。
人と話をしていて自分の過去のことを話をするときに、この「言い訳」を強く感じます。正直に言えば特に理由なんてないのに、「なぜ、そうしたのか?」と聞かれると、いかにももっともらしい理由を考えて話していると思います。転職するときの面接なんてその際たるものです。そしていつの間にか自分でもそれが本当の理由だったかのように思い込んでいたりもします。でもよく観察してみれば、意識は目が覚めている間じゅう、ずっとそうやって言い訳作りに勤しんでいるように感じます。それが自動的に行われているような感覚で、ほんとうに得意中の得意といった感じです。
内面には意識と無意識があり、過去との整合性を取った際に、不整合が起きたときに・・活躍しているのが意識なのだと思いました。言い訳をしているのだと思います。他にも意識の役割はあるかもしれませんが、意識の得意分野なのだと思います。