きょうは大学のゼミの先生が88歳の米寿を迎えられた祝賀パーティに行きます。
この先生をS教授と呼びます。
ゼミ(卒業研究)は、アンテナの研究室でした。
ところでみなさん、八木アンテナってご存じですか?
屋根の上にあるテレビアンテナはたいてい、八木アンテナです。
これは東北大学の八木博士が発明したものです。
世界中の屋根にあります。
S教授も東北大学で、八木博士について、アンテナの研究をしていました。
さて、私がS教授の研究室に通い始めて間もない頃です。
私は質問しました。
「電波はなぜ飛ぶのですか?」
S教授はコーヒーを持ったまま固まりました(爆)。
長い沈黙がありました(汗)。
やはりマズイ質問だったか・・
だって電気電子工学科の四年生が基本中の基本の質問をしたからです。
でも僕は不思議でした。
電気を振動させて30キロヘルツを超えた時点で空中に放出される・・。
宇宙空間には何もありません。
媒体のない世界なのに電波は伝わるのです。
S教授はおもむろにコーヒーカップを置くと言いました。
「それが、私にもワカラナイんだよ」
それはこの研究室に着て良かったと思えた瞬間でした。
アンテナの世界ではナンバーワンの先生が「私にもワカラナイ」と言ったのです。
私はその後、不思議なことの研究を始めます。
非科学的だとか、よく言われます。
しかし・・・
その人に問いたいです。
「あなたは電波がなぜ飛ぶのか分かっているのか?」・・と。
その人は答えるでしょう。
「科学者は分かっているはずさ」
不思議の研究ってわからないことの研究だと思います。それが、非科学的かどうかというのは、それを扱う人の態度にかかっているのではないかと思います。もりけんさんは、とても科学的に不思議なことの研究をされている人だと思います。たいてい、不思議なことは神様扱いじゃないかと思います。でも、もりけんさんはそういうことをせず、科学的に研究されている人だと思います。
人のせいにした他人に押し付けたと感じました、笑えないです。私も今までわからないことはすべて裁きの神様がお見通しさと思って長いこと生きてきました。自分でやってみたり考えることもなく神様というものに押し付けてきたのだと思いました。もりけんさんは何事にも自分で体験されることを大切にしていると感じます、なかなかできないことに感じます。まずは神は全知全能とか裁きがあるとか偉い存在ということを疑ってみたいと感じました。なんでもワカラナイことをわかったように意味つけたり言い訳したりするのではなくよく疑いよく考えることがなにか大切なことに感じました。ワカラナイことをわかったふうにうのみにすると問いが出ない感じがしました。
なぜ?に、自分で答を見つけて着地してしまう・・私は、これをやっていたんだ、と思いました。もりけんさんが質問して、「ワカラナイ」と答えるS教授が、いいな、です。不思議を研究しているもりけんさんは、いつも外に向かっていて、少しずつ開かれる秘密のドアに、いつもドキドキです。
わからないというのには、そのことをずっと考えているからわからないと言えるのだなと思いました。不思議だと思っていなけれ、考えることすらしないと思いました。素敵なS教授との出会いがあって、S教授が「ワカラナイ」と言ってくださったことでその後不思議なことの研究をされるのだなと思いました。媒体がなにもない空間を電波が飛ぶのはとても不思議なことなのだと思いました。世界一のアンテナの教授もわからないことなのだと思いました。世の中には不思議なことがたくさんあると思いました。そのことを、あっちは非科学的、こっちは科学的と区別することはできないと思いました。
科学的…といわれてるものでも…一番基本的なところがわかっていなかったりするのだと思います。科学は「それは非科学的!」「科学的にはねぇ…」とか…非科学を切るものじゃないんだなぁって…考えさせられました。根っこのわからなさは一緒なんじゃないかなって。…とても大事な話に思います。…科学的考え方や解析手法みたいなのは頼れるし…けど…非科学も科学もみんな未知に向かってるなにかなんだって感じました。そこら辺はどこの誰もかわらないんだって気がします。なんか宇宙てすごいとこなんだなと思います…妙にいきいきして感じる…。
