この映画では無意識が人格を持って現れます。
以前、すでにこのブログに書きましたが、それをアニマと言います。
心理学者のユングがそう名付けたのです。
女性の中にある男性像をアニムスと言います。
恋に落ちるのは、アニマやアニムスに似ているからだそうです。
ですので映画の中では一人二役が可能となりました。
主人公は分離した無意識(アニマ)と対話するわけですが、もしも可能なら、自分もやってみたいものです。
この映画では無意識が人格を持って現れます。
以前、すでにこのブログに書きましたが、それをアニマと言います。
心理学者のユングがそう名付けたのです。
女性の中にある男性像をアニムスと言います。
恋に落ちるのは、アニマやアニムスに似ているからだそうです。
ですので映画の中では一人二役が可能となりました。
主人公は分離した無意識(アニマ)と対話するわけですが、もしも可能なら、自分もやってみたいものです。
容子は外で出会った無意識・・理想の女性ともいえるのだなと思いました。だから容子とアニマは同じ女の子も可能なのだと思います。わたしの男性性に現実の世界では恋に落ちているのだな。。と思います(#^_^#)
コインをふって対話しているのが無意識領域だとしたら自分のアニマやアニムスとの対話に思えてきてそうだとしたら問いが変わる感じがしました。少なくとも問い方が変化するように感じました。苦情や不満ではなく自分に正直になり知りたい問いになる感じがしました。自分の理想の異性に対して対話がどんな人でもコインをふって通信ができるのが私の問いで卦が返信であれば卦から受けるインスピレーションのようなものも理想の異性からのメッセージのように感じました。卦を読む情熱や卦を読みたい気持ちが自然にあふれてしまう情報に感じました
無意識って、すごいんだって最近思っています。集合でもあるなら、神そのもの、なのかもって感じもしてて、でも、自分の好きな異性像もあるんだって思いました。無意識って言葉はずっと以前から知っていたけれど、実感としてはなかったなと思います。いろんな姿があるようで、未知なところがまだまだあるようで、映画のように逢えたらいいなと思います。でも、彼氏、彼女に似ているなら、会えているのかもしれないって思います。そこから無意識って、あらためて問うこともできるかもしれないってレスを書きながらですが思いました。
アニマ、アニムスは、自分自身でありながら、姿かたちは自分の理想の人なんだと思います。そんな自分の無意識の存在と話せたら面白いと思います。映画の中で容子とアニマは同じ人が演じるけど、アニマは智也自身なんだと思います。本当は見えないものを見えるようにしてるというのが、とても不思議で面白いと思います。
無意識が人格を持って現れるというストーリーがとてもすごいと思いました。意識と無意識のことが世間で言われるようになって、無意識のことを意識するようになってきていますが、人格を持って現れたらいったいどうなるのか、と思った人はいないんじゃないかと思いました。可能なら自分も対話して見たいというのも、とっても面白いと思いました。
「恋におちる」というシステムも神が考え付いたのだと思います。自分が「恋におちる」相手が自分の中のもう一人の自分であるという仕組みも、すごい仕組みだと思います。どうしてそのような仕組みにしたのかさっぱり分かりません。自分の中の異性の自分と対話ができたら、とても面白そうです。
自分の中に住んでいるアニマやアニムスは理想の相手で、実体をもって、目の前に現れてお話できるって、とってもドキドキします。そんなアニマやアニムスに会ってみたいし、話をしてみたいなって思います。でも、私はこれまでそんなアニマやアニムスをずっと無視してきたんじゃないかなって思いました。