…先生のお話なんかめちゃくるものがあります。いきなりふうっうう!ってなり…若返れそうなぐらいの衝撃です。
科学者は分かっているはずさ・・この態度、笑えないです。私も科学者のひとによって、色んなことは解明されているはずで、自分の知識がないだけだと思っていました。だけど・・そうじゃなくて、そもそもちゃんと向き合って考えてないことばかりなのだと思いました。だから、下位の問いが生まれなかったのかもしれないと思いました。知識をもってなくても、相手や周りをよく見たり、聞いたりすれば、沢山のわからないことばかりかもしれないと思いました。
電波はラジオやテレビ、携帯電話にも使われとても身近な存在です。でも、なぜその電波が飛ぶのかは分かっいないのだと思いました。身近なことでさえ、その仕組みを考えたりしたら、科学がすごく発展していると思ってるこの時代も、不思議な現象で満ち溢れているんだと思いました。大学時代のアンテナの世界でナンバーワンの先生から、なぜ電波が飛ぶのか分からないと聞けたことは、不思議現象を研究することを肯定するような、そんなできことでもあったのかなと思いました。
お話を聞いていて、何だか、私も何もわかっていなかったと思いました。何もわかっていないにも関わらず・・・・その土台にして、上位の話題ばかり考えていたのではないかと思います。
もりけんさんは、本当にその土台の部分に焦点を当て続けているのだと
思います。それは、ごく基本的なことなのかもしれませんが、わからないのだと思います。
大学時代の研究室では、アンテナの世界でナンバーワンのS先生に電波の質問をされて、先生は、ご自分でもわからないという衝撃的なご回答をされて、それを聞いたとき、もりけんさんは、この先生のこの研究室に来てよかったと感じられたのだと思います。
分からないことを分からないと言えなかったり、分からないことすら気づけなかったり、誰かわかってるだろうと思ったり・・そんな風に、分からないことと向き合わず、それから逃げてることがたくさんあるような気がしました。
分からないことを分からないと認識する、分からないことを肯定する・・まずはそこからスタートするみたいに思いました。
電波がなぜ飛ぶのかわからない・・と思っているもりけんさんも、S教授も素晴らしいと思います。
電気電子工学科の4年のゼミ(卒業研究)は最終の研究課程のようなものだと思います。そしてアンテナの世界ではナンバーワンの教授は、アンテナでは最先端にいる方だと思います。そんな立場に立ったら、今までの知識や研究をもとに先へ進もうとするとするんじゃないかと思います。でも森田さんは、根本に戻るような問いをしたことも、教授が分からないと答えたことも、どちらも、ものすごいやりとりだと思いました。一番の土台であり、大元にあるしくみは、謎のままだということには、ほとんどの人が気づかないか、気づいても無視してしまうと思うからです。なぜ電波は飛ぶのか?わからないし、科学者だって、わからないのだと思います。まるで知ってるかのように問いすらなく、先へ向かおうとする自分にとって、とても衝撃でした。
もりけんさんは鋭い質問をされたのだと思います。八木アンテナについて知らなかったので面白かったです。八木さんの偶然の発見をS教授が理論づけたのだと思いました。
科学者はわかってるはずさ・・・と、自分が知らなくても、世に出ていることは、すべて解釈済みだと思っているんだと思いました。当たり前のように使っているものでも、知らないことはたくさんあるんだと思いました。
アンテナ研究というテーマを前に、もりけんさんはHow(どうやって)ではなく根本的なWhy(なぜ)をS教授に問われたのだと思いました。アンテナについてのHowでは世界でナンバーワンのS教授でも、もっとも根本的な「なぜ」についてはワカラナイと答えられた。世界的権威でもわからない「なぜ」に目を向けることなく、私たちはずっと電波の恩恵を受け続けているのだと思います。この世界はそういう未知の「なぜ」に溢れているのだと思いました。そんな「なぜ」の答えを知るための突破口は科学の外にあるのだと思います。「電波はなぜ飛ぶのか?」という問いも、科学の外側へ向けられた問いだったのだと思いました。